概要
かつて壇ノ浦の戦いで海に沈み滅亡した安徳天皇ら平氏一門を供養する、山口県下関市の阿弥陀寺(現在は赤間神宮という神社)を舞台とする。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談』に紹介されたものが特に有名。
曽呂理物語の耳切れうん市などの似た話(おそらくもとネタと思われる)が、日本各地に分布しており、善光寺(長野県)に伝わるものは、「イケメンの法師うん一が、死後ストーカーと化した尼僧の幽霊に無理矢理連れ込まれたという話である。
有名な話なので、「全身に経文を描かれたもの」「耳が取れてるもの」の絵にはこのタグがつけられる。
「先達野の耳なし地蔵」とい話もルーツの一つなのではという説もある。
ストーリー
かつて、源氏と平氏の決戦が行われ、多くの平氏の武将や貴人が海に没した壇ノ浦の戦い。その平氏一門の供養のため、壇ノ浦を望む海辺に建てられた阿弥陀寺という寺に、芳一という若い琵琶法師が住んでいた。芳一は盲目であったが、平曲の弾き語りでは右に出るものはいないと評判で、特に壇ノ浦の段を最も得意としていた。
ある夕暮れ、芳一が寺の縁側でひとり琵琶の稽古をしていると、誰かが庭先に入ってきた気配がある。「どなたですか」と芳一が尋ねると、武士らしき男の声で「拙者はある高貴なお方に仕える者。わが主は芳一どのの琵琶の評判を耳になされ、ぜひお聞きになりたいとご所望です。どうか私についてきて、その腕前を披露しては頂けませぬか」という。
芳一が男に請われるままについていくと、目には見えないが周囲の気配からたいそう立派な屋敷に入ったようで、通された広間の左右には多くの家来らが控えているようである。すると正面から主人らしき人物の声がする。「芳一どの、よくぞ参られた。ぜひ存分にその腕前を聞かせてもらいたい」芳一が平曲の弾き語りを始めると山場ごとに周囲からは感嘆の声が聞こえ、特に弾き語りの最大の山場である壇ノ浦の段では、多くの人がすすり泣く声さえ聞こえてきた。芳一はあまりの自分への評価の高さに内心驚いたが、主人とこれから七日間、同じ刻にこの場所で弾き語る約束をして寺に帰った。
それから芳一は、毎日夕方になるとどこからともなく現れる武士に連れられ、屋敷で弾き語りをしては夜更けに寺に帰ることを繰り返した。しかし、数日がたった頃、阿弥陀寺の和尚は芳一の異変に気づいた。目の見えない芳一が毎晩外に出歩くだけでも不審だったが、その芳一の顔色が日ごとに青ざめ、ほおが痩せこけていくのである。不審に思った和尚は六日目の夕方、寺を出て行く芳一の後を寺の召使いの男に命じてつけさせた。すると、芳一は平氏一門の墓所に入っていくではないか。そして墓場で寺男が見たのは、安徳天皇の墓石の前で無数の人魂や鬼火に囲まれて平曲を語る芳一の姿だった。
寺男から事情を聞いた和尚は芳一を問い詰め、ついに芳一は全てを打ち明ける。「芳一よ、お主を呼び寄せたのは平氏一門の怨霊じゃ。明日、最後の七日目も出掛ければ、お前は間違いなく取り殺されてしまう。しかし、怨霊を鎮めるのは普通の方法では無理じゃ。わしに任せておきなさい」
七日目の朝、和尚は芳一を裸にさせると、寺の小僧らと手分けして、芳一の全身に般若心経を書き込んだ。般若心経の加護によって、怨霊には芳一の姿がわからなくなるのである。そして、和尚は芳一に怨霊に話しかけられても決して返事をしないように固く言い含めた。
そして夕方、いつものように芳一を呼ぶ声が現れた。「芳一どのよ、今日がいよいよ最後の日じゃ。どこにおられるのか」しかし、怨霊にはそこにいるはずの芳一の姿をとらえることができない。怨霊の声は次第に恨めしく、恐ろしいものとなる。「芳一!出て参れ!芳一ぃぃぃぃ!!」芳一は恐怖にじっと耐え、心中で般若心経を唱え続けた。
すると、武士の怨霊はあることに気がついた。芳一の耳だけが空中に浮かんでいるのである。なんと、小僧が芳一の耳にだけ経を書き忘れていたのだ。「芳一がいないのならば仕方がない。間違いなくこの場に来た証に、この耳だけでも持ち帰らん……」
明くる朝、和尚が見つけたのは両耳の跡からおびただしい血を流し、しかしその激痛にも耐えて返事をせず、ついに気を失った芳一の姿であった……。
(芳一が死亡してしまうバージョンもある)
次の日から、怨霊が芳一を呼びに現れることはなくなった。芳一の耳の傷は治療によって癒え、この不思議な出来事から琵琶の腕前がますます評判を呼び、「耳なし芳一」と呼ばれて不自由なく生活することができた。
平氏一門の墓石は、今も芳一が生涯を過ごした阿弥陀寺の境内に残されている……。
余談
上述した曽呂理物語を始め元ネタと思われる話は琵琶法師が女性の幽霊にストーカーされるという内容で、これはこれで人気が出そうな話なのだが、芳一の話に比べてマイナーである。僧侶が怪異の女性にストーカーされるという話は安珍清姫や僧侶ではないが、雨月物語の蛇性の淫と共通している。その事からうん市らの物語が霞んしまったのと同時に、芳一は平家一門の幽霊という独自性あった事や琵琶法師と平家は関係が深く結び付きに整合性があった事、平家一門は武士として叩き上げで身を起こすしておきながら同時に文化人でもあり、それでいて悲劇的な最期を遂げると言う日本人好みの一族だった(「耳なし芳一」でもその悲劇性は描かれている)事などから埋もれなかったのだと思われる。