概要
光厳天皇の第二皇子、母は正親町三条秀子(正親町三条公秀の娘)、名は彌仁(いやひと)。
略歴
暦応元年(1338年)に生誕、本来は出家して仏門に入る予定であったが観応の擾乱が発生し光厳上皇・光明上皇・崇光上皇が賀名生へ拉致されたが彌仁王のみが残り足利義詮に擁立され即位、在位中に南朝の勢力が動いていたため京を離れ近江国・美濃国へ移った、応安4年(1371年)に皇子緒仁親王(後円融天皇)に譲位して上皇となるが応安7年(1374年)に崩御した。
皇統
・緒仁親王(北朝5代・後円融天皇)
・永助法親王(熙永親王)
・堯仁法親王
・堯性法親王
- 宮人:右衛門佐局
・亮仁法親王(尊貞親王)
・行助法親王(熙平親王)
・皇子
・覚増法親王
- 宮人:左京大夫局・伯耆局 ー 正親町三条実継の養女
・治子内親王
・覚叡法親王
・道円法親王(久尊親王)
・聖助法親王
- 宮人:橘繁子 ー 橘以繁の娘
・明承法親王
- 母不詳
・寛守法親王
・寛教法親王(道信親王)
・見子内親王
・皇子
・秀仁女王