生没 応永8(1401)年~ 正長元(1428)年
在位 応永19(1412)年~ 正長元(1428)年
諱 躬仁→實仁(みひと)
※諱が変わっているのは、室町幕府4代将軍・足利義持より「躬仁の『躬』の字には身に弓があるのは字面としてよくない」と進言があったため、「躬」と同音の「實」とすることにした。
生涯
後小松天皇の第1皇子。
生来病弱であったため、弟の小川宮を皇太弟としていたが、奇行が目立つ小川宮とは仲が悪く、さらにそのような弟を後継者と定めた父・後小松上皇とも折り合いが悪かった。
応永32(1425)年に小川宮が早世したことで後継者が不在となり、3年後の正長元(1428)年に後継者未定のまま崩御した。
これにより後光厳天皇より続いた皇統は断絶し、三従兄弟(曾祖父の兄弟の曾孫)である彦仁王が即位することとなった。
皇統
・皇女
・皇女
- 宮人:紀伊局 ー 鴨祐有の娘