注意
この番組および特定の元出演者と当該人物が起こした事件、並びに特定のスタッフと担当したコーナーやそれ以外の関係者に関して、特定ユーザーによって誹謗中傷や印象悪化につながる表現、客観性や根拠を著しく欠いた記述の追記、関係のない人物や番組への言及などの荒らし行為が行われることがあり、それが原因となって編集合戦へ発展することもあります。
原則中立性のある記事を保つ為、そして無益な編集合戦及び、周囲への風評被害を防ぐ為にもこのような記述を発見した場合、直ちに通報、削除を行うようお願いいたします。
概説
1996年10月19日から2018年3月31日まで放送され、平成初期からの土曜夜八時、通称土8の定番バラエティー番組として君臨していた、フジテレビ系の看板番組の一つ。
ナインティナイン・よゐこ・極楽とんぼ・オアシズら、当時デビュー仕立ての新進気鋭の若手芸人を中核に、俳優やバラエティータレントを添え、彼らによる「お笑い新時代」が形成された。
歴史
初期は「とぶくすり」から定番だったコントを中心に据えるが、徐々に行き当たりばったりな大型の突撃ロケを中心とした「ロケ番組」としての体制を固めていった。これが大当たりとなり、以降は放送時間を通した大型ロケを名物に据え、脇をコントやゲームコーナーで固める「めちゃイケ式」の構成を確立。
スタジオはおろか、フジテレビ本社さえ飛び出して全国各地を爆走し、ときにゲスト芸能人さえ巻き込んだ(特に中居正広はスペシャルになると定番の犠牲者であり、最も多く出演したゲストである)移動ロケを敢行するなど、アグレッシブな番組として知られるようになった。
いわば『平成のひょうきん族』としての地位を確立し、それを平成という新時代に即するより若者受けを狙った番組に仕上げていったのである。
そして実に21年半(『新しい波』・『とぶくすり』を含めれば25年半)という、長きに亘ってバラエティーの帝王として愛されるも、2000年代後半から裏番組が徐々に力をつけ始めたことや、コーナーやロケのマンネリ化・レギュラー陣の相次ぐ不祥事により次第にかつてのエネルギッシュな輝きを失っていった事で、遂に2018年3月末を以ってその歴史に幕を閉じた。
1990年代
年月 | 出来事 |
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1992年10月 | 源流番組「新しい波」がスタート |
1993年4月 | 前身番組「とぶくすり」がスタート、この頃はコント中心の内容で、大久保佳代子の代わりに本田みずほが出演する |
1993年10月 | 土曜深夜枠で「殿様のフェロモン」がスタートし、「とぶくすり」出演陣がサブメンバーに加わるが、約半年の間に90分の特番を同枠を借りて放送、この頃から武田真治が出演するようになる |
1994年10月 | 半年のブランクを経て、「とぶくすりZ」で帯番組として再スタート |
1995年10月 | 再び半年のブランクの後、「めちゃ²モテたいッ!」のタイトルで土曜11時台に昇格、この頃からトーク・ロケ企画中心と現在に近いスタイルなり、メンバーチェンジが行われ、ナインティナイン・山本圭壱・武田真治以外全員降板し、代わりに雛形あきこや鈴木紗理奈が出演する |
1996年1月 | 光浦靖子と加藤浩次がレギュラー復帰する |
1996年3月 | 前身番組のめちゃモテの企画として「少年愚連隊」がスタート |
1996年9月 | この番組のパイロット版として「中居&ナイナイの日本一周の旅」がスタート |
1996年10月 | ゴールデンタイムへの昇格が決定、「めちゃ²イケてるッ!」として土曜8時枠で再スタートを切り、よゐこが番組にレギュラー復帰し、コントが「SHORT COOL」として事実上復活する |
1996年11月 | 「STAMP」・「爆烈お父さん」がスタート |
1997年1月1日 | 生放送特番「おせち食ってる場合やないでスペシャル!」放送 |
1997年10月 | 「岡村オファーがきましたシリーズ」がスタート |
1997年12月 | 「フジTV警察24時」がスタート |
1998年1月1日 | 生放送特番「第1998回元旦記念 ボクとアナタが正月王!!」放送 |
1998年6月 | 「笑わず嫌い王決定戦」がスタート |
1998年7月 | プロ野球中継・特番の為、ほぼ休止 |
1998年7月18日 | 「FNSの日」に1コーナーとして初参加 |
1998年10月 | 放送時間を7分拡大して19時53分開始に変更 |
1999年1月 | 大久保佳代子が準レギュラーとして出演するようになる |
1999年5月 | 「めちゃ日本女子プロレス」がスタート |
2000年代前半
2000年3月11日 | 元祖ゲームコーナーの「しりとり侍」がスタート |
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2000年4月8日 | 通常時間帯では初の生放送 |
