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三中元克

さんなかもとかつ

よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑い芸人である。
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概要

1990年7月24日生まれ、大阪府出身。愛称は「三ちゃん」。

フジテレビバラエティ番組めちゃイケ』の元メンバーとして知られ、現在は“お笑い芸人”に転向している。
後述の通り、プロ転向に至るまでの特異な経緯によって、ネット上でたびたび議論の的となっている。

経歴

少年時代

幼い頃からお笑いに対して興味を抱いており、小学校の卒業文集には岡村隆史のような芸人になる事を夢見ていた。その為、お笑い番組が大好きで特にめちゃイケにおいては毎週欠かさず録画して視聴するなどファンの域を超えた存在となっており、ナインティナイン主催のライブにも毎回見に行って程である。やがて、地元の工業高校進学時に後の相方となる臼杵寛と出会う。臼杵自身もお笑いに興味を持っており、三中と共に本格的に芸人への道を志すようになる。しかし、臼杵は卒業間近に受けた吉本興業主催のアイドルオーデションに合格し、アイドルグループ「L.A.F.U」のメンバー入りが決定し、芸人への活動が困難となり、結局三中一人だけで芸人を目指すようになった。
高校卒業後は進学も就職もせずフリーターとして活動し、NSCの養成所に入学する為の資金を貯金し続けていた。そして、20歳で上京し夏季の間はお台場冒険王のスタッフのアルバイトをしていた。

レギュラー抜擢と芸能界入り

そして2010年フジテレビ系列のバラエティー番組「めちゃ²イケてるッ!」で開催された「めちゃイケ新メンバーオーディション」で素人枠から唯一選出された。
当初は「大のめちゃイケファンである朴訥な青年」というキャッチコピーの下、イジられキャラ・マスコット的存在として扱われていた。2011年のフジテレビ新春キャンペーンではイメージキャラクターに選出されるなどし、さらに一時は番組内において岡村に次ぐ数のメインのコーナー・企画を持つなど、まさに破竹の勢いだった。

素行悪化と更生企画

ところが、メンバー入りして数年が経ち、テレビでの仕事に慣れてくるに伴い少しずつ分不相応な言動(岡村曰く『根っこの黒い部分』)が目立つようになった。具体的には
素人にも拘らず、出演者という立場を笠に着て若手スタッフに威張り散らし、こき使う
ファンと接する際、若い独身女性にだけ愛想よく接し、男性やカップル連れ、年配者にぞんざいな応対をする
自身にちょっかいを出してきた子供をマジギレして泣かせる
共演者に対し、無礼な軽口を叩く
といった内容。

最初のうちは編集で誤魔化していたものの、次第にそれすらも難しくなっていく。岡村も「これ以上誤魔化し続けても彼のためにならない」ということでTPO教育も兼ねて、お台場合衆国のめちゃイケブース『三中食堂』の店長、東名高速道路・足柄サービスエリアで行われた企画「めちゃイケサービスエリア」の総支配人として出向。しかし、それらの企画を通じても改善の余地がまるで見受けられず、最後の手段として新崎人生が率いる「みちのくプロレス」でプロレス挑戦企画をやる羽目となった。

こうして、2014年10月から看板レスラー・野橋太郎の指導下、みちのくプロレスに見習いとして入門する。
この企画が発案されたきっかけこそ、上記の通り三中の歪んだ精神や根性を叩き直すためでもあったが、一方では2011年に発生した東日本大地震の余波で未だなお復旧の目処が立たず、岩手県を中心に仮設住宅に住む被災者が多くいたため、その被災者達を元気づける復興支援も兼ねていた。
また、企画発表時に三中はこの企画に対して不安と疑問を抱いていたが、明日の未来も見えない被災者の為にも元気付けて欲しいとみちのくからの依頼でなんとか引き受ける事を決意した。

しかし、開始早々にトレーニングをサボったり、入団テスト中にズルをするなどを繰り返したためテストは不合格になってしまう。それでもみちのくプロレス側と交渉しもう一度だけチャンスを与えられたが、「今度からは厳しくいくからな」という宣言通り野橋はより厳しく指導するようになった。
さらには三中食堂やめちゃイケSAと違い誰も自分に見向きもしないという孤独、企画の終わりが見えないという不安、そんな酷な状況に心身共に耐えられなくなった三中は同年12月に野橋と衝突し、企画をリタイアしてしまう。

すると、同じめちゃイケメンバーで一番仲が良かったジャルジャルから「めちゃイケに出ている以上プロレスも立派なお笑いの仕事やで!」「俺たちならまだしも売れてもいない芸人はどんな企画であろうとテレビに出たくて必死なんやで!それに比べて番組から企画を与えられるのは幸せなもんやで!」と売れない芸人が、如何に売れようと必死である事を話し、テレビに出ているにも関わらず与えられた企画を投げ出すのは彼らにとっても失礼な事だというのを諭され、それに背中を押された事で人生、野橋達に謝罪し、「二度と逃げない」と約束した上で、もう一度企画に挑戦する事を許された。その甲斐あって翌年の1月再挑戦した入団テストに合格して、訓練生となった。
また、この一件を通して、岡村からは「いつまでも素人気分でいるのは辞めて、これを機会にプロのタレントの一人としてやっていく気持ちと覚悟を持て」と叱咤激励された。

ところが、それ以降は企画の進展が停滞し、基礎トレーニングや試合のセコンドとして活動する日々が続くようになる。やがて、自身の企画がめちゃイケで取り上げられなくなった上、フジテレビの収録にも呼ばれない事が多くなり、東京にも戻れずみちのくプロレスの合宿所に入り浸る日々が続く様になる。
そして、入団から半年程すると当時めちゃイケ主催の27時間テレビの準備に番組スタッフやめちゃイケメンバーらが多忙となったため撮影スタッフもみちのくプロレスの練習場から離れ、三中にカメラを渡し自ら撮影して状況を報告する様に命じられてしまう。その結果、自身の企画への関心が著しく下がってしまった事から三中は再び不満を募らせていく。その為、三中は製作陣に「プロレス企画を終了して東京に戻って収録に参加したい」と願い出たが、本企画の目的はあくまでも三中の人格改善であるため、三中が番組に対し真面目に取り組む姿勢が見えない限り企画を終了するつもりは無く、製作陣は三中の要望を却下し企画を続行する様命じた。その際三中は、「番組内で自身の企画をもっと取り上げて欲しい」と懇願したが、全く進展も無い企画を取り上げても何の面白味もあるはずが無く、何より再びテレビで取り上げてしまうと三中に甘えが出てしまうと判断したため、この案も却下され自分だけで頑張る様に命じられる。

また、企画の趣旨の一つである筈の『復興支援』に積極的に関わっていたのは三中だけであり、他メンバーは仕事の都合上参加出来ず、参加出来たとしてもほんの少し程度だった事も、三中の孤独感をより増長させる事となった。

