注意
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概要
1990年7月24日生まれ、大阪府出身。愛称は「三ちゃん」。
フジテレビのバラエティ番組『めちゃイケ』の元メンバーとして知られ、現在は“お笑い芸人”に転向している。
後述の通り、素人からプロ転向に至るまでの特異な経歴によりネット上でたびたび議論の的となっている。
経歴
少年時代
幼い頃からお笑いに対して興味を抱いており、小学校の卒業文集には「岡村隆史のような芸人になりたい」と、この頃にはすでに芸人になる事を夢見ていた。その為、お笑い番組が大好きで特にめちゃイケにおいては毎週欠かさず録画して視聴するなどファンの域を超えた存在となっており、ナインティナイン主催のライブにも毎回見に行っていた程である。やがて、地元の工業高校進学時に後の相方となる臼杵寛と出会う。臼杵自身もお笑いに興味を持っており、三中と共に本格的に芸人への道を志すようになる。しかし、臼杵は卒業間近に受けた吉本興業主催のアイドルオーディションに合格し、アイドルグループ「L.A.F.U」のメンバー入りが決定し、芸人への活動が困難となり、結局三中一人だけで芸人を目指すようになった。
高校卒業後は進学も就職もせずフリーターとして活動し、NSCの養成所に入学する為の資金を貯金し続けていた。そして、20歳で上京し夏季の間はお台場冒険王のスタッフのアルバイトをしていた。
レギュラー抜擢と芸能界入り
そして2010年、フジテレビ系列のバラエティー番組「めちゃ²イケてるッ!」で開催された「めちゃイケ新メンバーオーディション」で素人枠から唯一選出された。
当初は「大のめちゃイケファンである朴訥な青年」というキャッチコピーの下、イジられキャラ・マスコット的存在として扱われていた。2011年のフジテレビ新春キャンペーンではイメージキャラクターに選出されるなどし、さらに一時は番組内において岡村に次ぐ数のメインのコーナー・企画を持つなど、まさに破竹の勢いだった。
素行悪化と更生企画、そして番組降板…
ところが、メンバー入りして数年が経つと、素行の悪化(岡村曰く「根っこの悪い部分」)が目立ち始める。
具体的には……
- 自分より後から入ってきた若手スタッフに威張り散らし、顎でこき使う(後述のように彼は当時靴紐が結べず、それをさせておいて礼を言わない等)
- 気が乗らない企画は、適当な理由をついて辞退する
- 物事を都合のいいようにばかり考え、さらに都合が悪くなると、嘘や屁理屈を言って誤魔化そうとする
- 素人という立場ゆえに加減というものを知らず、空気を読まない失礼な発言や共演者への無礼な軽口が目立つ
- お笑いのセンスは皆無で、そのくせ「ボケの塊」と自称するなど自信過剰
- 自分から非を認めようとせず、第三者に促されないと謝罪をしない
- 若い独身女性にだけ愛想よく接し、男性やカップル連れ、年配者にぞんざいな応対をする
- ファンと接する際、誰に対してもタメ口
- 自分にちょっかいを出してきた子供を泣かせる(流石にこれは正当防衛、そもそも有名人に対する礼儀作法を知らない子供を野放しにしておく親の方に問題があるとも言える)
- 27時間テレビでの水上相撲収録中に共演者を負傷させる(幸い軽傷だったようで本人は気にしていない様子だった。煽っていた他の芸能人やスタッフにも問題があるという見方も強い)
最初のうちは編集で誤魔化していたものの、次第にそれすらも難しくなっていったため、番組側の意向によりTPO教育も兼ねて、お台場合衆国のめちゃイケブース『三中食堂』の店長、東名高速道路・足柄サービスエリアで行われた企画「めちゃイケサービスエリア」の総支配人として出向させられる。しかし、それらの企画を通じても改善の余地がまるで見受けられなかったため、最終手段として2014年10月から社長の新崎人生が率いる「みちのくプロレス」に入門の上でプロレスラーとしてリングデビューを目指す企画をやることとなった。
しかし、三中はこのプロレス企画の過酷さに耐えられなくなったことで2度も企画からの脱走を図り、さらには2度目の脱走時、番組側に相談も無く旧友である臼杵に声をかけてお笑いコンビ「ワンハンドレッド(のちにサンプライズへ改名)」を結成して幾つ(後に番組側が確認したものだけでも6社)もの芸能事務所やタレント養成所へ履歴書を送ったり、オーディションを受けるなどの独断行為を起こしていた事が発覚。そして結果的に同プロレス企画が継続不能でお蔵入りになる事態にも陥った。