2000年4月22日 | オープニングがスペシャル限定になった |
2000年7月15日 | 「抜き打ちテスト」がスタート |
2000年10月 | 大久保佳代子がレギュラーに昇格 |
2001年3月 | 「クイズ$マジオネア」・「ダジャレ人間ゴン」がスタート |
2001年4月 | 放送時間を4分縮小して19時57分開始に変更 |
2001年4月29日 | めちゃイケpM8プロジェクト開始 |
2001年5月3日 | めちゃイケ大百科事典のPRのため、フジテレビジャック |
2001年7月21日 | 「FNSの日」2回目の参加 |
2001年10月23日 | 午後6時40分頃本社内で収録準備中に美術会社社員死亡事故が発生 |
2001年10月27日 | 23日の事故の影響で急遽中止 |
2002年6月8日 | 「ダジャレ人間ゴン」に続くゲームコーナーとして「数取団」がスタート |
2002年7月20日 | 突然の番組内容変更に苦情殺到 |
2002年8月24日 | 「FM三軒茶屋W杯メインキャスターに挑戦!」完結編放送 |
2003年2月8日 | 「やべっち寿司」がスタート |
2003年4月26日 | 「恋のかま騒ぎ」がスタート |
2003年12月27日 | 冒頭で画面が映らなくなる放送事故が発生 |
2004年2月 | 「笑わず嫌い王決定戦」が一部のHDDレコーダーで録画が出来なくなる |
2004年7月24日・25日 | 「FNSの日」にメインとして初参加 |
2004年10月9日 | 番組史上最高視聴率記録 |
2004年10月23日 | 新潟県中越地震による報道特別番組により休止 |
2004年10月30日 | 放送300回突破 |
2004年11月6日 | 「THE STAMP SHOW!!」が「STAMP8」として復活 |
2004年11月20日 | 「シンクロナイズドテイスティング」がスタート |
2004年12月25日 | 中嶋優一がプロデューサーに昇格 |
2000年代後半
2005年7月23日 | 「FNSの日」4回目の参加 |
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2005年9月10日 | 視聴者プレゼントが一夜限りの復活 |
2006年1月7日 | 番組初の新春スペシャルを放送 |
2006年1月 | 天素が1組除いてほぼ復活 |
2006年7月15日 | 「東京めちゃイケランド」出展 |
2006年7月17日 | 山本圭壱が不祥事を起こして一時期降板、その影響で一部企画・コーナー(主に山本メイン)が打ち切りになる |
2006年8月26日 | 「24時間対抗テレビ」がスタート |
2006年10月7日 | 放送10周年 |
2006年11月25日 | 「数取団」に続くゲームコーナーとして「色とり忍者」がスタート |
2007年7月21日 | 放送400回突破 |
2007年7月21日 | 「めちゃ²バケてるッ!-What's a HORORR We are!-」出展 |
2007年10月6日 | 「オカザイル」誕生 |
2007年11月10日 | 初の15分拡大版 |
2008年7月19日 | 「めちゃイケ海の家」出展 |
2008年7月27日 | 「FNSの日」5回目の参加 |
2008年8月2日 | 「崖っぷちのエガ」が話題になった |
2008年10月4日 | この放送回で放送批評懇談会主催ギャラクシー賞10月度月間賞受賞 |
2008年11月1日 | 初の番組DVDプレゼント |
2008年12月6日 | 紗理奈が結婚報告 |
2009年1月3日 | 初めて三が日のゴールデンタイムに放送 |
2009年2月14日 | 「お笑い芸人歌がへたな王座決定戦スペシャル」がスタート |
2009年5月23日 | この日限定で前座番組とのコラボ |
2009年6月27日 | 「世界一受けたくない!?授業」がスタート |
2009年7月18日 | 『めちゃ畑牧場』建設発表 |
2009年7月26日 | 「FNSの日」6回目の参加 |
2009年8月24日 | 「幸子の寝室」がスタート |
2009年9月5日 | 「フジサンケイお笑いレディースクラシック」を放送 |
2009年10月10日 | 「めちゃ2オボえてるッ!」で2度目のギャラクシー賞10月度月間賞受賞 |
2009年10月24日 | 片岡飛鳥が部長職に昇進したことに伴い、総監督から企画統括(ゼネラルプロデューサー職)に名義変更。同時に筆頭ディレクターであった戸渡和孝が総合演出に昇格 |
2010年代前半
2010年2月20日 | 「色とり忍者」に続くゲームコーナーとして「集中寺」がスタート |
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2010年2月27日 | 岡村涙の苦情ゼロSPを放送 |
2010年4月10日 | テレビ東京系「イツザイS」とのコラボ |
