概要
光厳天皇の第一皇子、名は最初は益仁、後に興仁と名乗った。
生没年
建武元年4月22日(1334年5月25日)-応永5年1月13日(1398年1月31日)
経歴
暦応元年(1338年)に立太子、貞和4年(1348年)に即位した。観応2年(1351年)に足利尊氏が南朝についたことで廃位された。光厳上皇と光明上皇と共に賀名生へ移された。延文2年(1357年)に京に戻り伏見に住むが、賀名生で軟禁されている間に弟の弥仁親王が後光厳天皇として即位していたため、上皇となる。その後も自身の子である栄仁親王の皇位継承を望むが果たせず、応永5年(1398年)に失意のうちに崩御した。
ところが30年後の正長元(1428)年、後光厳天皇の曾孫である称光天皇が継嗣がいないまま崩御した為、崇光天皇の曾孫である伏見宮彦仁王が後花園天皇として即位し、悲願が達成されることとなった。
皇統
- 典侍:庭田資子 ー 庭田重資の娘
・栄仁親王 ー 伏見宮家
・興信法親王
- 女御:安福殿女御
- 宮人:三条局
・瑞宝女王
・弘助法親王
関連項目
北朝皇位