この騒動により、いよいよ三中の人格改善は不可能と見做された上、「『一般人枠』で番組へ加入した三中が『プロ芸人』に転向して尚も、番組に留まるのはおかしい」という矛盾から、視聴者やその他のプロ芸人達を納得させるべく、2016年2月19日に正式によしもと所属のお笑い芸人とした上で、翌週の2016年2月27日に視聴者投票による『”芸人”としてレギュラー参加をかけた再オーディション』を受け、生放送の中でお笑いコンビ『サンプライズ』として漫才を披露したが、最終的な投票で合格ラインを超える支持率を得られず、翌週の2016年3月12日放送の回をもって三中は番組から正式に降板となった。
栄光からの転落…
『プロ芸人転向』とその過程で起こした『プロレス企画脱走騒動』は視聴者側にこれまで朴訥なキャラで通してきた三中のイメージを著しく悪化させる事となった。
また、めちゃイケ降板に伴って、フジテレビからは社員証を取り上げられた上でお台場本社ビルへの出入り禁止を言い渡され、それまでアルバイトとして勤めていたフジテレビ内の社員食堂を運営するフジランドからも解雇され、唯一の収入源も失ってしまう。
その上一連の騒動で生じたマイナスイメージは根強く、新たに別のアルバイトを探そうとしても、上記のマイナスイメージが露呈したからかどの店舗からも『サボり、逃亡の常習犯』のレッテルを貼られたり、三中を雇用する事で店や会社自体のイメージが悪くなる事を危惧されたりなどして、門前払いを食らい、再就職の目処も立たず生活は困窮していった。
また、他局の番組や劇場のオーディションを受けようにも、アルバイト面接と同様の理由や、大手テレビ局から出禁になるレベルの規約違反を犯したという汚名、再オーディションで全国に晒した粗雑な漫才で明らかになったお笑いのレベルの低さ故に、全く相手にしてもらえず、吉本興業との相談の末に、僅かばかしの前説や地方営業の仕事を用意してもらったりしたものの、収入はめちゃイケの頃とは遥かに低く生活は貧困の一途を辿った。進退窮まった三中は実家の母親に金銭の援助を求めるものの、当の母親からは逆に一連に渡る息子の愚行が放送されたせいで自分を含めた家族達も恥をかく羽目になったと責められるなど、実の家族にまで半ば拒絶される羽目になってしまう。
そうした三中の窮状を、スタッフを介して知った鈴木おさむは彼に慈悲を与える形で、経営するちゃんこ屋に客引きのバイトとして雇うことになった。その際の面接には面接官に鈴木と最終オーディションまで勝ち残ったダイノジの大地洋輔、同じオーディションに参加したあかつを含む数人の芸人が参加した。
面接の際、鈴木は三中の今の現状を把握すると、「辛いのは分かるけどそれは身から出た錆だから仕方ない。ましてや出たての芸人にはまともな仕事なんて全くないから芸人になる以上それを身を持って知らないと」と芸能界での厳しさと今まで自身が行っていた様々な悪行を見せ付けられた。
そして、鈴木は普段心掛けていることについて尋ね「まずは挨拶ですね」と即答した三中に対し鈴木は「挨拶は当たり前だろ!」と未だに芸能界や社会人としてのルールをまるで理解していない彼に説教した。
同じくあかつも「せっかく企画を与えてもらっているのに逃げ出すだなんて、同じ芸人としてホント腹立たしい」と叱責し、他の芸人仲間も「甘いんだよお前は! 全てにおいて!」「そんな心構えでこの(お笑いの)世界でやっていけるなんて思うなよ」「俺達はそう簡単にお前を芸人としては認めないからな」等と、かつてのめちゃイケメンバー同様、三中のお笑いに対する考え方を非難した。
更に彼らとの会話の中でも、一般人を『素人』呼ばわりした事で、あかつ達から「素人“さん”! 呼び捨てするな!」「そういうとこだぞ!」と叱咤されたり、プロレス企画の話をする際に「(みちのくプロレスは)地獄でした…」「もうあんなところ二度と…(行きたくない)」と、遠回しにみちのくプロレスに対する悪態ばかりついて、鈴木から「芸人だったらせめてこういう時くらい、良い思い出や面白おかしかった思い出を話したりして、みちのくさんを立てたげたり、場を盛り上げていくようにしないと」と苦言を呈される一幕もあった。
一方で三中降板のきっかけとなった再オーディションの提案者であった大地は、降板後も数々の面々から非難を浴びせられながらも地道に芸人を続けようとしている三中の姿を見て、「まだまだ厳しいけど、今が踏ん張りどころだから頑張らないと」と以前と比べて前向きに支援する一面を見せた。
最終的に、三中は鈴木から一週間以内に玉葱とキャベツの微塵切りを覚えるという条件で仮採用され、その後は注文やケータリングにも移るようになり、閉店までアルバイトを続けた。
コンビ解散と最終回
こうして名実共に一人の駆け出し芸人から再スタートとなった三中は、お笑いの仕事の傍ら、一時期は自身が立ち上げた吉本興業公認の劇団「三ランポリン4アター」をはじめ、舞台役者としても活動していた時期もあった(ちなみにこの「三ランポリン4アター」の団員にはお笑いコンビ『EXIT』の兼近大樹も在籍していた)。
