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概要

1990年7月24日生まれ、大阪府出身。愛称は「三ちゃん」。


フジテレビバラエティ番組めちゃイケ』の元メンバーとして知られ、現在は“お笑い芸人”に転向している。

後述の通り、素人からプロ転向に至るまでの特異な経歴によりネット上でたびたび議論の的となっている。


経歴

めちゃイケレギュラー時代

小学校の卒業文集に「「岡村隆史のような芸人になりたい」と綴るなど、幼少期からお笑い、そしてナインティナイン岡村隆史のファンであり、お金を貯めて吉本興業のお笑い養成所『NSC』に入学しようと考えていたが、2010年7月から岡村が体調不良による長期休養に入った為、同年9月4日放送のフジテレビめちゃ×2イケてるッ!』にて、新たなレギュラーメンバーを募集する全国オーディションを開催することを知り、元から『めちゃイケ』のファンでもあった三中は迷いなくオーディションに応募。

プロ、アマ含めおよそ一万人近くの応募者を掻い潜って、見事、素人枠から唯一選出され、晴れてめちゃイケレギュラーメンバーの一人に加わった。


大のめちゃイケファンである朴訥な青年」というキャッチコピーの下、『三ちゃん』の愛称を与えられ、イジられキャラ・マスコット的存在として扱われていた。2011年のフジテレビ新春キャンペーンではイメージキャラクターに選出されたり、時は番組内において岡村に次ぐ数のメインのコーナー・企画を持つなど、まさに破竹の勢いだった。


だが、メンバーに加入してから次第にテレビ慣れするに伴って、共演者やスタッフ、一般人への接し方などにおいて不遜とも取れる振る舞いが目立つようになった事から、番組側もそれまでのようにただのマスコット的存在として持て囃すばかりでなく、TPOを学ばせる目的も兼ねて、お笑い番組の出演者としての『身体を張った』企画もさせる方針に切り替える。


その一環として、2013年9月、東名高速道路・足柄サービスエリア(下り線)で行われた企画「めちゃイケサービスエリア」では『総支配人』にとして、2014年9月までの約1年間のイベント期間中、東京での収録以外は現地の店舗で売り子をしていた。

しかしながら、それらの企画を通じても素行の改善に至らなかった為、2014年10月から、新たな企画として、プロレスラーを目指すことになり、新崎人生率いるみちのくプロレスへ「テスト生」という形で仮入団し、みちのくプロレスの合宿所に入寮。同団体所属のプロレスラー 野橋太郎をトレーナー役に据え、まずはプロレスラーの練習生になるためのテスト合格を目指すことになった。

だが、元々この企画に乗り気でなかった三中はテストに受かるための練習を手抜きしたりさぼったりするなどいい加減な形でしか取り組めず、結果的に1回目のテストは不合格に終わってしまう。それでも直後に練習生テストの再実施を志願し承諾されたことで、再テストが1か月後に行われることになった。

だが、再テスト1週間前、練習がより過酷になり体が追いつかなくなった事や、急にプロレス企画に参加することになった事への不安・不満などをスタッフに吐露し、ついには募り積もったものが爆発する形でトレーナーの野橋と衝突。企画のリタイアを宣言して帰京してしまった。

この時はレギュラーメンバーの中でも兄貴分的存在であったジャルジャルからの激励を兼ねた説得により企画に戻ることを決意し、自らみちのくプロレスのイベントに参加したことで野橋から復帰を許され、合宿所に戻って練習を再開。結果、年を跨いだ2015年3月に再テストに挑んで見事合格し、改めてプロレスラーデビューを目指して企画に取り組み始める。


ところが、同年の7月中旬。企画途中経過でのマンネリ化や体力的な限界に人間関係の不調、そして周囲の誰もが企画に打ち込む自身に構ってくれないことへの不満、試合後に血まみれ、傷だらけになって戻ってくるレスラーたちの姿を見て「自分もあれをやらされるのか」と考えると怖くて先に進めなくなった事が原因で精神状態が不安定になり、そうしたプロレス企画への不安やめちゃイケ加入以前より燻らせていた『プロのお笑い芸人になりたい』という志が再燃したことを理由に、再びみちのくプロレス合宿所から脱走。今度は周囲が幾ら説得を重ねても戻ることを頑なに拒否し、最終的に企画辞退を番組側へ申し出た。