独断行動と企画放棄

そして、27時間テレビ本番目前となっていた7月某日。遂に溜まっていた鬱憤、そして終わりの見えない事への不安が暴発する形でみちのくプロレスの練習所から失踪してしまう。
後日、みちのくプロレスから連絡を受けた製作陣は直ちに三中の捜索班を立ち上げ、自宅の近辺を張り込ませた。しかし、それを察した三中は再度連れ戻される事を恐れてか、知人の家やカプセルホテル等を転々として逃げ回るようになる。
それでも、この年はめちゃイケが中心となっていた27時間テレビに番組レギュラーである三中を欠席させるわけにはいかなかった制作陣は三中に対し「27時間テレビが終わるまで、プロレス企画の件は保留にする」と約束する事でどうにか三中の身柄を抑え、27時間テレビは無事に終える事ができた。
ところが、それからまもなく、三中はプロレス企画について制作陣と話し合う約束を破り、「心身不調による療養」という名目でそのまま大阪の実家に逃げ帰り、本来参加予定の収録さえもボイコットしてしまう。

さらに「“素人”という立場故に無茶苦茶な企画を強いられる」と考えていた三中は、あろうことか脱走期間中に番組側に無断で(プロ)芸人になる事を画策し、高校時代の同級生でタレント活動をしていた臼杵寛に声をかけてお笑いコンビ「ワンハンドレッド(のちにサンプライズへ改名)」を勝手に結成。しまいには番組の許可も得ずに幾つ(後に番組側が確認したものだけでも6社)もの芸能事務所やタレント養成所へ履歴書を送ったり、オーディションを受けていたことが発覚する。
この時、三中は売り込みをかけた事務所に対して、めちゃイケの総合演出の戸渡和孝やプロデューサーの明松功、ディレクターの遠藤達也ら番組スタッフの重鎮達や岡村などの名前を勝手に用いて、「許可は貰っている」「番組の企画の一環」等と嘘の説明をしていたが、話す内容が明らかに辻褄が合わない事を不審に思った何社かの事務所がフジテレビに事実確認を行った事から、一連の問題行為がフジテレビや番組に知れる事となった。

これを受けて、事態は番組のみならずフジテレビ全体を騒がせる大問題へと発展。さらに人生や、三中の指導役であった野橋をはじめとするみちのくプロレス関係者からも愛想をつかされ、野橋は「(三中が)戻ってきたところで、もう彼を指導するつもりは無い」と三中の指導を辞める事を宣言。人生社長も「無理に連れ戻したところで、どうせまた逃げ出すだけだろ」と匙を投げてしまう。
かたや三中も、どうにか企画を再開させようと粘る制作陣から「“企画放棄”なんて事したら、最悪番組から降ろされる可能性もある」と半ば脅し同然に最後通牒を受けるが、それでも「この企画に何の意味があるんですか!?」「お笑い番組なら、プロレスなんかじゃなくて、お笑いの企画をやらせてくださいよ!」と反発。「『意味があるかないか』じゃなくて、この番組の為に頑張る気があるかどうかの問題だよ!」と言葉を荒げるスタッフと口論に縺れ込み、最終的に「例え(当時の番組スタッフで一番偉い)戸渡さんからの命令であっても、もうプロレス企画は絶対に辞めるって言いますから!」と宣言する始末で、とうとう制作陣も「もう勝手にしろ!」「どうなっても知らないからな」と折れる形で話し合いは決裂した。

こうして双方共に企画再開の見込みが無くなったプロレス企画は同年9月をもって正式に中止。そのままお蔵入りになってしまい、結局三中はリングデビューすらできないまま、『みちのくプロレス』を退団。しかも最後まで団体側に詫びや挨拶にすら赴く事もしようとせず(後にその不義理な振る舞いを見兼ねた光浦靖子が、自ら代理になってスタッフと共に合宿所まで謝罪に行った)、人生や野橋達とは後述の芸人転向後の初収録で再会するまで顔を合わせる事はなかった。

事の重態化と転落への予兆

(実情はさておき)名目上は『復興支援』の一環も含めていた以上、本来ならば中途半端は許されない筈だった企画を、事もあろうに“打ち切り”という最悪な形で終了させてしまった事で、めちゃイケやフジテレビの面目は丸潰れとなり、みちのくプロレスや企画を支援してくれた東北各方面の企業・団体に対し、相当額の違約金を支払う羽目になった。

これを受けて、めちゃイケスタッフもこれ以上三中の人格改善は不可能と見切りをつけてしまう。さらに今回の企画の発案者であった放送作家の鈴木おさむも「企画を投げ出したにも関わらず、謝罪も反省の色も見せない彼を、引き続きめちゃイケに出演させるのは納得出来ない」と唱えるなどプロレス企画に関わっていたスタッフ達を中心に、三中の処遇について不満の声が上がりはじめる。

また、当時三中は特定のタレント事務所に所属していなかったものの、事実上は『フジテレビの準社員兼専属タレント』であり、そんな立場にもかかわらず、関係者になんの相談も無しに他の芸能事務所に所属しようとした行為は、事実上の二重契約であり、悪質な“規約違反”と見做したフジテレビ上層部から番組制作陣に対し、三中に然るべきペナルティを与えるように通告され、スポンサー各企業からも同様に「この不祥事に対して相応の処置をとらなければ、今後番組への提供を差し止める事も検討する」と言い渡されてしまった。

各方面から殺到する三中に対する抗議に、戸渡、明松、遠藤ら制作スタッフ首脳陣も「これ程の問題を起こした以上、彼を今後めちゃイケレギュラーとして雇用し続けるのは難しい」と判断を下し、予め警鐘していたとおり、彼を番組から降板させる方向で話を進め始めた…

めちゃイケメンバーからの糾弾

同じ頃、一連の騒動を知らされためちゃイケのレギュラーメンバー達もまた、「また逃げちゃったの!?」「どうしようもない奴」「ほんとすぐ逃げるよな…」「根性なさすぎやろ」と驚きや呆れの声を上げ、スタッフ同様に三中のあまりに身勝手な振る舞いに対し、強い反感を覚えていた。
特に最初の逃亡の際に三中を説得して立ち直らせていたジャルジャルは再度逃げた上に企画を投げ出した事を知ると「最初の脱走の時の説得も全部無駄になった(福徳)」「悔しいというかなんというか…『ふざけんな!』って気持ちです(後藤)」と自分達の説得を無碍にした三中に憤慨し、福徳は芸人転向についても「どうせお笑いもすぐに『嫌だ』とか言って、逃げ出すんじゃないですか?」と冷淡な意見を述べていた。