しかし、相方の臼杵がコンビ結成前からタレント活動を行っていた上、『めちゃイケ出演』というコンビを組んだ大きな目標を失った事でコンビ活動の意義を見失った為か、次第に二人揃っての活動の機会は減っていき、最終的に2018年1月に「方向性の違い」を理由に同年3月のめちゃイケ放送終了を前にしてコンビ解散となった。
そして番組終了が発表された直後の某イベントに登壇した三中は、番組関係者からの事前報告が無かったばかりかその事実確認の連絡すら取り合ってもらえなかった経緯を明かす。「メンバーでもないたむけんさんにすら連絡がきたっていうのに…6年(※実際は5年4ヶ月)も居たんですよ!」と文句を垂れていたが、同席していた先輩芸人のとにかく明るい安村から「自分が悪いんじゃない?」「それ(連絡が無かった事)が答えだよ」と一蹴され、この時点で『めちゃイケ』に再度呼ばれる可能性は皆無に等しいことを宣告された。
そしてその予想通り、2018年3月31日に放送された『めちゃイケ』最終回スペシャルでは、歴代最長となる5時間半の尺が取られたものの、三中の存在については一部のメンバー(敦士と矢部)が卒業への思いを語る際に名前を出して触れたのと、その説明として過去のめちゃイケ新メンバーオーディション及び再オーディション時にその姿が映っていたVTRや画像が少し使われただけで、三中本人が希望していたレギュラーメンバーとして最後の復帰とも言えるめちゃイケ最終回への再出演を果たすことは遂に叶わなかった。
同最終回放送に関しても、番組終了まで残り2分を切ったラストムービーではサザンオールスターズによる『みんなのうた』をBGMに砂浜で腰掛けている岡村を盛装に身を包んだ初期メンバー達が迎え、さらに画面が引きに移ると共に追加メンバー達も登場、そして最後に一番端とはいえ触法行為で無期限追放となっていたメンバーも共に並ぶことを許されており、唯一その場にいない三中のことなど誰も気に掛けていない様子で楽しく盛り上がっていた。
それだけでなく、一列に並んで歩き去っていくメンバーの姿を背景に流れるエンドロールには、「おだいばZ会」メンバー(功労者として江頭2:50、エスパー伊東、佐野瑞樹アナも「Z会」の最後に加えられていた)に続いて歴代の出演者たち、製作スタッフの名前が列挙されていたものの、三中の名前だけはなかった。
極めつけに、「日本中の業界人のみなさま!この17人、めちゃめちゃいい仕事をしますので、春からの就活、つまりリクルートの方を、どうかよろしくお願い致しまーーす!!」というナレーションが流れた。“この17人”とは、言うまでもなく三中を除いた人数である。
ここに至っても三中は、映像や文字、そして音声でさえも完膚なきまでにいなかった存在として扱われた上、「17人のリクルートをよろしくお願い致します(=三中はリクルートの対象外です)」というナレーションによって、言外にフジテレビから他局や芸能界全体に対していわば「奉公構(ほうこうかまい、武士が勤め先を追放された上に、他の大名家にもその者を再雇用しないように通達されてしまう処罰)」のダメ押しを受けてしまった形で終わったのだった。
当人の三中も、同日には某芸人仲間の家のテレビでそのめちゃイケ最終回スペシャルを視聴しており、最終回でも和気藹々としながら活躍するめちゃイケメンバー達の中に自分だけ入れてもらえなかったのを嘆きながら悔しそうに咽び泣いていた事が、同芸人のTwitter投稿内で明かされている。
めちゃイケ終了後…
倉田てつをがオーナーを務めるステーキハウス『ビリー・ザ・キッド』東陽町店でアルバイトをしながら、Youtubeのマイナー芸人の動画にゲスト出演したり、ローカルアイドルのイベントにゲスト出演するなどして細々と活動していた。また、三中が降板した後も彼と連絡を取り合っている数少ないめちゃイケメンバーの一人である福徳によれば、吉本の劇場の売店で売り子を、良くも悪くも知名度はあった模様。
他にも前述のようなウルトラマンや仮面ライダーの知識を生かして本格的に特撮芸人として再起を狙っているとのことで、福徳も「いつかテレビで見られるかもしれない」と語っていた。
そんな中、2019年4月11日にテレビ東京系の番組「勇者ああああ 〜ゲーム知識ゼロでもなんとなく見られるゲーム番組〜」にて、約3年ぶりに地上波へ登場する。
その後は上記の福徳の言及通り特撮作品に関する知識を生かした特撮芸人へと転向し、2019年9月に同じ特撮芸人かつアマチュアの京佑と新コンビ・「スーパーヒーロー」を正式に結成して活動を開始する。
だが、実は当初の予定では前年の2018年5月に同コンビを結成する筈だったのだが、これの発表の際に三中が失礼極まりない一言を述べて(詳細はプロ芸人転向騒動の記事を参照)批判が殺到してしまい、その影響か定かではないが、同コンビ結成が1年以上も延期されていたという経緯があった。
