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概要編集

戦国時代末に活躍した四国の戦国大名

土佐の国人から急速に勢力を拡大するも、最終的に豊臣秀吉に臣従した。


史実編集

土佐統一に至るまで編集

長宗我部国親の嫡男として誕生。

生没年月日は1539年(天文8年)-1599年7月11日(慶長4年の旧暦5月19日)。

元々長宗我部家は土佐七雄と呼ばれる土佐に割拠した七つの豪族の一つだった。しかし元親の父国親が当主に就任した頃の長宗我部家は七雄の中でも最小で、さらに七雄の上には土佐最大勢力の一条家という公家大名が存在していた。


幼名は弥三郎。若い頃は色白でひ弱な外見だったため、周りから「姫若子」と嘲られていたが、初陣で敵の首級を挙げる働きを見せて「”鬼”若子」となった。

やがて土佐統一に心血を注いだ父が病死すると後を継いで当主となる。そして父が考案した一領具足という半農半兵の戦闘集団(ただし一領具足の制度については存在しなかったという説もある)を率い、積極的な領地拡大政策を行う。

結果として父の代から既に従属していた香宗我部家と、同じ七雄の本山家に滅ぼされていた吉良家を除く全ての七雄を攻め、滅亡もしくは降伏に追いやった。その後は度重なる出兵に歴代当主の早世、そして現当主の人望の低さからすっかり衰退していた一条家を攻め、当主兼定を追放。その後再起を図った兼定を再度破って土佐統一を達成する。


四国統一、天下人襲来編集

土佐の平定後は中央の織田家と結んで讃岐阿波伊予への侵攻を行い、十河存保等、三好家はじめとする各大名や豪族の頑強な抵抗を受けながらも徐々に勢力を拡大する。

しかし、天下布武を押し進める織田信長は元親による四国統一を好しとせず、両者は対立するようになり、明智光秀が交渉役を担った。光秀の重臣・斎藤利三の娘は元親の正室として嫁いでおり、光秀と元親とは間接的に関係があった。しかし、信長は長引いた交渉を打ち切り、織田信孝丹羽長秀による四国遠征を準備したが、その計画実行直前に本能寺の変が起こり元親は危機を脱した。

変の直前に利三と元親のやり取りの書状が残っており、光秀の本能寺の変の理由が四国遠征を阻止するためだったとも、あるいは変の黒幕が元親という説もある。


その後は柴田勝家徳川家康と結んで豊臣秀吉と敵対しながら順調に領土を拡大し、1585年には四国を統一(ただし、伊予の河野氏は、毛利元就と血縁関係だった事から、直に攻める事ができず、降伏させることができなかった、という見解から、統一ではなく四国制覇であると、主張する研究者も存在する)。土佐の一豪族に過ぎなかった長宗我部家を一代で四国の覇者にまで押し上げた。

しかし、時既に遅く、中央での争いに勝利した秀吉に四国征伐軍を差し向けられてしまう。三方向から同時侵攻された長宗我部軍は緒戦から苦戦して敗北が続き、遂に元親が家臣の説得を受けて降伏。結局土佐一国のみを安堵された。


悲劇の引鉄編集

豊臣家による島津家への九州征伐では、四国勢として嫡男信親共々参陣する。しかし功を焦る軍監仙石秀久の独断専行が原因で戸次川の戦いに大敗し、信親が戦死してしまった。

将来を期待され、元親自身も愛情を注いでいた嫡男の死は長宗我部家全体に大きな影響を及ぼし、その後の衰退の原因となった。元親自身もすっかり覇気を失って四男盛親を偏愛するようになり、養子に出していた次男香川親和や三男津野親忠を冷遇するようになる。そして遂には盛親を後継者と定め、この決定で次男親和は嘆きのあまり病死してしまう。さらに久武親直等盛親派の讒言に振り回されて盛親の家督相続に反対する家臣や一族を粛清したり、三男親忠を幽閉するなど暗愚な振る舞いが目立つようになった。この時、粛清された家臣達の墓から火の玉が出現する等、怨霊騒動まで発生したとされる。


天下統一後編集

文禄の役(朝鮮出兵)でも、四国衆として自身の後継者盛親や親忠、精選された士卒と供に参陣する。

福島正則の指揮の下、第五軍に編入され、朝鮮南部、忠清道の攻略にあたり、幾つかの城や砦を収奪した。全羅南部海岸の海上守備にあたった後、慶尚道方面のに転戦した。補給拠点が置かれた熊川に、李舜臣率いる朝鮮水軍が襲来した際には自ら長宗我部水軍の軍船に乗り込み、諸大名の水軍と供に迎え撃った。初陣の如く敵船に切り込み、戦闘で二隻を鹵獲し、三隻を焼き討ちにする等、諸大名と供に激戦の末に撃退した。(朝鮮側の資料では朝鮮水軍の圧勝とされている)