後日、出演者会議の席上で改めてこの問題について詰問された三中は「プロレスなんかやりたくなく、お笑いの仕事がやりたかった」と本音をぶつけるが、それに対し岡村からは「好き嫌いとか関係なくてやってる人はちゃんと(どんな過酷な仕事も)やってるよ」と一蹴され、「どこかで『プロレス企画打ち切りにならないかな?』とか、甘い考えがあったんじゃないんか?」「最初の脱走騒動の時に『素人気分は捨てろ』って言ったのに、結局捨てきれなかったんやな」と失望されてしまう。
また、三中は上記の「“素人”という立場故に無茶苦茶な企画を強いられる」という理由で芸人を志したと説明したが、それに対し岡村は「芸人になったからって企画が甘くなる訳では無い」と促し、更には「三中のプロレス企画は素人だから出来るもんであって、芸人になった三中に出来る企画は何も無い」と厳しく非難する。
続けて「プロ芸人という肩書きさえあったら、企画をちゃんと出来たんか?」と質問されるが、それに対し三中は「出来てなかったと思います」とお笑い芸人としてもプロレス企画はできないと回答。
そんな『お笑いはやりたいけど、体を張るのは嫌だ』という芸人としては矛盾極まりない事を宣う三中を岡村は「ワガママお笑いやな」と呆れ果てながら切り捨て、「(そんな好き勝手ばっか言ってると)仕事なくなるぞホンマ!」と怒り混じりに警告。

それを聞いていた濱口優も「ナイナイの(芸人として)カッコいい部分のみをやりたいだけやねん!ズルいよそれ!(そんな都合の良い事は)無理だよ!みんなカッコいい部分やりたいよ!」「三中だけじゃなくて他のメンバーも辛い事を我慢しながら番組に参加している」とコメントし、「逃げた仕事はまたいつか(オファーが)くるよ」と警鐘を鳴らす。
さらに「プロレス企画から逃げるために芸人目指す気でいるというのなら『お笑いを舐めるな!』って思う」「そんないい加減な奴には、俺ら(芸人)全員牙剝くからな!」と三中のお笑いや番組に対する意識の軽さに対し、メンバーの中でも一番憤慨していた。

そして光浦靖子も「人間関係がうまくいかなかったからプロレス辞めたっていうけど、人間関係は芸能界のほうがもっと大変だよ。バラエティ番組っていうのは皆で作るんだから」とテレビの仕事はプロレスに比べてはるかに厳しく、失敗したときの後ろ盾が無い程過酷だと教え、テレビやお笑いの仕事はそんなに甘くは無いということを促すと同時に「プロになるからには、これからの事は全部自分で責任取りなよ」と、今後は番組も自分達レギュラーメンバーも、誰も三中の後ろ盾になるつもりはないし、プロになってから後悔する事になっても助けてあげるつもりはない意志を示すと、それに同調するように武田真治も「プロになったら、この(糾弾の)場にいる誰も『頑張れ』とか言わないし、応援だってするつもりはない」と三中を突き放すようなコメントをし、鈴木紗理奈からも「芸能界の厳しさをわかっていないと思う。わかっていたら、この(素人として色々許される)環境を捨ててまで芸人になろうなんて思わない」とタレントとしての観点から、その思慮の足りない行動を否定された。

さらに重盛さと美に至っては「三ちゃんは周りからイジってもらえてこそ面白いのであって、今まで三ちゃんのギャグだけで本気で笑ったことはない」と彼に芸人としての素質がない事をはっきりと告げていた。さらには今までの三中はあくまでも素人だったからつまらないギャグでも大目に見てきたという事実を明かし、「プロになったらつまらない時は『つまらない』って言うから」とある意味一番残酷なセリフを浴びせたのだった。

また、加藤浩次も三中と同年代の頃に自分が高所恐怖症にも関わらず強制的にスカイダイビングをさせられたというエピソードを語っており、芸人になったら嫌だと言ったことは真っ先にやらされるということ、若い頃に苦労した分それだけ報われ、今の自分があると三中に話した。

様々なメンバーから総攻撃のように叩かれる三中を見兼ねた雛形あきこは「意見があるなら言った方がいいよ、『はい、はい』ばっかりじゃなくて」とフォローしたが、それでも何も言わない為、加藤と濱口に「なんで自分の考えている事すら、自分の意志で言えないんだよ!?」「そんなんでお笑いなんて尚更無理やぞ!」と𠮟責されてしまう。

こうしてめちゃイケのレギュラーメンバーの殆どから総スカンを食らう事となった三中であったが、そんな中で矢部浩之は他のメンバーの様に一方的に非難したりはせず、「芸人になる以上少なくとも三中に対する見方を変えていく」と伝え、三中が芸人なるなら今までの様に“素人”として優しい扱いはせず、“プロのタレント”として厳しく接するようにしていく旨を促しながらも、プロレス企画放棄の一件や芸人転向については特に非難する事はしなかった。

その後、レギュラーメンバー達は三中抜きで改めてこの問題について話し合うが、一部のメンバーからは前々から積もりに積もっていた三中への不平不満が飛び出し、特に否定派の最先鋒である濱口や紗理奈からは「本能があいつを避けてる。だんだん三中が見えなくなってきてる」「礼儀知らずだし、芸人志望のくせに企画を放棄するとか意味がわからない」「はっきり言って“嫌い”。三中が芸人になれたとしても、私は絶対に(彼の芸では)笑わない」等と三中に対する嫌悪や不信の声さえ上がる。それに対して大久保佳代子は「私はまだ完全に嫌いになったわけではない。彼にも面白いところがあるのなら、それを見てみたい気もする」と珍しく三中を擁護する意見を述べ、それを聞いた岡村も自身もかつて武田真治が好きではなかったが一緒に仕事しているうちに打ち解けていったという経験を引き合いに出し、三中にもいいところはあるかもしれないとフォローしていた。

他にも三中の処分については「これだけ番組やみちのくさんにも迷惑かけたんだから、落とし前は付けてもらわないと」「禊として(プロレスよりも)もっと厳しい企画をやらせるべき」「しばらく謹慎させた方がいいのではないか?」など厳正な処置を求める声が上がる中、最終的に加藤が「皆が怒る気持ちはわかるけどさぁ…三ちゃんの人生なんでしょ? だったら彼の好きなようにさせてやってもいいんじゃない?」と皆を宥め、岡村が「この際だから芸能界の方が厳しいってことを(身を持って)理解してもらいましょう」と折衝した事で、三中の(プロ)芸人への転身は一応は不承不承ながら認められる事となったが、それでもメンバーからの反応は「芸能界はプロレス企画とは比べ物にならないくらい厳しい。果たして三ちゃんはやっていけるのか?」「与えられた企画さえも簡単に放り出す様な奴が、お笑いの仕事なんて貰えるのか?」とかなり懐疑的であった。

また、芸人転向については仕方なく認めた岡村も、芸人となった三中をこのまま番組レギュラーとして出演させることに関してはよくないと考えていた。「数多くの芸人の中でテレビに出演出来るのはほんのひと握り程度であり、その芸人も若手時代に苦労を重ねた末に叶えられた願いそのものである」と考える岡村は、何の苦労もせず、あまつさえ番組の企画すら頑張らなかったくせに、自分勝手で浅はかな理由だけで芸人に転向しようとする三中を、このまま番組レギュラーに置いておくのは、苦労を重ねている他の若手や無名の芸人やタレント達に対してあまりにも失礼な事であり、何より三中自身をますます増長させるだけではないかと考えるのだった。