2010年7月 | 岡村隆史が体調不良で約半年間欠席 |
2010年7月17日 | 『めちゃイケ アウトレットパーク』出展 |
2010年7月24日 | 「FNSの日」7回目の参加 |
2010年9月4日 | 放送500回突破 |
2010年9月4日 | 新レギュラーオーディション発表 |
2010年9月 | 新レギュラーオーディション1次選考開催 |
2010年10月 | 岡村隆史不在のままオーディションで新メンバー5組が決定する |
2010年11月 | 岡村隆史が復帰する |
2011年3月12日 | 東日本大震災及び福島第一原発事故による特別報道体制により休止 |
2011年4月7日 | CSにて再放送再開 |
2011年4月9日 | 初めて『オールスター感謝祭』と競合 |
2011年7月16日 | 「めちゃリゾートハワイアンズ」を元ネタ全面協力で出展 |
2011年7月23日・24日 | 「FNSの日」に2回目のメインとして参加 |
2011年10月8日 | 放送15周年記念スペシャルを当時史上最長の4時間40分にわたって放送 |
2012年1月7日 | オカザイル第2弾 |
2012年3月 | 「東北応援企画」がスタート |
2012年4月21日 | 「ガリタ食堂」がスタート |
2012年6月28日 | 片岡飛鳥がコンテンツ事業局へ異動のため、番組の関与から一時的に外れる。2014年6月27日に復職するまでの2年間、スタッフロール上ではスペシャルサンクス的な意味の「コンテンツデザイン」名義でクレジットされていた。 |
2012年7月22日 | 「FNSの日」9回目の参加 |
2012年10月6日 | 他局を含む土8枠で最長放送期間更新 |
2012年12月 | 「矢部オファーシリーズ」・「フジTV警察24時」が3年ぶりに復活 |
2013年3月27日 | 番組のスピンオフとしてネット配信「めちゃ²ユルんでるッ!」がスタート |
2013年4月6日 | 「めちゃ2祝ってるッ!」として、結婚披露宴を生放送 |
2013年4月20日 | 本来4月6日に放送予定のAKB48中心の期末テストスペシャルを放送 |
2013年6月1日 | 「集中寺」に続くゲームコーナーとして「めちゃギントン」がスタート |
2013年8月3日 | 「FNSの日」10回目の参加 |
2013年9月21日 | 「岡村オファーシリーズ」が5年ぶりに復活 |
2013年10月12日 | オカザイル第3弾 |
2014年1月4日 | 放送600回突破 |
2014年3月1日 | 「めちゃ2感謝してるッ! 」として放送 |
2014年5月31日 | 「めちゃ日本女子プロレス」が9年ぶりに復活 |
2014年7月26日 | 「FNSの日」11回目の参加 |
2014年10月4日 | オカザイル第4弾 |
2014年10月25日 | この放送回で3度目のギャラクシー賞10月度月間賞受賞 |
2010年代後半
2015年1月10日 | 「中居&ナイナイ日本一周の旅」が2年ぶりに復活 |
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2015年7月19日 | 『逃走中』とのコラボ |
2015年7月25日・26日 | 「FNSの日」に3回目のメインとして参加 |
2016年2月 | 三中元克が"卒業"(事実上の降板)する |
2016年7月30日 | 山本圭壱が2006年7月に番組を降板して以来10年ぶりのテレビ出演 |
2016年10月8日 | 放送20周年 |
2017年3月11日 | 放送700回突破 |
2017年10月14日 | この放送回で4度目のギャラクシー賞10月度月間賞受賞 |
2017年11月4日 | 番組が2018年3月に終了することが発表され、終了までの約半年間をメンバーがやりたいことをしてゴールを迎える期間として『めちゃイケシュウ活プロジェクト』がスタートした |
2018年1月2日 | 番組初となる火曜日での新春スペシャルを放送 |
2018年2月3日 | 画面右上隅に残り総放送時間を示すタイムコードが表示開始 |
2018年2月17日 | 最終回放送日発表 |
2018年3月17日 | レギュラー放送では最終回 |
2018年3月31日 | 放送が終了する最終回は史上最長の5時間10分にわたって放送 |
2020年代前半
2023年10月8日 | 「めちゃ²ユルんでるッ!」開始から10年を記念して1日限定で復活 |
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2023年10月9日 | 傑作選がFODで独占配信開始 |
2024年7月2日 | 昨年に続き「めちゃ²ユルんでるッ!」復活 |
番組終了後
本番組のレギュラーは他番組での共演がNGとされていたため、終了後に解禁された。
総監督はその後出演者・スタッフ全員に卒業アルバム・金メダルの授与式を行った。
復活?