そうした不遇のスタートを切った「スーパーヒーロー」はその後も目覚ましくない活動を展開していき、2020年5月からYouTubeで『吉本HEROS』というチャンネルを設立し、京佑と共に新たな方向で活動していく…かと思われた矢先、数回の動画更新の後に突如として全動画及びチャンネルが削除され、その後も何の報告も無しに相方・京佑のTwitterアカウントから「スーパーヒーロー」と三中に関する記述・画像までもが全て消されたことで、ネットユーザーの間で憶測が交わされる程の不穏な状況となっていた。それから程無くして同年の7月24日、三中の30歳の誕生日でもあるその日に京佑が自身のTwitterアカウントにて「スーパーヒーロー」のコンビ解散を正式に発表。そうして同コンビの活動は敢えなく終了した。
結局、前述の通り長い延期を経てようやく結成された三中と京佑による「スーパーヒーロー」は、売れるどころか話題にもならないまま活動の痕跡さえほとんど残らず、「dボタン」の頃を遥かに下回る1年にも満たない活動期間で奇しくも三中の節目の誕生日に解散を迎えるという、最初のコンビ解散から心機一転して二度目の同コンビ結成で再起の望みを懸けていたであろう三中にとっては余りにも悲惨な幕切れとなってしまった。解散の理由については「スーパーヒーロー」を結成して間も無く新型コロナウイルスが全国的に流行し始めたこともあって思うように活動が出来なくなり、その現状に焦る内に相方の京佑とも折り合いが悪くなっていき、遂にはその鬱憤を当人にぶつけたことで我慢の限界に達した京佑から見放されてしまったのが原因だったと、後述の新たに結成したコンビによるYouTubeチャンネルの動画内で三中本人の口から語られている。
【当該動画】
そうした悲し過ぎる形で二度目のコンビ解散を経験した上、周りの芸人仲間や同期からも「もう芸人は辞めた方がいい。これからは『元めちゃイケメンバー』という武器もあまり通用しなくなるし、何より世代が変わったら完全に忘れ去られていくから…」等の勧告を受けたことで三中はますます腐っていき、遂にお笑い芸人引退を考え始める。
だが、お笑い芸人は子供の頃からの夢でもあり、めちゃイケメンバー時代に潰してしまったみちのくプロレス企画で世話になっていたトレーナーの野橋から「お笑いだけは逃げ出すなよ」と激励された事や、かつてのメンバー仲間のジャルジャルからも劇場の売り子として懸命に働いていたことで劇場の仕事終わりに「頑張れよ。いつか苦労は報われるから」と応援されていた以上、ここで諦めればその思いをも裏切ったということでさらに後ろ指を指されると危惧したために何とか芸人引退を踏み止まり、後述のてつ丸と出会うまでは再びピン芸人として活動を続けていた。
現在
2021年9月20日、ピン芸人・てつ丸とコンビを組んだことが彼のTwitterで明らかとなり、三中にとっては三度目となるコンビ『ラフリベンジャーズ』として活動を開始。2023年現在でも活動中。
尚、今回のコンビ名は三中が提案したもので、曰く「(堕ちるとこまで堕ちぶれ果てた)今の状況から一発逆転でリベンジしたい」という想いを込めたとの事だが、それを聞いた相方のてつ丸は「パクリじゃん」と失笑していた。
さらにはある動画で井上正大と共演した際には井上が主催するオリジナル特撮作品「PINKの特撮」への出演交渉をしに彼の元を訪れ、PINKの特撮に出演させてほしいと井上に頼み込むが、前述のマイナスイメージを指摘され、「(三中を出演させる事で)「PINKの特撮」のイメージを悪くしたくない」と渋られてしまい、さらには後述した自身のドキュメント動画を見せられながら色々と追及されてしまう。彼自身は動画に取り上げられていた事が全て事実であると認めながらも、現在は反省し、一からやり直すという意味も込めて芸能活動の傍ら、自身がかつて顎で使っていたADのアルバイトをやっている事を明かした。
そして最後に出演を賭けて靴紐結び対決をすることとなったのだが、そこで自分で靴ひもを結べるようになっており、彼の成長が垣間見えるものの、対決には負けてしまう。それでも交渉した末にADとして雇ってもらえることとなったが、その途端に「ちょっと映っちゃったくらいはいいですよね?」「いずれは自身のチャンネルにも出演して頂きたい」等と軽口を連発して井上から「やっぱ欲豚やなぁ…」と呆れられ、「ちょっと調子乗り過ぎました」と慌てて謝っていた。
本人なりに過去の過ちを悔やみ、更生しようと努力はしているようであるが、やはり「根っ子の黒い部分」はまだ少なからず残っているようで、井上からも「(未だに炎上するのは)そういうトコ(が原因)じゃないですか?」と苦笑混じりに指摘されていた。