更に三中はこの脱走中に、旧友であった吉本興業のアイドルグループ「L.A.F.U」のメンバー 臼杵寛を誘い、お笑いコンビ『ワンハンドレッド』を番組側に無断で結成していたことや、やはり番組への相談も一切ないまま、幾つもの芸能事務所やタレント養成所へ履歴書を送ったり、オーディションに参加していたことも発覚。それらの事実を把握した新崎、野橋らからも愛想を尽かされたことでプロレス企画は事実上継続不能に陥り、最終的に双方の合意が成立し同年9月にお蔵入りとなってしまい、結局三中はプロレスラーデビューも果たせぬまま、みちのくプロレスを退団することとなった。


その後、なんとか番組からはプロ芸人転向を認めてもらえたものの、それまで番組では主にいじられキャラという立場で際立ったトーク術や持ちギャグも皆無であった事もあり、その後のオーディションでの三中は、吉本興業のネタ見せオーディションにおいては、ナインティナインが若手時代に披露したネタをコピーしたも同然な漫才を披露した事で、密かに見守っていためちゃイケメンバーや、オーディションの審査員役の講師から「基本的にパクリ」と酷評されてしまう。

そこでコンビ名を自身と臼杵のラッキーナンバーである「3」に因んだ『サンプライズ』へと改名して完全オリジナルのネタで勝負する方針に切り替え、来る2016年2月19日。合格したよしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属することを決める。


こうして正式に本職であるお笑い芸人の肩書きを持つに至った三中であったが、当初は“素人”としてメンバー入りしたにもかかわらず、番組から与えられた企画を放棄するというプロ意識に欠けた行動を犯しながら“プロ”のお笑い芸人に転向しようという矛盾した行動について、岡村や加藤浩次濱口優鈴木紗理奈を初めとする他のめちゃイケメンバー達からは懸念や怒りの声が相次いだ。


さらに、自身の最大の売りであった『素人』の肩書を捨てたことについても、吉本の先輩芸人達からは「めちゃイケ新メンバーオーディションの際に、合格を目指して必死でネタ作りや一芸を磨こうと頑張っていた他の一般人の参加者達や、不合格だったために解散したお笑いコンビに対して失礼である」と激烈な批判を受けることとなる。

中でも5年前に新メンバーオーディションの最終選考で三中と争っていたダイノジの大地は、三中にレギュラー権を奪われた時には彼が『素人枠』であったが為に諦めもついていたが、そんな三中が実に身勝手な動機で『素人』の立場を捨てて自分達と同じお笑い芸人となり、それでいて尚もめちゃイケにレギュラーメンバーとして居続けようとすることを涙ぐみながら「お笑い番組の企画から逃げた癖にお笑い芸人になって、それで番組にはまだ残るつもりかよ!?そりゃおかしいでしょ!」「プロの芸人なら、ちゃんと『プロ』としてめちゃイケメンバーのオーディションをもう一度受け直せよ!」と非難・抗議した。これが発端となり、同年2月27日に放送された「真冬に汗をかきまくれ 国民投票だよ全員集合 全力の生スペシャル!!」にて、“プロの芸人”としてめちゃイケに残留するか否かを賭けた再オーディションを行うこととなった。


当日の生放送では視聴者がデータ放送スマートフォンで投票し「合格」「不合格」のどちらかに投票できるという形式で行われた視聴者投票による『”芸人”としてレギュラー参加をかけた再オーディション』を受け、生放送の中でお笑いコンビ『サンプライズ』として漫才を披露したが、約63万票の投票を集めた結果、最終的な投票で合格ラインを超える支持率を得られず、翌週の2016年3月12日放送の回をもって三中は番組から正式に降板となった


再オーディション終了後、フジテレビのネット配信番組にて中継された残念会の中で、再オーディションのゲストだった出川哲朗の助言もあり、コンビ名を正式に『dボタン』に改名し、名実共に一人の駆け出し芸人から再スタートすることとなった。