2024年10月10日の「ナインティナインのオールナイトニッポン」にて岡村は1年前のアキレス腱断裂を「めちゃイケのようなもの」のクランクインで起きた事だと発表。
濱口、山本、大久保の出演や、怪我のリハビリとトレーニングで当初の予定から伸びている事を明かした。
レギュラー出演者
通称「おだいばZ会」
※大久保は2000年11月からレギュラー参加。
※山本は元レギュラーではあるものの、放送終了直前の3ヵ月間のみ「ゲストキャラクター」の扱いで出演するが、最終回では実質的にレギュラーメンバーと同等の待遇だった。
以下は2010年11月13日からレギュラー参加。
準レギュラー
中居正広 (2018年の正月放送にて「18人目のめちゃイケメンバー」の称号が与えられた。)
佐野瑞樹(フジテレビアナウンサー)
蓬田修士
他多数出演
過去のレギュラー
めちゃイケメンバーで唯一の「素人」枠から、一般人としてデビュー。愛称は「三ちゃん」。
2010年11月13日から2016年2月27日までレギュラー参加。
※レギュラーから外された経緯については当人の記事を参照。
スタッフ
明松功(プロデューサー)
不定期出演
本田みずほ 元々は「とぶくすり」時代に参加していたメンバー。濱口と色々あって「殿フェロ」以降はレギュラーで参加することはなくなってしまったが、その後も節目の回には顔を見せることが多く、彼女も記念品を贈呈されたとのこと。
阿部四郎(元全日本女子プロレス・レフェリー、通称「元祖悪徳レフェリー」)
他多数出演
ナレーター
木村匡也 ナレーターを担当。こちらも「とぶくすり」時代から担当し続けた。
主なコーナー
爆烈お父さん
岡村オファーが来ました
矢部オファーしちゃいました
めちゃ日本女子プロレス
スペシャル
春・秋の改編期や年末年始の時期を中心にを放送する特別版であった。
オープニングには炎が吹き荒れ、そこから金色のサブタイトルが出てくる演出が慣例であった。
放送時間の以下の通りである。
←始 | 終→ | 放送時間 | 放送日 |
---|---|---|---|
18:30 | 20:54 | 144分 | 基本パターン1 |
↓ | 21:24 | 174分 | 2002年12月28日/2012年3月31日 |
↓ | 22:00 | 210分 | 2018年1月2日 |
↓ | 23:10 | 280分 | 2011年10月8日 |
↓ | 23:40 | 310分 | 2018年3月31日 |
19:00 | 20:54 | 114分 | 基本パターン2 |
↓ | 23:10 | 250分 | 2014年3月1日/2016年2月27日 |
19:57 | 21:09 | 72分 | 2007年11月10日/2007年12月1日/2009年8月24日 |
↓ | 21:24 | 87分 | 2005年9月10日/2010年10月30日 |
↓ | 22:24 | 147分 | 2010年6月12日 |
↓ | 23:10 | 193分 | 2015年4月4日 |
批判
人気の一方で、ゴールデンタイムのバラエティーとしては、クイズ番組・トーク番組が台頭する中で過激なロケやゲームコーナーも連発したことから、PTAなどの教育団体や保守的な団体から批判を受けることも少なくなかった。特にしりとり侍の一件は有名で、それだけ人気があったというところでもある。
しかし山本降板以降は迷走が始まる。その為、『山本降板以降は実質的な延命であり、無理矢理にでも放送していた様にしか見えない』という意見もある。これが後に岡村休業と新メンバー追加オーディションの引き金となった。
かつて海外で当番組のパロディ番組を潰しに行くという企画を行ったこともあるが、逆に山本降板以降はひたすら他局のパロディを行うという状況だった(めちゃギントンも実際には『笑う犬』で行われていた「森っ子カブタン」とほぼ同じルールであり、実質参加者と放送日時の変更としか言えない)。
そして2010年代は、東日本大震災の影響で自粛やお通夜ムードを要求される時代であり、めちゃイケの様な旧来のバカバカしい演芸番組や、一人の出演者を徹底的に弄り倒して笑いをとっていく芸風は、2010年代の視聴者には受け入れられなかった。
加えて当時はYoutuberの台頭により、若者やかつてのようなバカバカしいネタが見たい層はYoutubeに移り、さらに極端な悪ふざけやイジり芸を堪能するようになっていた。となるとテレビに残ったのは高齢者であり、そうした層にウケるバラエティは教養やグルメ、旅番組などであった。そんな中、もはやめちゃイケは時代遅れという意見も多くあった。