プロ芸人転身と再オーディション

翌年2016年2月19日に吉本興業と契約し、念願の“プロのお笑い芸人”となったが、案の定、他の若手芸人達からは歓迎される様子はなく、「芸人としてのプロ意識が低過ぎる」「(テレビに出る機会すらない若手芸人達は)コイツの犯した暴挙(企画放棄)を未だに怒っている」などと辛辣な声が上がり、特に新メンバーオーディションの決勝で争ったダイノジ大地は「このままこいつの思い通りにさせたままなのは良くないと思う」と三中だけでなく番組に対して訴えかけだした。

大地は5年前の新メンバーオーディションの時に三中に出演権を奪われた際の心情を打ち明け、あの時は悔しい反面、彼が『素人枠』であったが為に諦めもついていたが、そんな彼があまりに身勝手な動機だけで『素人』の立場を捨て、自分達と同じ芸人になるだけにいざしらず、それでいて尚も図々しく番組に出演し続けようとする事に怒りを抱いている旨を打ち明け、「お笑い番組の企画から逃げた癖にお笑い芸人になって、それで番組にはまだ残るつもりかよ!?そんなのおかしいだろ!」と、三中がやっている事はオーディション合格の為に必死でネタ作りや一芸を磨こうと頑張っていた一般参加者の皆さんや、不合格だったために解散したお笑いコンビを愚弄するも同然な失礼極まりない事だと、涙ながらに罵倒。
しまいには「それでも素人の立場捨ててプロになりたいなら、ちゃんと『プロ』として、もう一度メンバーオーディションを受け直せ!」と命じられる。

「それは理に適った提案や」と賛同した岡村や、「プロになるっちゅうのはこういう事やで」と諭す矢部からも促された事で、三中はオーディションを受け直すことに同意し、翌週の2月27日放送回で『お笑い芸人』枠としてめちゃイケレギュラーに続投すべきか否かを決める為の再オーディションが生放送で開催され、めちゃいけメンバーや、出川哲朗鈴木奈々、みちのくプロレスの人生社長などをゲストに招き、ホームページやテレビのdボタンを用いたネット投票形式で視聴者から合否を判定してもらう形式で、臼杵と共にお笑いコンビとして漫才を披露したが、その結果、合格ラインの票を得る事ができずに不合格となり、その翌週の2016年3月12日放送の回をもって番組から正式に降板となった。

コンビ解散と最終回

再オーディションを終えた直後、ゲスト出演していた出川からコンビ名を「dボタン」に改名するように助言される。
最初はサンプライズのままにする事に拘っていた三中だったが、出川に「わかってねぇなお前は! そんなクソみたいなプライドいらねえんだよ!絶対に今『bボタン』の方が良いんだから!みんな『bボタン』で覚えているんだから『bボタン』で良いんだよ!」と一喝されるやり取りがあった(ちなみにこの時、出川は岡村から「(正しくは)『dボタン』やから!」「『わかってへん』言うとるアンタが、一番わかってへんがな…」とツッコまれていた)。

この出来事を切っ掛けにコンビ名を「dボタン」に改名し、相方、臼杵と共にお笑い芸人として活動した。
しかし、上記の不祥事によって生じたマイナスイメージは根強く、フジテレビからは降板と同時に社員証を没収された上でお台場本社ビルへの出入り禁止を言い渡され、それまでアルバイトとして勤めていたフジテレビ内の社員食堂を運営するフジランドからも解雇され、唯一の収入源も失ってしまう。
そのため、新たに別のアルバイトを探す羽目となったが一連の放送で上記のマイナスイメージが露呈したからかどの店舗からも『サボり、逃亡の常習犯』のレッテルを張られたり、三中を雇用する事で店や会社自体のイメージが悪くなる事を危惧されるなどして、門前払いを食らい、再就職の目処も立たず生活は困窮していった。

また、他局の番組や劇場のオーディションを受けようにも、アルバイト面接と同様の理由や、大手テレビ局から出禁になるレベルの規約違反を犯したという汚名、再オーディションで披露した漫才の粗雑さから、全く相手にしてもらえず、吉本興業との相談の末に、僅かばかしの前説や地方営業の仕事を用意してもらったり、その窮状を知った鈴木おさむから慈悲を与えられる形で、彼の経営するちゃんこ屋に客引きとして雇われるなどしたものの、収入はめちゃイケの頃とは遥かに低く生活は貧困の一途を辿った。進退窮まった三中は実家の母親に金銭の援助を求めるものの、当の母親からは一連に渡る息子の愚行が放送されたせいで自分達家族までも恥をかく羽目になったと責め立てられるなど、家族にさえも半ば見放されてしまう。

それでも三中は不貞腐れる事なく、芸人としての活動を続け、また、一時期は自身が立ち上げた吉本興業公認の劇団「三ランポリン4アター」をはじめ、舞台役者としても活動していた時期もあった(ちなみにこの「三ランポリン4アター」の団員にはお笑いコンビ『EXIT』の兼近大樹も在籍していた)。

しかし、相方の臼杵はコンビ結成前からタレント活動を行っていた上、『めちゃイケ出演』というコンビを組んだ大きな目標を失った事でコンビ活動の意義を見失った為か、次第に二人揃っての活動の機会は減っていき、最終的に2018年1月に「方向性の違い」を理由に同年3月のめちゃイケ放送終了を前にしてコンビ解散となった。

そして2018年3月にめちゃイケは最終回スペシャルを迎えるが、歴代最長の5時間半の放送時間の間で、三中に関する事は過去のVTRや矢部、敦士のコメントで僅かに名前が出ただけで、本人は一切出演させてもらえないばかりか、番組関係者からの事前告知さえも来なかったらしく、放送当日は、知人の芸人宅で番組を見ながら、出演させてもらえなかった事を嘆き、悔し泣きしていた事がその芸人のTwitterで暴露されている。

めちゃイケ終了後…

めちゃイケ終了後は、完全に忘れ去られたかのように殆ど音沙汰が無くなっていた三中であったが、2019年4月11日にテレビ東京系の番組「勇者ああああ 〜ゲーム知識ゼロでもなんとなく見られるゲーム番組〜」にて約3年ぶりに地上波の番組に登場し、視聴者を驚かせた。

その後は特撮作品に関する知識を生かした特撮芸人へと転向し、同じ特撮芸人であるアマチュア芸人の京佑と2019年9月、正式にコンビ『スーパーヒーロー』を結成して活動する。
だが、新コンビ結成を発表する際に三中は「『dボタン』は捨てます!」「そもそも自分はコンビ名を『dボタン』にする気なんてなかったのに、出川さんに無理矢理変えさせられたんです」とコンビ名の名付け親であった出川からの金言を邪険に思っていた事や、責任転嫁するかのような失礼極まりない一言を述べ、批判が殺到してしまい、その影響か定かではないが、当初は2018年5月の予定であったコンビ結成は1年以上延期される事となった。

