概要
プロレスラーとして四国八十八箇所の巡礼者(お遍路)をギミックとしたキャラクターで活躍し、みちのくプロレス社長や飲食店経営など実業家としても活動。
みちのくプロレス隋一のヘビー級レスラー。
プロフィール
来歴
小中学校時代にはサッカーをしており、高校でレスリング部に在籍(後輩にアレクサンダー大塚がいる)。
卒業後は俳優を志し、JAC在籍の後、菅原文太(後に新崎の後援会長となる)の付き人などを務めていたが、プロレスに傾倒、ユニバーサル・プロレスリングに入団。
(グラン浜田を中心に浅井嘉浩(現:ウルティモ・ドラゴン)、秋吉昭二(現:邪道)、高山圭司(現:外道)、脇田洋人(現:スペル・デルフィン)らが在籍した団体。略称は『UWF』だが前田日明らのUWFとは関係ないもののグラン浜田は第一次UWFに参加)
1992年11月19日、東洋系覆面レスラー「モンゴリアン勇牙」としてデビュー、ユニバーサルの大半の所属選手がみちのくプロレスに移るとそれに追随し、お遍路さんのギミックを施したキャラクターレスラー「新崎人生」として再デビュー。
デビュー当初はヒールで試合前・試合後を通じ一言も発しないというスタイルを貫き、短時間で若手選手を圧倒する試合を続ける。
1994年4月29日の対ザ・グレート・サスケ戦で「念仏ケブラーダ」を初公開し、当時の団体エースであるサスケからデビュー1年足らずで勝利を収めた。 これを機に一躍トップレスラーの仲間入りを果たす。
1994年5月、アメリカのプロレス団体WWF(現WWE)の日本興行シリーズ『WWFマニア・ツアー』に参戦。全身に写経を施した耳なし芳一スタイルで出場し観客の度肝を抜いた。
これが幹部の目に留まり1995年1月、白装束の使者「白使(Hakushi)」をリングネームに、怪奇派のヒールとしてWWFに登場。
1996年4月に一時帰国し「新崎"白使"人生」名義で新日本プロレスの東京ドーム興行に登場。グレート・ムタと戦い高い新日ファンからも高い評価を受けた。その後、WWFと契約解除しみちのくプロレスに出戻った。他団体ではFMW・全日本プロレスのマットにも上がりジャイアント馬場からも高く評価された。この時にハヤブサや三沢光晴らと親交を持ち彼らが亡くなるまで親交は続いた。のち新日本に再び登場し今度は武藤敬司と共闘している。
2003年6月、当時のみちのくプロレス社長で創設者のザ・グレート・サスケの後を引き継ぎ、社長に就任。
(サスケが岩手県議会議員に当選したことによるもの。2009年にサスケが落選により社長復帰。2024年に新たに団体の運営母体となる「株式会社ミチプロ」設立、サスケが会長、新崎が社長に就任。)
2006年からは女子プロレス部門であるセンダイガールズプロレスリングを旗揚げ。
一方で徳島ラーメン専門店「徳島ラーメン人生」、肉汁つけうどんの店「人生」、今治焼鳥の店「鉄板焼鳥アイアンチキン」を開業、飲食店経営もしている。
(2020年現在「徳島ラーメン人生」以外はすべて閉店。「センダイガールズプロレスリング」の運営会社・みちのくエンタテインメント有限会社は2011年8月、新崎が代表を辞任して所属選手の里村明衣子が就任、2018年1月、株式会社へ移行しセンダイガールズプロレスリング株式会社に社名変更した。)
役者としても、2020年の映画『一度も撃ってません』(ポパイ / 南雲雄平役)やNHKの大河ドラマ『平清盛』にも出演した。
また、実際に四国八十八箇所参りを実際に行ったこともある。
得意技
念仏パワーボム
念仏ケブラーダ
高野落とし
拝み渡り
眉山 等。
関連タグ
ドラゴン・キッド - ドラゴンゲート所属のプロレスラーで遠縁の親戚。
宇梶剛士 - 菅原文太の付き人時代の兄弟子。新崎人生のリングネームの名付け親。
佐々木健介 - 同い年の元プロレスラーで本名も被る。新崎人生のリングネームが誕生した理由の一因。