2021年11月にはYouTubeで投稿された三中が相方のてつ丸と自身のドキュメント動画を見る動画で、靴紐事件について『自分からADに靴紐を結ばせていたのではなく、本当は連続で縄跳びをさせられて疲れ果てて動けなくなった自分を見かねたADが靴紐を結んでくれた』という真相を語っていたが、それに対する動画視聴者からは話を盛った岡村への批判よりも「今更それを弁明したところでどうなの?」「遠回しに岡村さんの事を『嘘つき』呼ばわりしてるよね?」「それが真相なら、どうして井上さんの動画出演時には明かさなかったの?」と懐疑的だったり否定的な意見が多かった。
批判と擁護
一度は『1万人近くの応募を掻い潜って、人気番組のレギュラーメンバーに選出される』という絶頂に立ちながらも、力量や立ち位置を正しく見据える事が出来ず、やがて己の人気に慢心し、『芸能界』という普通の社会とも異なる特異な常識の蔓延る世界で立ち回る術を学ぼうとせず、手前勝手に振る舞い続け、幾多の忠告や小言も聞き入れる事なく、テレビ業界のルールに尽く反目する行動を繰り返した為に、最終的に手に入れた栄光や、更なる高みに登れる可能性もあったチャンスさえも潰してしまったばかりか、数多くの汚名を背負わされながら転落したという、まさに『事実は小説よりも奇なり』といえる栄枯盛衰を見せた三中であったが、こうなった経緯について視聴者の間では「本人の驕りや素行の悪さ、根性の無さが招いた自業自得」と見る派、「番組側の節操ない方針に振り回された被害者」と見る派に二分されている。
三中に対する批判
めちゃイケ時代(特にプロレス企画)を通して見せた素行不良の影響が尾を引き、現在に至るまで週刊誌、SNSなどで罵詈雑言が並べられている。
一般人からの批判
ネット上ではニュース記事などで話題に上がる度に、それを受け取った一部のユーザーからここぞとばかりに「まるで成長していない」と冷やかされたり、多くの非難や罵倒を受ける羽目になっている。中には『めちゃイケを終わらせた原因は三中』という当てつけ同然な意見も度々見受けられ、下記の芸能界からの批判を叩き棒としてあたかも正当な批判であるかのような振る舞いも見られる。
ただ、めちゃイケの放送終了の原因は裏番組の台頭と番組自体の経年劣化が重なった慢性的な視聴率の低迷も重なったこととされており三中が起こしたトラブル自体がとどめを刺したわけではない。(詳しくは番組の記事を参照)奇しくもその一つはめちゃイケ再オーディションに参加していたゲストの出川哲朗主役の番組であった。
三中本人も、めちゃイケ降板直後から「先輩芸人だけでなく道行く人にまで“クズ”呼ばわりされる」などの風評被害に悩まされている事を告白し、その後も「本人なのに誰にも気づいてもらえない」、「一回企画を逃げただけで、未だに世間からは犯罪者の様に扱われる」などの自虐エピソードや鬱屈した想いを雑誌取材やゲスト出演した番組などで打ち明けている。
芸能界からの批判
人間性のみならず、芸人としての素質についても芸人仲間やその他芸能人の間でも評判や印象が芳しくない。
三中がプロ芸人に転向した際、江頭2:50はdボタンに対して「お前らには(お笑いなんて)無理だ」「絶対売れねえよ」と厳しいコメントをしており、二人が長持ちしないということは彼も予想していたようである。
また、上述の2019年に久々に地上波番組に出演した際には、収録中に何かしらの粗相をしでかしたのか、共演したハリウッドザコシショウやハチミツ二郎から『アイツ(と共演した事)を記憶から消したい(ハチミツ)』『二度と共演したくない(ザコシショウ)』と辟易され、2021年には霜降り明星が、めちゃイケメンバーについて語ったYouTubeの動画において、三中について『メンバーとして認めていない(粗品)』『好きな人なんて一人もいない(せいや)』と辛辣な意見を投げかけ(動画内のテロップにも名前が載せていなかったがそれは三中だけでなく武田真治や敦士の名前も載せておらず、三中同様に毛嫌いか認めていない節も見られる)、先程の井上も三中を自身の手掛ける番組に関わらせる事でイメージダウンが生じる事への懸念を抱いていた。
このように上述の面々の他、前の項目で取り扱った安村を含む名だたる先輩芸人はおろか、三中にとっては一応後輩にあたる芸人達からもその芸人としての素質、人間性を批判する発言が度々上がっている(ただし安村も不倫をやらかした身分であることや霜降り明星、特に粗品も炎上する発言が目立つため、客観的に見るとダブルスタンダードとも言えなくもないが…。また井上の『欲豚』という表現も、いじりやツッコミにしては過激であり、いくら相手が三中とはいえ失礼である)。
批判も極めれば人気…?