めちゃイケ降板後…

上述の通り、企画放棄や独断でのプロ芸人転向からの半ば懲戒免職も同然に降板する形となった三中は、その後、めちゃイケ視聴者を中心とする世間から露骨な嘲弄や誹謗中傷を一身に受けながらも、地道に芸人として活動を続け、2017年には箱根で開催されたイベント『めちゃイケ温泉』のコンシェルジュとしてゲスト参加していたが、番組内では全く触れられることはなかった。

また、お笑いとしての表現力を高めるために自ら劇団「三ランポリン4アター」を立ち上げて、舞台役者としても活動するなどしていた(ちなみにこの「三ランポリン4アター」の団員にはお笑いコンビ『EXIT』の兼近大樹も在籍していた)が、程なくしてこの劇団は自然解散してしまった。

その後も劇場や様々なイベントに出演するものの、特に目立った活躍も無く、さらにはめちゃイケが2018年の3月末を以て終了する事が決定し、『コンビでめちゃイケのレギュラーに返り咲く』という大きな目標をも失った影響か次第に『dボタン』の活動は減っていき、最終的には「方向性の違い」という理由で2018年1月にコンビ解散となった。


それから2ヶ月後の2018年3月31日。放送された『めちゃイケ』最終回は歴代最長となる5時間半の尺が取られたものの、その中で三中の存在については一部のメンバー(敦士矢部浩之)が卒業への思いを語る際に名前を出して触れたのと、その説明として過去のめちゃイケ新メンバーオーディション及び再オーディション時にその姿が映っていたVTRや画像が僅かに使われただけで、番組終了の発表以降で三中がメディアでも言及する程に熱望していたレギュラーメンバーとして最後の復帰のチャンスであった『めちゃイケ最終回への出演』を果たす事は遂に叶わなかった。


その後は、良くも悪くも知名度があった事から吉本の劇場の売店で売り子を任されたり、Youtubeのマイナー芸人の動画にゲスト出演したり、ローカルアイドルのイベントにゲスト出演するなどして細々と活動していた。

2019年4月11日にテレビ東京系の番組「勇者ああああ 〜ゲーム知識ゼロでもなんとなく見られるゲーム番組〜」にて、約3年ぶりに地上波へ登場する。しかし、開始早々序盤からめちゃイケのフレーズを豪語してスベるなど空回りをしでかし、更に三中自身はゲームの知識など全く知らず、肝心のトークではゲームの特徴やシステムについて何も語れず、番組の趣旨と関係ない話ばかりする上に、話術も素人時代からほとんど成長しておらず、面白い内容も無かった為、トーク途中でカットされてしまった

挙げ句に、共演したハリウッドザコシショウハチミツ二郎からは後日、「今までで一番つまらないゲストだった」「放送事故」「三中(と共演した事)を記憶から消したい」と散々扱き下ろされる等、幸先の悪過ぎる他局デビューとなった。



また、それ以前に三中は日本テレビのドラマである『人生が楽しくなる幸せになる法則』にも出演すると芸人仲間や関係者に豪語していたが、実際に出演していたのはたった一話で、それも僅か数秒ほどしか映っていなかったというエキストラ同然のモブ出演に過ぎなかった。その為、世間はおろか周りからは全く注目を浴びず、寧ろこの事実が世に明らかになったのは放送から3カ月も経った上記の「勇者ああああ」へ出演した直後だった。


その後、子供の頃から好きだったウルトラマン仮面ライダーの知識を生かし、本格的に特撮芸人へと転向。

そして2019年9月、同じ特撮芸人を売りとするアマチュア芸人・京佑と新コンビ・『スーパーヒーロー』を正式に結成する(実は当初の予定では前年の2018年5月に同コンビを結成する筈だったのだが、その発表の場で前コンビ『dボタン』やその名付け親になってくれた出川への恩義を無下にした内容の軽口を述べてしまった事で芸能界内外から批判が殺到してしまい、その影響か定かではないが、同コンビ結成が1年以上延期された)。