2020年5月からはYouTubeで『吉本HEROS』というチャンネルを設立し、京佑と共に新たな方向で活動していく…かと思われた矢先、数回の動画更新の後に突如として全動画+アカウント削除を行いその後、何の報告もないまま、相方・京佑のTwitterアカウントから『スーパーヒーロー』と三中に関する記述・画像が全て削除されるなど、不穏な様子を見せ、ネットユーザーの間で憶測が交わされていたが、2020年7月24日。京佑のTwitterで正式にコンビ『スーパーヒーロー』の解散が報告され、結局コンビとしての活動は『dボタン』よりも短く、一年も保たなかった。さらに奇しくもその日は三中の30歳の誕生日であった。

現在

倉田てつをがオーナーを務めるステーキハウス『ビリー・ザ・キッド』東陽町店でアルバイトをしながら、Youtubeのマイナー芸人の動画にゲスト出演したり、ローカルアイドルのイベントにゲスト出演するなどして細々と活動している他、三中が降板した後も彼と連絡を取り合っている数少ないめちゃイケメンバーの一人である福徳によれば、吉本の劇場の売店で売り子をしており、良くも悪くも知名度はある模様。
他にも前述のようなウルトラマン仮面ライダーの知識を生かして本格的に特撮芸人として再起を狙っているとのことで、福徳も「いつかテレビで見られるかもしれない」と語っていた。

また、ある動画で井上正大と共演した際には井上が主催するオリジナル特撮作品「PINKの特撮」への出演交渉をしに彼の元を訪れ、PINKの特撮に出演させてほしいと井上に頼み込むが、前述のマイナスイメージを指摘され、「(三中を出演させる事で)「PINKの特撮」のイメージを悪くしたくない」と渋られてしまい、さらには後述した自身のドキュメント動画を見せられながら色々と追及されてしまう。彼自身は動画に取り上げられていた事が全て事実であると認めながらも、現在は反省し、一からやり直すという意味も込めて芸能活動の傍ら、自身がかつて顎で使っていたADのアルバイトをやっている事を明かした。

そして最後に出演を賭けて靴紐結び対決をすることとなったのだが、そこで自分で靴ひもを結べるようになっており、彼の成長が垣間見えるものの、対決には負けてしまう。それでも交渉した末にADとして雇ってもらえることとなったが、その途端に「ちょっと映っちゃったくらいはいいですよね?」「いずれは自身のチャンネルにも出演して頂きたい」等と軽口を連発して井上から「やっぱ欲豚やなぁ…」と呆れられ、「ちょっと調子乗り過ぎました」と慌てて謝っていた。

本人なりに過去の過ちを悔やみ、更生しようと努力はしているようであるが、やはり「根っ子の黒い部分」はまだ少なからず残っているようで、井上からも「(未だに炎上するのは)そういうトコ(が原因)じゃないですか?」と苦笑混じりに指摘されていた。

2021年9月20日 ピン芸人・てつ丸とコンビを組んだことが彼のTwitterで明らかとなり、三中にとっては三度目となるコンビ『ラフリベンジャーズ』として活動を開始した。

批判と擁護

2021年現在、三中がめちゃイケを降ろされた経緯については『本人の驕りや素行の悪さ、根性の無さが招いた自業自得』と見る派と、『めちゃイケの節操のない方針に振り回された被害者』と見る派とに大きく二分されており、三中に対する評価もそれによって大きく分けられている状況にある。

三中への批判

めちゃイケ降板から5年以上が過ぎた2021年現在に至っても、三中は未だに週刊誌の記事やSNSなどで言動や態度について『まるで成長していない』などと冷やかされたり、それを受け取った一部のネットユーザーからここぞとばかしに非難されたり、こき下ろされる憂き目に遭っている。中には『めちゃイケを終わらせた原因は三中』という当てつけ同然な意見がたびたび見受けられる。

三中本人も、めちゃイケ降板直後から「先輩芸人だけでなく道行く人にまで“クズ”呼ばわりされる」などの風評被害に悩まされている事を告白し、その後も「本人なのに誰にも気づいてもらえない」、「一回企画を逃げただけで、未だに世間からは犯罪者の様に扱われる」などの自虐エピソードや鬱屈した想いを雑誌取材やゲスト出演した番組などで度々打ち明けている。

一方、めちゃイケメンバーやスタッフの一部からは番組降板後も厳しい意見や態度を向けられ、彼の憧れでもあった岡村でさえも、降板後に三中の名前が度々出てくる度に「三中って誰や?そんな奴メンバーにおったっけ?」とはぐらかすなど基本的に自分から彼の話題を口にすることはなく、かつて新メンバーオーディションに落選した芸人の一芸を見た時などに「こんなおもろい奴らがおったのに、なんでスタッフは三中なんかをメンバーに入れたんや」とあてつけな事を言うなど、辛うじて話題に出す際にも他の芸人や一般人の芸を褒める際の引き合いにするばかりだった。
メンバーの中で特に三中に対して嫌悪の態度が強かった紗理奈は、めちゃイケ終了直前に受けた女子メンバー同士でのインタビューにて、病的なまでに三中の存在を邪険にするかのような態度を貫き、挙げ句に、同じくインタビューを受けていていた他の女性メンバーが彼の降板について「卒業」とオブラートに包んだ言い方をしていた中、唯一人、「クビ」と直球に表現していた。
同様に濱口も三中降板後しばらくは彼との関係は一切断ち切り、他番組において芸能人としてダメな例として彼を挙げて「あそこまで無責任な人間は芸能界の中でも危険人物」と徹底的に非難した事もあった。

さらには三中がプロ芸人に転向した際、江頭2:50はdボタンに対して「お前らには(お笑いなんて)無理だ」「絶対売れねえよ」と厳しいコメントをしており、二人が長持ちしないということは彼も予想していたようである。

また、上述の2019年に久々に地上波番組に出演した際には、収録中に何かしらの粗相をしでかしたのか、共演したハリウッドザコシショウハチミツ二郎から『アイツ(と共演した事)を記憶から消したい(ハチミツ)』『二度と共演したくない(ザコシショウ)』と辟易され、2021年には霜降り明星が、めちゃイケメンバーについて語ったYoutubeの動画において、三中について『メンバーとして認めていない(粗品)』『好きな人なんて一人もいない(せいや)』と辛辣な意見を投げかける(動画内のテロップにも名前が載せていなかったがそれは三中だけでなく武田や敦士の名前も載せていなかった)など、芸人仲間の間でも評判が芳しくない事が示唆されている。

このように名だたる先輩芸人はおろか、三中にとっては一応後輩にあたる芸人達からもその芸人としての素質、人間性を批判する発言が度々上がっている(ただし霜降り明星(特に粗品)も炎上する発言が目立つため、一概には言えない部分もある)。

確かに、己の人気に慢心し、芸能界という普通の社会とも異なる特異な常識の蔓延る世界で立ち回る術を知らぬまま、力量や立ち位置を正しく見据える事が出来ずに、手前勝手に振る舞い続け、幾多の忠告や小言も聞き入れる事なく、テレビ業界のルールに尽く反目する行動を繰り返した結果、『1万人近くの応募を掻い潜って人気番組のレギュラーメンバーに選出される』というこれ以上になかった名誉、そしてチャンスを自らみすみす潰してしまう事となった上に、数多くの汚名を背負わされながら転落してしまうという『逆シンデレラストーリー』と言えるような数奇な運命を歩む事を選んでしまったのは他ならぬ三中自身であるし、その後に世間から『悪い意味』で好奇の対象となってしまう事も致し方ないといえよう。

