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概要
1995年フジテレビ入社。2000年に当時ADを務めていた『めちゃイケ』のコーナー「どっちのADショー」で当時プロデューサーだった中嶋優一に勝利してディレクターに昇格。
その後、中嶋Pが昇格に伴い番組を離れることとなったため彼の後任としてプロデューサーに就任。
2016年に首都圏営業センターローカル営業部に異動となるまで番組プロデューサーを務めた。
めちゃイケ終了の原因?
めちゃイケ自体、元々クレームが多かったことで知られているが、彼がプロデューサーに就任してからというものの、実質的に自身がメインとなったコーナー『ガリタ食堂』の内容(※詳しいコーナー内容は個別記事を参照)が一部の視聴者の間で物議を醸す事となり、否定派の視聴者からは「これって、ただのガリタの個人的な趣味を楽しんでるだけじゃないか?」「ガリタに付き合わされて、毎週無理矢理食べさせられる矢部っちがかわいそう」とコーナー自体や、それを毎週の如く番組に組み入れる明松の半ば強権的ともいえる内容編成に疑問や不満を抱く声が少しずつ上がり始めた。
その結果、ガリタ食堂最盛期といえる2014年後半を境に、低迷しつつあっためちゃイケの視聴率は、その低下に加速がかかり、平均視聴率一桁台が当たり前という惨憺たる苦境に立たされてしまう。
さらには、2016年にあるトラブルを引き起こしためちゃイケメンバーから、降板直前に「自分の仕事の様子を見に来た際に、冷房の効いた楽屋でずっと寝ていた」と勤務態度にも問題があった事を示唆させるエピソードを暴露されてしまっていた。
視聴者からは「プロデューサーがガリタに変わってからつまらなくなった」等と、明松や彼が手掛ける番組そのものへの不満の声が増し、遂には岡村を含むメンバーや多くのADからもプロデューサーを変えて欲しいという意見も多数出たが、彼の立ち上げたコーナーは世間から批判を呼ぶ反面、紹介された店は大繁盛する程に成長している事実や、彼のコーナーを元に夏と冬のイベントやサービスエリア、コンビニチェーン店に出店した結果、商業的に大成功を納めた事など、番組の経済面で大きな効果を齎していた事や、明松がプロデューサーに就任した時、新メンバーオーディション終了後の岡村が復帰した直後だった為、新メンバーの補足整理や岡村に対する今後の企画方針の対策などで多忙を極めており、加えてガリタ食堂や出演ゲストに対する打ち合わせ等に追われ、睡眠時間もろくに取れず、休息時間すら無かったことから、「多少の横暴は寛大に見てほしい」という総合演出の戸渡和孝や遠藤ディレクターからの要望で、それらの意見は突っぱねられてしまっていた。
しかし、2015年後半期以降、めちゃイケの視聴率は大幅に低下と、いよいよ明松の独断体制の弊害が目に見えて明らかになった事に加え、上述のメンバーが引き起こした騒動も追い打ちとなり、「自分自身への演出ばかりにかまけて、本来の番組プロデューサーとして成すべき仕事を疎かにしている」と上層部から問題視されたことから、いよいよスポンサーや制作陣からの目溢しも効かせられなくなってしまう。
そしてとうとう、2016年6月28日付けで上述の“営業部”への異動が決定。めちゃイケは勿論、番組制作の現場からも離れる事となり、当然ながら『ガリタ食堂』も打ち切りとなった。
めちゃイケの番組で、その事が発表された際には19年間めちゃイケスタッフとして番組に貢献した功績を労ったり、惜しむ声も無くはなかったものの、それ以上に「事実上の左遷」と異動を揶揄したり、挙げ句に「もうガリタ食堂を観なくて済む!」と朗報として歓喜する声が多数寄せられてしまっていた。
さらにそれを狙った演出だったか否か定かでないが、明松の最後の出演場面は『廃棄物として檻に入れられ、処理場に運ばれる形で退場する』というやや悪意や皮肉を感じさせるような演出で、それもまた否定派の視聴者からの揶揄の声に拍車をかける形となった。
こうした経緯もあってか、めちゃイケが終了した今尚も、めちゃイケの視聴者やファンの中には『めちゃイケの衰退とその終了を招いた原因』のひとつとして明松Pの専横を上げ、「ガリタ食堂を乱発して番組を私物化させた挙句、結果的に取り返しがつかないまでに視聴率を低迷させてしまった」「めちゃイケ末期の迷走の原因は9割くらいガリタ」等という厳しい評価の声が少なくない。
めちゃイケを離れた後…
めちゃイケ制作の現場から離れた後は、異動先の営業部で活動していたが、当然の事ながら、自分中心のコーナーはおろか、テレビ番組に出演する機会も殆ど無くなってしまった。
しかし、2020年4月18日に放送された「有吉くんの正直さんぽ」にゲスト出演し、久しぶりにカメラの前に姿を見せる。しかしどっしりと座っているだけで喋らなかったことでまたしても視聴者から「喋らないのなら出てくるな」「番組私物化クラッシャー」「あの面子の中で堂々と座れる神経がわからん」といった非難の声が殺到する事態に発展してしまった。
この謎人選に有吉弘行は「じゃあ番組に呼ばなきゃいいじゃん!営業の人でしょう?」と皮肉を交えたツッコミを入れている。
一方では、営業の仕事の傍ら、制作部門時代の経験を活かして広告脚本を手がけていたようで、自身の発案した『突然コマーシャルドラマ』は、ACC賞メディアクリエイティブ部門ブロンズ賞を受賞するなどしている。
フジテレビ希望退社
しかし、めちゃイケで失敗した大打撃と、異動以降は近年のフジテレビ番組製作に再び関われる様子は無い状態が続き、本人もただのお荷物と分かったのか早期退職希望を懇願し、2022年4月にフジテレビを希望退社して独立。その後、元電通社員の中尾孝年と組んで合同会社『KAZA2NA(カザアナ)』を設立した。
退社後、週刊文春によるインタビューを受け、フジテレビひいてはめちゃイケプロデューサー時代の心境を語った際に、2016年に制作から営業へ異動した事について、ネットでの考察通り左遷であった事を認め、「営業なんて、勿論行きたくはなかった」「異動が告げられてから三日三晩自棄酒に走るしかなかった」と当時、相当苦悩した事を打ち明けた。
また、当時めちゃイケプロデューサーとして視聴者から評判が芳しくなかったり、自分が制作の指揮をとって以降、番組の視聴率が低迷していた事も把握していた為、「俺はそんなに(プロデューサーとして)ダメだったのか?」と思い悩んで、一時はこのままフジテレビに辞表を提出する事も考えたそうだが、めちゃイケのチーフプロデューサーの片岡飛鳥に相談したところ「俺も似たような経験をしたから、気持ちはよく分かる」「全く違う部署だからこそ、新しく見える景色ってものもある」と諭されたおかげで、漸く異動を受け入れる決心がついたという。
関連タグ
三中元克…彼もその行為ゆえに批判を浴び、結果的にめちゃイケの終了を招いたという意見も多いが、近年は番組側のやらせや不適切な対応が明らかとなり、彼もめちゃイケの被害者であるという意見も増えつつある。
遠藤達也…同じく「めちゃイケ」の名物スタッフの1人として知られているディレクター。左遷後の明松を元気付けたというエピソードもあるが、それ以上に現場での横柄ぶりは現在でも知られている。フリーに転向した後の月曜から夜ふかしでもその横柄ぶりは相変わらずで、あまりにも度が過ぎたために出演者からも叱責され、ネットでも大炎上する事態にまで発展している。