これまで述べた事情から、未だ世間から『悪い意味』で好奇の対象となっている三中であるが、その反面、当記事にも参考資料として取り上げている彼の栄華と転落までの一部始終、そして彼のしでかした不祥事を紹介したドキュメント動画の再生数は2021年5月にアップロードされてから僅か半年も断たぬ間に200万回再生を突破し、当ピクシブ百科事典に個別記事を持つ吉本興業の芸人の中では、あの明石家さんまに次ぎ、ダウンタウンをも超える2番目に記事の閲覧数が多いなど、軽蔑や嫌悪といえども未だに人々の興味・関心を惹いている事は事実で、三中にとっては痛し痒しな現状といえる。
また、一連の三中の顛末を見届けた若者達の中からは「三ちゃんのおかげで“タレント”や“お笑い芸人”とは何たるかを知る事が出来た」「『安易に有名人になろうとしても碌な事にならない』という良い教訓になった」「めちゃイケはファミリーと言っておきながらクビを視聴者に責任転嫁させて切り捨てる陰湿でドス黒い番組」と(皮肉を含めながらも)三中に感謝する意見も少なからず上がっていた。
ただステージに立って漫才やコントを披露したい、バラエティ番組の楽しい企画で笑いを取りたい等の目的で芸人を目指していた若者達が、三中の大失敗を見て、お笑いの世界がテレビで映るような華やかで楽しいことばかりではないという”現実”を知り、夢を諦めて(考え直して)くれたのならば、決して無駄ではなかったと言える。
新メンバーオーディションに対する批判
一方で三中自身の問題だけではなく、彼がメンバーに加わるきっかけになった新メンバーオーディションについて、「"素人"を新メンバーに加えるのは無謀だった」という見方も三中降板以前から根強かった。
中には「新メンバーを入れること自体失敗だった」とオーディションそのものを否定する意見も多い(※これについての仔細は『めちゃイケ』の記事内にある別箇項目を参照)。
また、それ以前にオーディション開始時期は既にめちゃイケはほぼ末期に入っていた時期で視聴率の低下や岡村不在の体制の中でオーディションを番組内で何度も流す諄いやり方からも「こんな状況でオーディションをする時間は無いだろ」と新メンバー以前に批判も多かった。
採用された新メンバーの『たんぽぽ』『重盛さと美』『ジャルジャル』『敦士』にも外見、人格が露わになった際や初期メンバーとの個性被りから視聴者やSNSには「三中よりも絶対いらない」と批判(ただし、たんぽぽだけは好意的な意見はそれなりにあった)。実際、中でも特に批判的な意見が多かった敦士は、三中降板以降、「自分がこの番組にいる意味はあるのか?」「自分も三ちゃんのようにめちゃイケをクビにされるのでは?」という焦燥感を内心ずっと抱いていたことを、めちゃイケ最終回で明かしている。
後に番組のメインプロデューサーの片岡飛鳥も「新しいメンバーを入れるという話を聞いた時、自分は正直“反対”だった」、「(実際に入れてみて)素人をレギュラーとして使うことの難しさを痛感した」と暗に三中ひいては新メンバーを加入させたことそのものが失敗であった事を認めている節を窺わせる発言をしている。
その後のめちゃイケ関係者との関わり
三中曰く番組降板以降も定期的に連絡を取り合っているメンバーは矢部とジャルジャルの2人だけであるとの事だが、一方で岡村、濱口などの三中に対して頑なな態度をとっていためちゃイケメンバーも、めちゃイケ終了後、三中に対する態度を以前よりは多少なりとも軟化させつつあり、加藤や鈴木も第三者を挟む形ながらも、何度かやり取りを交わしている事が明かされている。
一方、フジテレビとは依然として関係を修復出来ておらず、三中の降板以降はそれまで親しかった制作スタッフが掌を返すようにメールアドレスや電話番号、そしてLINEまで当人が知らない内に変更していたことが判明。
三中が他局やインターネットの番組に出演する際にも、フジテレビ側は基本的にめちゃイケ出演時代の映像資料を使用することを一切許可していない(尤もこれは、三中だけに限った話ではないのだが)。
芸風及びそれに伴う展開
『めちゃイケ』の出演時代、主にいじられキャラという扱いだった。際立ったトーク術やギャグも皆無であり、それらの点は降板前から指摘されていた。