その反面、当記事にも参考資料として取り上げている三中の栄華と転落の経緯、そして彼のしでかした不祥事を紹介したドキュメント動画の再生数は2021年5月にアップロードされてから僅か2ヶ月も断たぬ間に180万回再生を突破するなど、軽蔑や嫌悪といえども未だに人々の興味・関心を惹いている事は事実で、三中にとっては痛し痒しな現状といえる。

また、一連の三中の顛末を見届けた若者達の中からは「三ちゃんのおかげで芸能界の“闇”を知る事が出来た」「『安易に有名人になろうとしても碌な事にならない』という良い教訓になった」と(皮肉を含めながらも)三中に感謝する意見も少なからず上がっていた。

擁護と番組への批判

事実として未だに三中に対する手厳しい意見が多い反面、三中にまつわる一連の騒動を通し「自分たちが三中を新メンバーに選んだにも拘わらず、使い捨て同然に降板させた挙句、その処遇を視聴者に責任転嫁させた」と、番組サイドの対応も問題視され、失望・反感を覚えたという意見も見受けられる。

事実、三中がレギュラー入りする前から、めちゃイケは一部の共演者(特に中居正広モーニング娘AKB48など)に対する(演出の一環である事を踏まえた上でも)やりすぎといえるぞんざいな仕打ちや、過酷極まる内容の企画やコーナーについてクレームが少なからず寄せられており、ある元メンバーの不祥事を筆頭に、洒落にならない問題を起こした事も決して少なくなった。また、上記のクレームや企画のマンネリ化、岡村の体調不良による休業やメンバーの降板劇などもあり、視聴率は低下しつつあった。

プロレス企画の批判

三中が降板に至る遠因となった『プロレス企画』については、岡村や矢部が行ってきたオファーシリーズの延長線のつもりで立ち上げられたみたいだが、それぞれあらかじめ企画に対する十分な体力とスタミナと精神力があってからの参加であり、運動経験や知識も豊富な岡村や矢部と違い、三中は全くの素人であり、準備運動もろくに出来ない三中がいきなりプロレスをやるというのはあまりにも無理難題な要求であった。
そもそもプロレスは言うまでもなく負傷や流血が伴い最悪の場合、死に繋がる危険な競技であり、そんな危険な企画に三中を半ば飛び入り同然に参加させためちゃイケ製作陣には最初の脱走騒動の時から、「いくらなんでも内容が過酷すぎる」等と批判や懸念する声が相継いでいた。

そして、三中の二度目の脱走によって企画が正式に打ち切られた事が発表されると、多くの視聴者から「企画倒れになることは目に見えていたはず」「あんな内容で逃げるのは当然」と企画自体が無茶だったなどの意見が寄せられるなど、この頃まではスタッフやフジテレビに向けての批判と三中を擁護、同情する声の方が多く寄せられていた。

後に三中自身も「プロレスの現場で血だらけのレスラーを見て、これをしないといけないのだと思うと怖くなった」と再度脱走に至った理由を回顧しており、みちのくプロレスの人生社長も思う部分があったのか、この騒動以後、みちのくプロレスではタレントの卵などの一般人を本人の了承も得ずにプロレスラーとして育成する趣旨のバラエティ番組の企画などは「二度と引き受けない」事を明言し、また、レスラーを志望する者への選定もより厳しくするようにしたという。

因みに、人生社長は再オーディションの後、三中にプロ芸人としての初仕事としてみちのくプロレスでの営業の仕事を与え、そこで元指導役の野橋は「2度目の脱走の際は本気で失望した」「もう今後一切プロレスには関わってほしくない」と彼への想いをぶつけながらも、「本当はお前のことは許すつもりはなかったが、再オーディションを見て気が変わった」「お笑いをやると決めたのはお前自身だ。今度は逃げるんじゃないぞ」と激励し、三中(相方の不祥事の連帯責任として臼杵も一緒に)にケジメのビンタを浴びせる事で、一応は和解している。

こうした事情から、プロレス以外の企画内容だったら成功出来ていたかもしれないと一部のメディアからの意見があったが、岡村はそれに対し「ここ数年の間に、めちゃイケにおいて彼が前向きに取り組んでいた姿勢はあまり見られなかった」とコメントし、三中はプロレス企画打診前から自身が納得のいかない企画の場合は、都合の良い言い訳をついて参加を辞退したり、やむなく参加しても明らかにふざけているかの様な、いい加減な態度で挑むなどしており(それに伴い『帰れまSTEP』などのいくつかのコーナーにおいて共演者が「三中が真面目にやらないから、自分達もやりたくない」と反発した事で打ち切りになったという)、仮にプロレス以外の内容の企画に参加しても同じ結果を辿っていた事を示唆していた。

一方では、めちゃイケサービスエリアやそれ以前より、番組内での三中とスタッフのやり取りの中でスタッフが三中に対して必要以上に高圧的に接する姿を見ていた視聴者の一部からは、「スタッフがいじめているのでは?」と疑惑がかけられていた。

『新人スタッフなどを顎で使っていた』と言われているが、反面、遠藤ディレクターを始めとする中堅以上のスタッフからは、他のめちゃイケ出演者と比較しても明らかにぞんざいな扱いを受けていた事がYoutubeでアップされた『フジテレビアラカルト』チャンネル内の「コンテンツごはん」等の一部動画から伺え、中には『新人スタッフをこき使ったのは、中堅スタッフ達から受けた仕打ちに対する仕返しのつもりだったのでは?』という意見もあった。

これについて、日本放送作家協会・常務理事の高橋秀樹氏も「これらは『いじめ』と思われて仕方がない。テレビで放送しているのだから『公開いじめ』だろう。見ていい気分になるはずがない」とめちゃイケの番組スタイルを批判、いじめと肯定されても仕方ないと苦言している。

また、当記事の上述の『企画放棄と再オーディション』の項目に関してはwikipediaやネットニュースの記事などで一般的に定説となっている経緯を記載しているが、ネット上では

2015年7月頃に起こったという『2回目の脱走騒動』は全てデタラメで、本当は6月頃には何らかの理由で企画が頓挫しており、三中は番組やみちのくプロレス側から自宅待機(自主練習)を命じられて帰京していたが、番組側の失態にはしたくない制作陣の方針で、彼に全ての非を被せる為に、あたかもまた脱走事件を起こしたかのように演出・流言した

という説も囁かれている。

また、後年に、ナインティナインやジャルジャルも、三中をプロレスに挑戦させる事については、企画を知った当初から多少の懸念や疑問を抱いていたが、岡村によれば、当時のバラエティ番組は局やスポンサーの命令は絶対と定められる程にその権限が大きく、出演者である芸人やタレントが番組内容に異議を申し立てたり、反発を促すのはもっての外だったため、ディレクターやプロデューサーからのどんな無茶振りや無理難題も目を瞑らなければならなかったという。