尚、一応フォローするが、シュウ活プロジェクトの企画の一つとして中居ナイナイ日本一周が放送された際、内容を知った上で「こういう企画だけでも特番として継続して欲しい」、「他の複数の番組と併せて)フジテレビは終わらせるべき番組を間違えている」という要望や意見も寄せられたり、めちゃイケ終了後も『全力!脱力タイムズ』などの深夜帯で同様の趣旨の番組が人気を博す等、決して需要が完全になくなったわけではない(そもそもバラエティの強さはフジテレビの特色であり同時にそれこそが需要だからである)。
また、2010年の岡村が休養に入った事に伴い実施された新メンバー加入や、以後の番組内容には批判が多く、特に2015~2016年に新メンバーの一人だった三中が当時挑戦していたみちのくプロレス企画を放棄してプロ芸人へ転向した事をきっかけに番組を“卒業”するに至った一連の騒動は、当人は勿論の事、他の出演者達やスタッフの身勝手、杜撰、陰湿な言動・対応・措置といった負の一面が露呈した事で、番組そのものに幻滅する声が相次いだ。
さらにその前後期にはガリタ食堂をはじめ、明らかにめちゃイケでなくてもいいような企画やコーナーばかり組んだ番組内容に、古参の視聴者達にさえ辟易され、愛想をつかされる事となり、それらが「番組にトドメを刺した」とも指摘する声も多かった。一方でガリタ食堂については開始当初はそれなりに視聴率が取れていた事から、番組の内容編成次第では受けられる術もあったのではないかという意見もある(そもそも当企画は元々「療養中に太った岡村のダイエット企画」と並行して作られた「岡村を痩せさせる代わりに矢部を太らせる」という物だった)。
岡村の長期欠席と新メンバーオーディションの裏話
2010年に岡村が休養に入った理由について、当人から公式に声明が発表されたわけではないが、世間一般では一種のストレス性の精神障害が原因だったという事が知られている。
元々、めちゃイケ放送当初はメンバー全員で企画やコーナーを行うのが決まりであり、一般人との触れ合いもあり、幅広い世代から人気を得ていた。
しかし、人気を得るにつれて加藤は日本テレビの『スッキリ』。よゐこはテレビ朝日の『黄金伝説』。有野はそれに加えてCATVの『ゲームセンターcx』等、メンバーが他局の番組に出演する機会が増え始め、次第にスケジュール的にメンバー全員で出演するのが難しくなっていった。その上、めちゃイケ内でおいて岡村が扮するオカレモンやプレッシャー星人。山本が扮するスモウライダーや油谷さん等、個性豊かなキャラクターが好評を博し、次第にめちゃイケ製作陣は彼ら二人を重要視するようになり始める。そのため、製作陣は他メンバーに対して雑に扱う様になり始め、有野に至っては岡村と同じように肺膿瘍で休養していたにもかかわらず、休養中は彼に関しては取り沙汰そうとはせず、寧ろ初めから居なかったような扱いを受けていた。その結果、次第に番組のコーナーや企画内容は岡村と山本に主立って身体を張らせるものに特化していく事になっていった(濱口のクイズ濱口おさるや各種ドッキリ、加藤の爆烈お父さん等他メンバーも身体を張る物はあったがそれも減っていった)。
逆に濱口の「どぜうもん相談室」や大久保の「容疑者Oの変身」などのコーナーは短期間で終了する程の不人気で雛形や武田等のメインの企画は単発で終了するなど視聴者からの他メンバーの人気は著しく低下していた。
更に2006年に共に身体を張っていた山本が降板した事により、その分の穴埋めをする為に更に岡村への負担が増え、先述のプレッシャー星人や涙の苦情ゼロSPなど、2010年時には番組における身体を張る企画やコーナーは、岡村がほぼ一人手に引き受けている状態にあった。
その上、岡村自身もめちゃイケの他に『ぐるナイ』、『オールナイトニッポン』や『東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい…』など数多くの番組レギュラーを抱えていた為、休む時間は殆ど無かった。
更に2010年に入ると初主演映画『てぃだかんかん』の過密プロモーション、初一人舞台『二人前』の準備などで多忙が続き、岡村の疲労とストレスはいよいよピークに達していた。
しかし、それでも岡村は依頼された仕事に関しては断りはせずに全て引き受けていた。これは、当時岡村曰く芸人の仕事はなんでも引き受けるのがモットーと定めており、厳しい芸能界で生き残るための考えであった。また、上記の通り自身が全国的に売れたのはめちゃイケの前身でもあるとぶくすりであり、それ以来岡村はフジテレビに恩を感じていたため、めちゃイケの制作側からのどんなに過酷で無茶振りともいえる内容の企画やコーナーであろうとも、受けざるを得なくなっていた。
その結果、岡村は遂に体調が悪化してしまい6月に無期限休養を発表。(詳しくは岡村本人の記事を参照)
これを知った視聴者からは、岡村一人に心身共に負担の大きい役割や仕事を押し付けた結果、病んでしまう程に追い込んだとして、吉本興業やめちゃイケ制作陣・メンバーをはじめとするフジテレビに批判の声が及ぶ事となった。