臼杵とのコンビ・「dボタン」時代は漫才メインだったが、その大半はナインティナインが若手時代に披露したネタをコピーしただけの内容であった。吉本興業のネタ見せオーディションの際にそれを見せたことで、他のめちゃイケメンバーや講師からは批判を受け、加藤からは「基本的にパクリですよ」と酷評される。また、グレープカンパニー及びASH&Dのオーディションを受けた際、前者では通常の漫才で後者ではコントを披露したが、それぞれで演技力が無い・ボケが分かり難いと講師陣からダメ出しされ、コントよりも漫才の方が合っていると勧められる。そして松竹芸能のオーディションでも時事ネタを取り入れた漫才を披露したが、講師陣からは時事ネタのセンスがないとのダメ出しを受け、結局それからはごく普通のネタ路線に切り替えた。続く人力舎のオーディションではナイナイのネタをパクった事を逆手に取ったネタを披露するも「ツッコミが弱い」とのことで、偶然居合わせていた事務所の先輩でM-1グランプリ優勝経験者のアンタッチャブル柴田からプロによる文句無しなツッコミのお手本を見せられ、その途方もない実力差を思い知らされていた。こうして計6社のオーディションを受けた結果、半数となる3社から「お笑いの養成所で一から出直すべき」、もう1社からは「自社のカラーとは合わない」という理由で落とされ、基本的に「来るものを拒まず」体制の吉本興業とかつてめちゃイケ新メンバーオーディションにおける最終選考候補者の一人であったトミドコロから推薦があったグレープカンパニーの2社のみ、三中のお笑いの実力自体がさほど重視されず、前者は緩い審査、後者は偶然とはいえコネで合格となった。そして三中は憧れのナインティナインやジャルジャルと同じ事務所ということで吉本興業への所属を選ぶが、後に実力を生かす為に出場したM-1グランプリでは呆気なく予選で落ちるという惨敗を喫していた。
そしてdボタン解散後のピン芸人時代はケチャップ一気飲みや顔モノマネ、特撮知識を活用した特撮あるあるネタを持ち前に披露していたが、芸人仲間からは失笑を食らい、ケチャップ一気飲みは芸人関連に精通した芸能ライター曰く「芸人のネタとしては箸にも棒にもかからないお粗末極まりない一発芸」と記事で容赦なく扱き下ろされる憂き目に遭い、特撮ネタに関しても「知識が豊富の割に、肝心のネタの内容はどうでもいい特撮のうんちくを並べているだけで、面白くない」と切り捨てられ、顔モノマネに至っては「全く似てない上にブサイクさが増す」などと暴言同然に非難される始末だった。
結局それらの酷評を受けて以降、ケチャップ一気飲みと顔モノマネを再び披露する事は無くなった。
それから約1年後、新たに結成したコンビ・「スーパーヒーロー」時代では特撮芸人の京佑と共に仮面ライダーや戦隊特撮をネタにした漫才を披露していた。しかし、メディアからはスーパーヒーローの名が汚れると非難を受け、三中がお笑いヒーローの企画書を作れば周囲から「三ちゃんが主役とか誰も見ないよ」「三ちゃんにヒーローは無理でしょ」等の辛辣な意見を浴びせられるなど、人気は悪くなるばかりだった。
それでもそのネタを披露し続けた結果、少しばかりの人気を得たことで再度M-1グランプリに出場するものの、結果は前回と同じく予選落ちに終わった(しかもこの時、同じグループブロックでは他のプロのお笑いコンビ全員が二回戦へと進出しており、同ブロックで敗退したのはスーパーヒーローと某アマチュア芸人コンビの2組だけであった)。そればかりか地方のイベントで行われたプロ・アマ含んで僅か6組しか出演していない漫才コンテストですら、優勝どころか上位3組入りも逃すなど全く成果を上げられず、後に前述の通り新型コロナ発生の影響により活動自体が制限されたことでコンビ仲も次第に悪化していったのがトドメとなり、結果スーパーヒーローは日の目を見ることなく1年足らずで解散するという、dボタン時代が可愛く見える程の報われない末路を迎えてしまったのだった。