晋州城攻略後、休戦交渉が始まったため、いったん帰国した。帰国後改めて再出兵の準備にあたり、盛親と供に法制度を整え、サン・フェリペ号漂着事件の処理にあたった。


慶長の役に参陣して再び渡海し、緒戦の、漆川梁海戦(巨済島の海戦)において、元均率いる、朝鮮水軍を諸大名の水軍と供に奇襲して大打撃を与えた。上陸後、毛利秀元率いる右軍に所属し、明軍や朝鮮軍、義兵と交戦しながら、北上して黄石山城攻略に参加し、南原に転戦して羅州を制圧し、沿岸において、後に島津義弘が布陣する事になる泗川城の普請にあたった。完成を祝う祝宴に参加していたが、蔚山城が明朝軍による包囲を受けているという知らせを受け、諸大名供に、軍船で救援に赴き、最初に蔚山に到着した。少数だったのですぐに上陸できなかったが、籠城部隊精神的支えとなった。その後、倭城で越冬するために、兵力削減が決定され、それにともない一足早く元親らは帰国し、最期の戦いは終わりを告げた。


慶長4年に病死。享年61歳。その死後は盛親が後を継いだ。

しかし盛親が関ヶ原の戦いで西軍に味方したため改易処分となり、山内一豊土佐を奪われる形となった。

※ただし、当初家康は、当初「減転封」の処分を検討しており、改易は避けられたはずであったが、長宗我部氏の居城である浦土城の接取に長宗我部家臣団抗戦派が蜂起して抵抗した、とか、浦土一揆が発生したため、家臣達の公儀への反抗の責任を盛親に問う必要が生じ改易になった、とする研究が近年発表されている。


人物編集

「長宗我部」というのは日本人として変わった苗字だが、これは地名から取られたもので、土佐国岡郡宗我部郷を地盤としていたことに由来する。本姓は秦氏秦河勝を祖とする中国系氏族の末裔である。


異名は「姫若子」「鬼若子」「土佐の出来人」「鳥なき島の蝙蝠」など。

色白の長身で、普段はぼんやりしていたが、いざ戦場に出ると勇ましく槍を振るったという。

信長への書状には丁重な元親の性格が窺え、戦国大名の割には腰が低い印象も受けられる。一方、統治に関しては法に厳しく、土佐は山がちで生産力が低いため年貢は二公一民と重税であった。

期待していた嫡男・信親を亡くしてからは意気消沈し、家中に動揺を残したまま世を去ることになる。


娘の阿古姫と外孫の柴田朝意(佐竹親直の子)は、大坂の陣で豊臣方に付いて仙台藩の捕虜となり、柴田朝意の方は伊達騒動の時期の仙台藩の奉行(家老相当)になっている。


軍記物語では猛将として評価されている元親だが、現代のアニメやゲームではイロモノ扱いだったり、信長の野望ではどちらかというと知将寄りの能力値となっている。



司馬遼太郎の小説、『夏草の賦』は長宗我部元親を主人公としている。

武勇に秀で、天下人への夢を抱きつつも、四国の田舎者であることが強烈なコンプレックスという複雑な人物。


創作作品における長宗我部元親編集

長宗我部は「長曾我部」とも表記する。

個別記事有り編集

  1. 戦国BASARAシリーズ』のキャラクター。→長曾我部元親
  2. 戦国無双シリーズ』のキャラクター。→長宗我部元親(戦国無双)
  3. 戦国乙女』のキャラクター。→長宗我部モトチカ

殿といっしょ編集

CV:能登麻美子

史実で「姫若子(女の子のように大人しい子)」と呼ばれていたのを大げさにした軟弱で気弱な性格で、花や鳥に話しかけたり、馬に乗ることを怖がったり、剣の稽古が稽古にならないなど、まさにどっかの令嬢のような性格。髪型もまるでセーラームーンを彷彿させるお団子頭(髪色は金またはピンク)で華奢な体格の美少年。スクール水着やナース服などを着こなすなどの行動も見られるが、少々天然ボケ気味なところが可愛らしく家臣たちには愛されに愛されまくっているというか萌えまくられ甘やかされまくっている。

ツッコんでいるのは父親次弟だけ。三弟はいつの間にか取り込まれている。


信長の忍び編集

外伝『戦国雀王のぶながさん』に先行登場。異名の通りドラキュラのような外見をしている。


織田信奈の野望編集

土佐最強の姫武将。話の終わりに「おわかり?」と付けるのが口癖。村上海賊との結託で瀬戸内全域で片っ端から船を沈めては財宝を強奪しているため、国力は低いが贅沢な暮らしをしているお嬢様。弟の信親を溺愛している。

天性の勘と経験から神出鬼没の用兵術をものにしており、ローリスク・ハイリターンを何より好む策士。


ラヴヘブン編集

乙女パズルゲームの攻略キャラクター。初期レアリティはSRでの登場。

異世界の危機を救うため、主人公により召喚された。


余談編集

かつてフジテレビ系列で放送されていたバラエティ番組めちゃ²イケてるッ!」の人気コーナー「単位上等!爆走数取団」にて、ゲスト参戦した武田鉄矢が連敗脱出のための最後の切り札として「長宗我部元親」をお題として使用。

このお題を振られた極楽とんぼ山本圭壱は「長宗我部元親」が人名だとは知らなかったのか、「1回」という衝撃的な単位を口にしてしまい(言うまでもないが、模範解答は「一人」である)、問答無用で罰ゲームとなった。


関連タグ編集

歴史 武将 四国勢 高知

弥三郎 雪蹊恕三 姫若子 鬼若子

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