新メンバーオーディションの批判

他にも「素人を新メンバーに加えようとしたのは、無謀だったのではないか」という指摘の意見も少なくなく、中には「三中を含め、そもそも(重盛さと美やたんぽぽ等)新メンバーなど入れようとした事自体失敗だった」と断じる意見も多い(※これについての仔細は『めちゃイケ』の記事内にある別箇項目を参照)。

そもそも、新メンバーオーディションに一般人枠の追加を決めたは番組初期から度々参加していた同じ一般人の蓬田修士がきっかけであり、彼の様にテレビ的概念に囚われず一個人として素直な意見を挙げることで番組的にも和やかになるためだった。その為、蓬田を一般人枠として新メンバーに加入しようと考えていだがオーディション当時、蓬田は30代を迎えており年齢的に厳しいと断念し、代わりに同じめちゃイケの大ファンで純粋さを持つ三中を起用した。

だが、実際出演させてみると、三中は蓬田以上に一般人としての意識が高過ぎた上に蓬田程のバラエティ出演者としてのハングリー精神や挑戦心も無く、ただ番組や共演者が面白可笑しく自分をイジってくれるのを待つだけの完全に受け身一色な姿勢で挑むという悪い意味で“根っからの素人”である事が判明し、スタッフの選択は見事に仇となってしまった。

更に、番組や共演者達の必死の苦慮によって、なんとか放送時には『いじられキャラ』として面白く演出されていたものを、自分自身の才能・力量であると勘違いしてしまった上、人気番組の『素人出演者』という立場故に、めちゃイケに出演した大御所の芸能人達やフジテレビの重役方からも物珍しさから構ってもらったり、多少の無作法は大目に見てもらえた事や、番組側も新メンバー加入から間もなく療養していた岡村が復帰するなどしてバタバタしていた事もあってか、三中に芸能界における礼儀作法をきちんと教え込む機会を作らなかったせいもあって、次第に三中は一般人なら何をしても許される甘い考えを抱く様になり、上述の本性も合わさった事で、結果的に上記の様な放送倫理さえも反する不敬行為を繰り返す様になってしまった。
これについては、番組プロデューサーだった明松も「三中の行動には随分手を焼かされたけど、彼が番組から降りたおかげで正直肩の荷が降りた」と当時三中の存在がスタッフの間でも相当重石になっていた事を伺わせる発言している(ただし、今回の背景は明松にあると言う見方も根強い)。

また、それ以前にオーディション開始時期は既にめちゃイケはほぼ末期に入っていた時期で視聴率の低下や岡村不在の体制の中でオーディションを番組内で何度も流す諄いやり方からも「こんな状況でオーディションをする時間は無いだろ」と新メンバー以前に批判も多かった。
採用された新メンバーの『たんぽぽ』『重盛さと美』『ジャルジャル』『敦士』にも外見や人格が露わになった際や初期メンバーと個性被りも視聴者やSNSからも「三中よりも絶対いらない」と批判されたのも事実である。実際、中でも特に批判的な意見が多かった敦士は、三中降板以降、「自分がこの番組にいる意味はあるのか?」「自分も三ちゃんのようにめちゃイケをクビにされるのでは?」という焦燥感を内心ずっと抱いていたことを、めちゃイケ最終回で明かしている。

後に番組のメインプロデューサーの片岡飛鳥も「新しいメンバーを入れるという話を聞いた時、自分は正直“反対”だった」、「(実際に入れてみて)素人をレギュラーとして使うことの難しさを痛感した」と暗に三中ひいては新メンバーを加入させたことそのものが失敗であった事を認めている節を伺わせる発言をしている。

ダイノジ大地への批判

三中降板後、再オーディションを命じたダイノジ大地へは「そもそもお前が三中に再オーディション受けろなんて言ったからこんなことになった」と批判的な意見が殺到した。

それについては大地自身も多少責任を感じていたのか、後に自身も勤務していた鈴木おさむのちゃんこ屋にアルバイトの面接にやってきた三中と再会した際に「俺のこと恨んでる?」と尋ねるが、三中から「少しだけ」と返されて苦笑していた(それを見た鈴木や他の芸人仲間は「そこは嘘でも『いいえ』って答えなきゃダメだよ」と三中を叱責していた)。

一方では、一部の間では『三中に再オーディションを受けさせる事は予め決まっており、大地はその煽り役として番組から言うように命じられただけ』と擁護する声もあり、また弁護士である高橋秀樹氏の息子、高橋維新氏は「(再オーディションは)もう使い道のなくなった三中を追い出すためにやったのが今回の企画であるとすら思っている」「三中企画を餌に視聴者を引っ張る構成になっていた。」と一連のやり取りがやらせだった事を明確に指摘し、批判している。

総括

こうした新メンバーオーディションや、三中の不祥事・降板劇を通して、めちゃイケやフジテレビの後先を考えない杜撰な番組編成の組み方や、責任逃れ・陰湿ともとれる対応・措置等が問題視されたことにより、世間やSNSからは、番組だけでなくフジテレビ自体が更に冷たい目で見られるようになる。
めちゃイケ終了以降、フジテレビもイメージ回復に改革を進めるが長寿番組の減少や不祥事、打ち切りの頻度が高くなってさらに迷走し始め、フジテレビやめちゃイケ出演者達が不祥事を起こしたり、不幸な目に遭う度に「三中の呪い」と揶揄する声が上がっている。

また、番組の終了前後問わず、めちゃイケメンバーの誰かが失言や失態を犯すと、各自三中降板直前に彼に向かって投げかけた言葉や態度を引き合いに出して、ブーメラン式に批判が殺到するのも定番となっている。

例に上げると、前述の重盛の三中に対する「三ちゃんで本気で笑ったことは一度もない」と言う発言は「お前が言うな」「重盛で笑ったことも一度もない」「コイツ(重盛)もクビにするべき」などと批判が飛んだ他、めちゃイケ最終回でゲスト出演していた松岡修造のコメントには「矢部が一番面白くなかった(つまらなかった)」と堂々と告げた時には「ポテンシャルは三中以下だろ」と矢部への批判、終了後には岡村がラジオの持ち番組での不適切発言をきっかけに、後日矢部から説教を受けた際に「女性スタッフがコーヒーを入れてもお礼を言わない」と注意された事に対し「お前も三中のこと言えないだろ」「三中は岡村の態度を見て、素行悪くしたんじゃないか?」などと皮肉めいた批判が殺到した点に『ナイナイを含んだ初期メンバーにも何かしら行動などにも問題があったのでは?』と節も見られる。

それらの事情もあってか、2021年現在は三中に同情する意見も増えつつあり、更に未だに方々から叩かれながらも心折れる事なく、(力量や才覚は別として)地道に芸人を続けている姿勢を再評価する者も少数ながら存在する。