そして現在に至るまでに、マイナーYouTuberと共に自身の自虐トークを中心に披露して相変わらずの批判や若干の人気も得ながら、「サボり、逃亡の常習犯」というイメージを払拭するためにジムで減量に挑戦するなどしていたが、新たに出会った芸人のてつ丸と結成した三度目のコンビ、ラフリベンジャーズが開設したYouTubeチャンネルでは、初っ端から相方のてつ丸に引っ張られる形でしか立ち回れない姿が目立ち、投稿する動画自体もかつてのめちゃイケと似たようなテロップ表示やキャラを出してくるものだったり、動画の内容も既に終了しためちゃイケに関する今更な裏話をするものだったりと、ただ自身のやりたい事しかやっていないネタが中心で人気が出て売れるには程遠いものばかりであった。さらには自ら考えたとある企画をやる際、協力を依頼した関係者のお偉方との間でかつてみちのくプロレス企画を放棄した時と同じような不義理を働いていたことが発覚し、それを先方から指摘され協力を断られると、あろうことか前述のめちゃイケ時代に露呈した礼儀の無さや態度の悪さ、言い訳癖をまたしても見せたため余計に視聴者の反感を買って非難・糾弾される始末で、未だにめちゃイケへの未練を断ち切れず、過去の栄光に縋り続けながら独り善がりのネタしか出来ない芸人として芳しくない活動を続けており、2023年10月にはラフリベンジャーズとしては最初で三中にとっては文字通り三度目の挑戦となるM-1グランプリに出場するも、結果は今までと同じく予選すら突破出来ずに終わる体たらくで、現在も不遇な状況から抜け出せないままでいる模様。
参考資料
【実話】三中元克(三ちゃん)がめちゃイケをクビになった真相...岡村隆史を本気で怒らせた非常識な素人。
三中の栄光と転落までの経緯が詳しく説明されている。なおラフリベンジャーズのYouTubeアカウントにて三中本人が上の動画を見てリアクションする動画も投稿されている。
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関連タグ
めちゃイケ 岡村隆史 吉本興業 みちのくプロレス
不祥事 風評被害 出禁
臼杵寛…『dボタン』(2016年2月~2018年1月)時代の相方
京佑…『スーパーヒーロー』(2019年9月~2020年7月)時代の相方
てつ丸…『ラフリベンジャーズ』(2021年9月~)現在の相方
山本圭一…同じく不祥事(こちらは触法行為)によって途中降板しためちゃイケレギュラーでめちゃイケの評価が下へ傾きだした最初の原因とも挙げられ、嫌悪する者も多い。三中と違い、最終回において(事実上)復帰を果たした。
明松功…通称「ガリタ」。彼のプロデューサー就任とその後の番組の私物化同然といえる専横極まる内容構成も、番組の寿命を著しく縮めた理由の一つとして挙げられており、三中同様にめちゃイケを打ち切りに追い込んだ張本人に数えられる事が多い。しかし他局の食レポ番組が成功して今もなお続いているため、ガリタ食堂が番組終了の全ての原因とは言い難い。
現在はフジテレビを退社している。
クロちゃん…ネット上を中心に似たような扱いを受けている芸人。尤も彼は自らのクズぶりを見事にお笑いとして昇華させており、『人間としては最低だが、芸人としては最高』と評価する声も多い。また、プライベート時のファン対応の良さなど、人間的に良い部分も多数あり、ファンも少なくない。要するに自身の黒さを武器にした三中のIfのような存在。
河西智美…三中同様に『人気番組の企画を途中で放棄し、逃げ出す』という問題行為を起こした国民的アイドルの一人だったタレント。濱口が別番組で三中同等に非難していた。
みなみちゃん…かつて三中同様に一般素人として他局の愛の貧乏脱出大作戦に出演して達人の元で修行していたが早々に脱走した上、その達人の料理を無断で提供する暴挙にも出るクズ料理人。その後MCのみのもんたから叱責され、再度修行を申し出たが結局1ヶ月も経たない内にまたしても脱走。最終的にその行為を知らされたみのもんたは遂に彼を見限ってしまう。
宮迫博之…こちらは反社会的勢力との交流や謹慎破りなど三中より悪質なトラブルを起こしたことで吉本興業を解雇されたばかりでなく、会長からも見限られ、民放やNHKはおろかローカル局含む全てのテレビ番組にすら出演できなくなるという事実上彼よりも重い処分を受けた。なお、事の発端の騒動はめちゃイケ終了翌年の出来事だったため、処分にめちゃイケが巻き込まれることはなかった。