因みに矢部は岡村を芸能界へ誘い込んだ事もあってか、「俺がもう少し相方の気持ちを考えていればこんな事にはならなかったかもしれない…」と、いつの間にか相方にばかり重責を押し付け、その異変に気付けなかった自分を責め続けるなど、相当悔やんでいたという。
そんな矢部を初めとするめちゃイケメンバーは、先述したとおり前途数年は専ら岡村一人に負担を負わせていた事を反省し、彼が復帰するまでは自分達だけで番組を続ける意思を表明。
岡村が休養期間中はキングコングの梶原雄太等の芸人を代役に補い、矢部や濱口等の他メンバーをメインにしたコーナーや企画を増やす等して対処した。
だが、やはり看板キャラクターでもある岡村が抜けたダメージは大きく、更に殆どの既存の人気コーナーは岡村に依存していたが故に収録不可能となってしまい、当時番組内で始まったばかりだったゲームコーナーの集中寺をはじめ、幾つかは打ち切りとなった(そもそも矢部や濱口を含めたメンバーは既に番組内での立場が固定状態になっていた事もありそれを押し切ってまで岡村の代わりとなる事は不可能だった)。
さらに裏番組でもある日本テレビの『世界一受けたい授業』やテレビ東京の『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』に視聴者が関心を持ち始めた事も伴い、視聴率も徐々に低下。
結局、残されたメンバーだけでは番組を盛り立てられない事実が露呈し、会議の結果、若者の力を取り入れて新鮮味を取り戻そうと新メンバーオーディション発足に至った。
しかし、それを知らされためちゃイケメンバーは、自分たちだけでないと意味がなく、無関係なタレントを追加するとその分めちゃイケの面白さや方向性が変わってしまうと意見しており、新メンバーの加入は反対していた。だが、プロデューサーを含む製作陣はこのままの状態が続くと年内にめちゃイケが終了する可能性も十分あると危惧した。それに対してめちゃイケメンバーは年齢的にも体力的にも限界が近く、昔のような体を張った企画を行うことが難しい為、ここらで区切りを付けた方が良いと反論するが、製作陣はめちゃイケはフジテレビを代表する冠番組でもあり、もし終了となればフジテレビの威信にも関わるため、会社的地位を守るためにもなんとか続けてほしいと懇願されたため、やむなくめちゃイケメンバーはこの発案を受けざる負えなかった(この点から製作陣は『岡村が戻って来て更に山本が復活出来るまで保てれば何とかなる』と考えていた可能性がある)。
元々合格者は1組だけと宣伝されていたが、最終審査にてこれから結果発表というところでアナウンサーから新メンバーは1組だけではなく、5組いるという衝撃的な発言が。
選考が進んでいくうちに「皆の熱量が強く、1組に絞るのが難しい」という番組の判断により急遽5組に増やすという驚愕の展開になってしまったのだった。
ところが、スタッフにとって予想外だったのは無事に新メンバーが加入してから僅か一ヶ月後に岡村の復帰が決定してしまった事である。
その結果、めちゃイケは昔の様な活気のある姿を取り戻すことが出来、視聴率も本来の数値に安定し、めちゃイケ存続の危機は回避できたが、その反面めちゃイケが元のスタイルに戻ってしまったことで加入したばかり新メンバーのキャラを生かすことが出来なくなってしまった。
その時点で既に新メンバーの需要性は皆無に等しく、制作陣は新メンバーを降板させ、元の古参メンバーのみで行おうとも考えていた。
しかし、新メンバーの中にはたんぽぽのようにオーディション合格を機に一気にブレイクし長期にわたる貧困生活を脱け出すことのできた者もいた上、ここで彼らを降板させると露頭に迷わせてしまう(一般人枠の三中に至っては当時他の新メンバーと違い、降板させた後の後ろ盾となる事務所や職場も無い状態であった)のは必然であった。
しかも、オーディション不合格をきっかけに解散したお笑いコンビもおり、あれだけ大々的なイベントだったにもかかわらず、ろくに活躍させないまま新メンバーを放逐すると、彼らは勿論の事、他のオーディション参加者達や協力してくれたスポンサーや関連企業にも面目が立たなかった為、結局新メンバー達を引き続き残留させざるを得なくなった。
新メンバーオーディションの代償とめちゃイケの終了
その後も新メンバーを導入させた新企画や新コーナーを行なってきたが、めちゃギントンなどの一部を除いて、殆どは定着せずに短命または一発限りに終わり、新プロジェクトとしてめちゃイケサービスエリアやめちゃイケ温泉などのアミューズメント施設を立ち上げて来たが、成功したのは商業的な面だけで番組の人気には結び付かなかった。
こうしためちゃイケ制作陣の後先考えない『行き当たりばったり』な方針が尽く裏目に出た事に加え、この頃から制作方針や番組に対する意識の違いなどから、メンバー同士の間でも溝が生じるようになる。