その後のめちゃイケ関係者との関わり


先述の事情や、番組終了に伴ってか、岡村、濱口などの三中に対して頑なな態度をとっていためちゃイケメンバーも、近年では三中に対する態度を以前よりは多少なりとも軟化させているようで、岡村は2020年に一般人女性と結婚した際に、矢部を介して三中から祝福のメッセージを受けた際には、素直に感謝の念を伝えたという。また、濱口も先述の三中を芸能人としての失敗例に挙げた際には、直後に相方の有野からTwitterにおいて「自分だって一回電波少年の企画を逃げたくせに」と冷やかされた事がきっかけで世間から非難を浴び、その火消しの為とはいえ、後日三中の出演する舞台の観劇に訪れ、彼の頑張りを認める発言をブログで記していた。
更に、ナインティナインとジャルジャルは、後年ラジオでめちゃイケの事を語り合った際に、「三中にとって(めちゃイケは)過酷(な環境)だった」「(レギュラーメンバーとしてやっていく事は)難しかったのかもしれない」と三中をフォローする発言をしている。

その一方で、めちゃイケの制作スタッフを含むフジテレビの関係者らは未だに三中の横暴な振る舞いや企画放棄騒動で散々振り回され、迷惑や損害を被った事を相当根に持っている模様。
以前までは三中と親密に連絡を取り合っていたスタッフも三中の降板以降は一切の連絡を断ち切り、先述したとおり、番組終了の際には番組関係者への事前告知もしてもらえないばかりか、三中が久々に連絡を取ろうとすると既に電話番号とメールアドレスも変えられており現在に至るまで関係を修復する事が出来ていない。

また、新年の挨拶にフジテレビに訪れようとしても上記のように出入り禁止を言い渡されている為、門前払いを食い、直接フジテレビに電話を掛けようにも三中の名前を出した途端に切られる始末。そして、偶然に街角でめちゃイケの収録陣と再会しても「あなた誰ですか? 」と完全にシラを切られる形で無視され、全く相手にしてもらえなかったという。

実際、当時めちゃイケのADを担当していたディレクターからは「めちゃイケの顔に泥を塗った彼を許すことは到底出来ない」「万が一彼が芸能人として再起したとしても、自分の番組では絶対に使わない」と断言されている。
また、三中が他局やインターネットの番組に出演する際にも、フジテレビは基本的にめちゃイケ出演時代の映像資料を使用する事を一切許可していない。

芸風

めちゃイケメンバー時には、主にいじられキャラとしての扱いが殆どで、際立ったトーク術やギャグ等も無かった。
dボタン結成時は臼杵と共に漫才を披露していた。だが、内容は基本的にナインティナインが若手時代に披露したネタを丸々真似た物であり、吉本のネタ見せの際に披露した所、実際に拝見したメンバーや講師からは批判を受ける始末。挙げ句の果てに加藤からは基本的にパクリですよと酷評されてしまう。また、ASH&Dのオーディションを受けた際はコントを披露したが、ボケが分かり難い上、演技も下手だと講師陣から指摘され、コントよりも漫才の方が合っていると勧められる。他にも松竹芸能のオーディションでは時事ネタを取り入れた漫才を披露したが、講師陣からは時事ネタのセンスがないと指摘され、結局ごく普通のネタのみを行うことにした。その後、実力を生かす為にM-1グランプリに出場したが、結果は予選一回戦で敗退という惨敗を喫した。因みにオーディションでは上記以外にも吉本興行、人力舎、ホリプロ、グレープカンパニーの4社にも参加したが、合格出来たのは吉本興行とグレープカンパニーのみで吉本興行は基本的に来るものを拒まない体制であり、グレープカンパニーは所属タレントトミドコロからの推薦があった為だった。その結果、三中は憧れのナインティナインやジャルジャルと同じ事務所に入れると確信し、吉本興行に所属した。

そしてdボタン解散後のピン芸人時代はケチャップ一気飲みや顔モノマネ、特撮知識を活用した特撮あるあるネタを持ち前に披露していたが、芸人仲間からは失笑を喰らい、ケチャップ一気飲みは芸人関連に精通した芸能ライターから「芸人のネタとしては箸にも棒にもかからないお粗末極まりない芸」と記事で散々こき下ろされ、特撮ネタに関しても「知識が豊富の割に面白くない」と酷評される。顔モノマネに至っては、「全く似てない上にブサイクさが増す」など最早暴言同然に非難される始末だった。
結局、ケチャップ一気飲みと顔モノマネはそれ以降披露する事は無かった。

それから約1年後に結成したスーパーヒーローでは特撮芸人の京佑と共に仮面ライダーや戦隊特撮をネタにした漫才を披露した。しかし、メディアからはスーパーヒーローの名が汚れると非難を受けるばかりで、三中がお笑いヒーローの企画書を作れば周囲から「三ちゃんが主役とか誰も見ないよ」「三ちゃんにヒーローは無理でしょ」等と辛辣な意見を浴びせられるなど、人気は悪くなるばかりだった。それでもそのネタを披露し続けた結果、少しばかしの人気を得て再度M-1グランプリに挑戦するものの、結果は前回と同じく一回戦で敗退(しかもこの時、同じブロックからは素人の即席コンビを含む他のコンビが全員二回戦進出できた中、唯一の敗退だった)を喫した。そればかりか地方のイベントで行われたプロ・アマ含んで僅か6組しか出演していない漫才コンテストですら、優勝どころか上位3組に入る事すらできないなど成果を上げる事ができず、その後は大きな反響も得られぬまま、日の目を見ることなく先述したとおり、1年も保たずに解散してしまったのだった。

現在はマイナーYouTuberと共に自身の自虐トークを中心に披露し、相変わらず批判はあるものの若干の人気を得ている模様。
それ以外にも「サボり、逃亡の常習犯」というイメージを払拭するためにジムで減量に挑戦したりもしている。

参考資料

【実話】三中元克(三ちゃん)がめちゃイケをクビになった真相...岡村隆史を本気で怒らせた非常識な素人。

三中の栄光と転落までの経緯が詳しく説明されている。

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不祥事 風評被害 出禁

臼杵寛…『dボタン』(2016年2月~2018年1月)時代の相方
京佑…『スーパーヒーロー』(2019年9月~2020年7月)時代の相方
てつ丸…『ラフリベンジャーズ』(2021年9月~)現在の相方

山本圭一…同じく不祥事(こちらは触法行為)によって途中降板しためちゃイケレギュラー。彼は三中と違い、最終回において(事実上)復帰を果たした。
明松功…通称「ガリタ」。彼のプロデューサー就任とその後の番組の私物化同然といえる専横極まる内容構成も、番組の寿命を著しく縮めた理由の一つとして挙げられており、三中同様にめちゃイケを打ち切りに追い込んだ張本人に数えられる事が多い。

クロちゃん…ネット上を中心に似たような扱いを受けている芸人。尤も彼は自らのクズぶりを見事にお笑いとして昇華させており、『人間としては最低だが、芸人としては最高』と評価する声も多い。また、プライベート時のファン対応の良さなど、人間的に良い部分も多数あり、ファンも少なくない。

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