だが、それ以降もやはり目立った芸能活動は出来ず、コンビを結成してから年を跨いだ2020年。新型コロナウイルスが全国的に流行し始めたことで思うように活動が出来なくなり、元々人気を掴めていなかったことも含めた焦りから次第に相方の京佑とも折り合いが悪くなっていき、ある時とうとうその鬱憤や怒りを彼にぶつけてしまった事が決定打となり、同年の7月24日。三中の30歳の誕生日でもあるその日に京佑が自身のTwitter(現X)アカウントにて『スーパーヒーロー』のコンビ解散を正式に発表。そうして同コンビは売れるどころか話題にも上らず活動の痕跡さえほとんど残らぬまま、『dボタン』時代を遥かに下回る1年にも満たないコンビ期間で奇しくも三中の節目の誕生日に解散という、最初のコンビ解散から心機一転して二度目の同コンビ結成で再起の望みを懸けていたであろう三中にとっては余りにも悲惨な幕切れを迎えてしまった。


そんな三中の零落、迷走ぶりを見かねた先輩芸人達や母親からは、いい加減に芸人は諦めるよう忠告され、三中自身も一時はこのまま芸人を引退することも考えたが、子供の頃からお笑い芸人を夢見てきた気持ちは紛れもなく本物であり、さらにめちゃイケメンバー時代に自らの不義理で迷惑をかける形になってしまったみちのくプロレスの野橋からは、番組降板後の和解した際に「お笑いをやると決めたのはお前自身なんだ。これはお前が行くと決めた道なんだから、今度はもう簡単に逃げたりすんじゃねぇぞ」と激励された事や、かつてのメンバー仲間のジャルジャルからも劇場の売り子として懸命に働いていたことで劇場の仕事終わりに「頑張れよ。いつか苦労は報われるから」と応援されていた以上、ここで諦めればその想いをも裏切ったということでさらに後ろ指を指されると危惧したために何とか芸人引退を踏み止まり、再びピン芸人として活動を続けることにした。


2021年9月20日、ピン芸人・てつ丸とコンビを組んだことが彼のTwitterで明らかとなり、三中にとっては三度目となるコンビ『ラフリベンジャーズ』として活動を開始。2023年現在でも活動中。

尚、今回のコンビ名は三中が提案したもので、曰く「(堕ちるとこまで落ちぶれ果てた)今の状況から一発逆転でリベンジしたい」という想いを込めたとの事だが、それを聞いた相方のてつ丸は「パクリじゃん」と失笑していた。


さらにはある動画で俳優井上正大と共演し、井上が主催するオリジナル特撮作品「PINKの特撮」への出演交渉をしに彼の元を訪れ、PINKの特撮に出演させてほしいと井上に頼み込むなど、特撮芸人らしい活動も積極的に始めていく。

その動画では、井上からは自身のめちゃイケ降板までの経緯が描かれたドキュメント動画を見せられながら、自身に纏わる悪評について色々と追及され、三中もまた動画に取り上げられていた事が全て事実であると認めながらも、現在は反省し、一からやり直すという意味も込めて芸能活動の傍ら、制作側の事情も学ぶ為にADのアルバイトをやっている事を明かした。

それが功を奏し、交渉の末、最終的にADとして雇ってもらえることとなった上、その好から井上が主演・演出を務めた舞台版『牙狼 ~神ノ牙~』にも舞台俳優として出演している。


また、2022年には『仮面ライダーリバイス』に空気階段が出演した22話へエキストラとして出演しているなど、近年は特撮芸人と名乗るに相応しい活動を地道に続けている。


批判と擁護

1万人近くの応募を掻い潜って、人気番組のレギュラーメンバーに選出される』という絶頂に立てたところまではよかったものの、『一般人のレギュラーメンバー』という物珍しさが故に周囲から丁重に扱われ過ぎたことも要因となって、次第に己の人気に慢心、増長してしまい、その結果、自分の力量や立ち位置を正しく見据えることを怠り、周囲からの幾多の忠告や小言も聞き入れることなく、『芸能界』という普通の社会とも異なる特異な常識の蔓延る世界で立ち回る為の術を身に付けず、業界のルールに尽く反目する行動を繰り返すこととなってしまった。