濱口は初期のような、人懐っこく愛されやすいおバカキャラクターは鳴りを潜め、他メンバーや後輩に対して厳しい態度で接する気難しい一面を見せる様になり、矢部や鈴木は仕事の都合上めちゃイケのオンエアを直接見る事が出来なくなった事もあって、めちゃイケそのものに対する関心度が薄れていき、加藤はめちゃイケ以外の出演する番組の殆どが情報番組ばかりとなり、めちゃイケにおいては派手な活動が少なくなりお笑いに対する意識が消えつつあった。
さらに武田、雛形に至っては本業でもある俳優業に再び力を入れ始めていき、収録自体に参加する機会が減り始めるようになり、既にこの時点では昔の様な全員一丸で行っていた姿はもはや無かった。
こうした悪条件が重なった結果、先述した末期の迷走に繋がったと指摘する意見も多数上がっている。
そして、2017年に入ると視聴率が一桁台を下回る傾向が増え始め、スペシャルにおいても視聴率は6%にまで下降していた。これを危惧したフジテレビ上層部は今後もこの状況が続くようならばめちゃイケを年内に終了を検討するよう製作陣に通告される。そのため、めちゃイケは過去の人気コーナーを復活させたり、超豪華ゲストを交えた特大スペシャルを放送するなどしたが結果はどれも10%にも満たない惨敗で終わり、製作陣は遂に2018年をもってめちゃイケを終了することを決定。その際、スタッフは真っ先に第一人者でもある岡村に報告。その結果、最終回まではメンバーがやり残した事を番組でやろうと持ち掛ける。皮肉にも最終回になるまでの視聴率は15%を上回っていた。
2022年には中居正広がNHKの番組にてめちゃイケは台本ありとスタッフの指示を暴露し、「だから僕は『めちゃイケ』やっていてまったく面白くないですね」とやらせ発言を告白(元々「中居の企画にて突如山本が金の入ったスーツケースを海に沈める」や「リアクションしたら即終了という企画内で無理やり終わらせる為に出て来て終わらせた後に全員から非難される濱口」等、視聴者からも疑問視される描写はあった)。ネット上は賛否両論だがめちゃイケへの不満は多少あったらしい。
2024年5月には三中元克がYoutubeにて鬼越トマホーク、ニューヨークとのコラボトークでみちのくプロレス騒動の件に触れ、「企画中スタッフから給料は貰えなかった(練習生は月1万貰えたが練習生全員分の食料を買わないといけないから余った金で凌いでいた)」「(みちのくプロレスの普段通りのメニューで精神、肉体的苦痛に陥り)関係者から無理だから辞めてさせてくださいと申し出したのにめちゃイケ(フジテレビ)では逃げ帰ってきた扱いだった」とめちゃイケへの不満を暴露したことによりスタッフ側の陰湿な対応は大方事実であることが判明した(騒動当時から「(運動経験もない素人をプロレスデビューさせようとするといった)スタッフ側の対応が一番悪かった事が原因では」などのネット内の憶測やSNSの情報源が出回るなど、スタッフ側の不適切な対応に対する指摘も多かったが、「根も葉もない」ということで黙殺されていた)。
更に、濱口を中心としためちゃイケメンバー達は、当時のことを振り返るたびに「本番で面白い話やムードができないと意味がない」という理由から「笑顔を浮かべただけで怒られた。」、「収録後に飲みに行ったり楽屋で楽しげな雰囲気になることを禁じられた。」というスタッフから無茶苦茶なルール、マナーを課されていたことも語っている。
一方でスタッフサイドの遠藤達也は「(めちゃイケが終わったのは)三中の降板劇から印象が悪くなったことが原因」と(事実もあるといえ)出演者に責任転嫁するような発言をしており、現在ではこうした「スタッフの出しゃばり、強権」も批判点として話題となっている(その一方で総監督片岡飛鳥は「一般素人をレギュラーメンバーに加えること自体が無謀な試みでしかないと思った」と三中起用に関してコメントしている)。
あるある大辞典納豆騒動、ほこたてやらせ騒動等混迷が続いていたフジバラエティ。そして笑っていいとも!、とんねるずのみなさんのおかげでしたといったかつての人気番組に続くめちゃイケの終了。
これら大手バラエティー番組を廃止して改革を目指すも、人気はむしろ低下し、27時間テレビの平均視聴率は毎年1桁台に陥った(ただし近年に関しては配信等もあるため、全体の視聴率そのものが落ちており簡単に昔と比較はできないという声もある)。
その後のフジテレビは「めちゃイケ」をはじめ、スキャンダルや会社内の暴露が世間から知らされ、大いに迷走を繰り返していくようになった。
終了後の各メンバーの動向
めちゃイケ終了後は基本的にメンバーが全員揃うのはタブーと称されていたため現在に至るまで復活特番等は行われておらず、他番組で全員揃って出演もしていない。ただし、ナインティナインの番組やラジオにおいてめちゃイケについて触れる際にはゲストとして極楽とんぼやジャルジャルなどがゲストで呼ばれる事がある。