その結果、せっかく手に入れた栄光ばかりか、更なる高みに登れる可能性もあったチャンスさえも潰してしまった上、数多くの汚名を背負わされながら転落したことについて「自業自得」「分不相応に調子に乗りすぎた天罰」であると切り捨てる声も多い反面、そもそも彼をメンバーに起用するきっかけとなった新メンバーオーディションを含め、めちゃイケの後先考えなかったり、『責任転嫁』とも見て取れる方針(仔細についてはめちゃイケの記事を参照)や番組スタッフの三中への対応についても問題視され、同時にそんな番組の節操のない様に振り回された三中もまた『被害者』であると擁護する意見も少なくない。


特にプロレス企画破綻の際に三中に対して徹底的に糾弾していた古参メンバーの岡村、濱口、加藤らはその時点で視聴者から賛否両論となっていたが、三中がめちゃイケから降板する最後の出演回において、新メンバー加入直後から岡村達は三中に対し邪険に接したり、企画やコーナーにおいて失敗すれば、それを三中のせいにして罵倒するなどあまりにも陰湿な行為を受けていた事も明らかとなったことから、三中の降板後は逆に世間から批判される事が多くなった。

これらの批判が故か、めちゃイケ末期において岡村達はあまり派手な言動や行為を慎むようになり、その後は自分達の番組で三中の話題を取り上げた際に同情する旨のコメントを述べたり、彼のメールにエールを送るなどフォローを行い、ある程度の関係は修復できた。


未だ世間から『悪い意味』で好奇の対象となっている三中ではあるが、その反面、当記事にも参考資料として取り上げている彼の栄華と転落までの一部始終、そして彼のしでかしたトラブルを紹介したドキュメント動画の再生数は2021年5月にアップロードされてから僅か半年も断たぬ間に200万回再生を突破し、当ピクシブ百科事典に個別記事を持つ吉本興業の芸人の中では、あの明石家さんまに次ぎ、ダウンタウンをも超える2番目に記事の閲覧数が多いなど、軽蔑や嘲弄といえども未だに人々の興味・関心を惹いている事は事実で、三中にとっては痛し痒しな現状といえる。


また、一連の三中の顛末を見届けた若者達の中からは

三ちゃんのおかげでお笑いの世界やテレビ業界とはどういうものかを知る事ができた

『安易に有名人になろうとしても碌な事にならない』といういい教訓になった

と(皮肉を含めながらも)三中に感謝する意見も少なからず上がっていた。

ただステージに立って漫才やコントを披露したい、バラエティ番組の楽しい企画で笑いを取りたい等と純粋にテレビやお笑いを含めた芸能界に憧れを抱いてタレントや芸人を目指していた若者達が、三中の大失敗を見てそれらの世界が決して華やかで楽しいことばかりではないという”現実”を知り夢を考え直すきっかけになったのならば、彼がめちゃイケメンバーとなった事は決して無駄ではなかったと言える(芸能界サイドからも第二、第三の三中が現れる事は決して望まれていない事と思われる)。


参考資料

【実話】三中元克(三ちゃん)がめちゃイケをクビになった真相...岡村隆史を本気で怒らせた非常識な素人。

三中の栄光と転落までの経緯が詳しく説明されている。なおラフリベンジャーズのYouTubeアカウントにて三中本人が上の動画を見てリアクションする動画も投稿されている。


関連タグ

めちゃイケ 岡村隆史 吉本興業 みちのくプロレス

不祥事 風評被害 出禁


臼杵寛…『dボタン』(2016年2月~2018年1月)時代の相方

京佑…『スーパーヒーロー』(2019年9月~2020年7月)時代の相方

てつ丸…『ラフリベンジャーズ』(2021年9月~)現在の相方


山本圭一…同じく不祥事(こちらは触法行為)によって途中降板しためちゃイケレギュラー。三中と違い、最終回において(事実上)復帰を果たした。


2代目林家三平…三中同様、在籍期間“5年半”で降板した国民的人気番組の元レギュラーメンバー。こちらは実力不足を理由に自ら番組を降板している。

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