ナインティナイン
めちゃイケ終了後も未だに人気は衰えてはおらず、冠番組のぐるナイやオールナイトニッポンも放送中。さらに岡村はNHKのチコちゃんに叱られるや2020年の大河ドラマ麒麟がくるにも出演し、矢部はDAZNのやべっちスタジアムにも出演し両者とも活動の場を更に広げつつある。
極楽とんぼ
加藤は2023年3月末に17年の歴史を以て終了した朝番組・「スッキリ!!(奇しくもその最終回放送日は5年前に終了しためちゃイケのそれと同じであった)」のMCを最後まで勤めあげ、それ以外にもトーク番組やクイズ番組のMCもこなしながら路線方向をお笑いに戻しつつ地道に活躍。山本は地上波の番組への出演は基本的に無いが、YouTubeで自身のチャンネルを立ち上げたりAmazonプライム等のインターネット番組に出演するなどしてメディアから人気を得ている。また、上記の「スッキリ!!」の最終回直前の放送回にてサプライズ登場し、同番組内で加藤と共に極楽とんぼとして最初で最後の出演を果たした。
よゐこ
ナインティナイン同様、人気は相変わらず衰えておらず現在はYouTubeでよゐこチャンネルを設立し最新ゲームに関する内容を放送している。そして濱口は情報番組ノンストップ!の月曜レギュラーを担当しており、有野は現在もなお放送中のゲームセンターcxに出演し、両者とも人気は好評。濱口に至っては恋のキューピッドへの恩義を通すため番組存続中からオファーして終わった翌週には裏番組に出ている。
オアシズ
光浦は持ち前の知識を生かし様々なクイズ番組に出演する様になり、大久保は主に女子トークをメインとした番組に定期的に出演している他、テレビ東京のゴッドタンに現在も出演している。また、めちゃイケ終了後は2人揃って活動する機会が増えつつある。
鈴木紗理奈
現在もタレント、女優として活躍し活動拠点を関西に移している。また、音楽活動も進めており、極楽とんぼの山本とのユニット「さりけい」でシングルをリリースした。
雛形あきこ、武田真治
両者とも本格的に俳優業に専念する様になり、雛形はテレビドラマや映画に出演することが多くなりバラエティ番組への出演は少なくなっていったが、雛形は番組末期に再婚した天野浩成と夫婦で出演することもしばしばあるようになった。武田は俳優業の傍ら自身の筋肉を生かし、マッスルタレントとして活動する機会が多くなりNHKのみんなの筋肉体操のインストラクターとして出演している。またサックスプレイヤーとしても活動の場を広めておりミュージカルや舞台などで披露している。
ジャルジャル
本来の劇場での仕事やネタ見せ番組、更にはYouTubeなどでのネタの仕事に集中して、持ち味であったシュールな世界観のコントが好評を博し、2020年にはキングオブコントで王者に輝いている。
たんぽぽ
ヒルナンデスや世界の果てまでイッテQ!などの他のバラエティ番組にレギュラー出演。川村・白鳥それぞれピンで出ることが多い。
重盛さと美
地上波の番組に出演する機会は減ったものの、山本同様に活動の場をyoutubeに移しており、めちゃイケ時代の知名度を糧にそれなりの登録者数や好評も得ている。
敦士
めちゃイケ終了直前から終了後の動向をメンバーの中で一番不安視されていたものの、めちゃイケ出演時代から出演していた作品を中心に俳優としての活動を続けながら、地方局の情報番組にレギュラー出演しているなど、意外にも安定した活動を続けている。
本田みずほ
メンバーでは無いが、「限りなくメンバーに近い存在」ため記述。
一度はお笑いを捨て音楽活動を行ったもののその後お笑いの世界に舞い戻った。地上波への出演はほぼ無くなったものの、ルミネ新喜劇やアロマテラピーアドバイザーとしての活動を主に地道に活動している。
三中元克
番組のとある企画を放棄した一件(詳細は当人の記事を参照)でめちゃイケが終了する2年前に番組レギュラーから降板。そしてめちゃイケの最終回直前には番組への再出演を切実に希望するも、結局は山本と違ってとうとう最後まで再出演させてもらえないまま終わり、それと前後して番組を降板する直前に臼杵寛と組んで結成したお笑いコンビの『dボタン』も解散することとなった。それ以降はピン芸人として活動し、めちゃイケ終了から暫く経ってまた別の芸人と組んで新たなお笑いコンビの『スーパーヒーロー』を結成するが、活動期間は僅か1年未満でこちらも解散を迎えた。それからまた時間を置いて、現在は3人目の芸人と『ラフリベンジャーズ』を再三結成し、近年では趣味の特撮を活かして特撮映画の製作に乗り出したり他の芸人のYouTubeチャンネルに出演するなど、特撮芸人として地道な活動を続けている。
関連タグ
めちゃユル(ネット配信されている姉妹番組)
新しいカギ(同じ土8で放送された姉妹番組。ちなみにプロデューサーは本番組の人と同じであるが 、曜日と放送時間が変更されてからは降板した)