概要
物語・伝承の類に漏れず、怪談にもいくつかの王道パターンがある。
これは「再度の怪」の表記そのままに、「同じ姿の妖怪や化け物が、二度に渡って同じ人を驚かせる」というパターンである。
南方熊楠によれば、かなり古いものは中国の古典『捜神記』に収録されている。こちらは、「目が光る何か」がおっさんを襲う。また南方は、日本の『兼山記』に、久々利城城主、土岐三河守(と若い頃の名前「悪五郎」という情報で検索すると、「久々利頼興」さんというWikipediaの記事が出る)が若い頃、久々利山で鹿を追っていた折に、結弦が切れ刀が抜けなくなり、目の前に身の丈一丈ほどの山伏が現れて睨むので、とりあえず組み伏せようとすると消え、武器も無事に使える。恐ろしくなった悪五郎が馬で下山し長保寺で事の次第を語ると、住持(僧侶だ)が、
「それはこんな」
という間もなく寺の中から夥しいのっぺらぼうが現れ、気絶した悪五郎が気付くと彼は野原で寝ていた、という記述があるのを紹介し、これがラフカディオ・ハーン(小泉八雲)のアレについてこれの焼き直しであろうといっている。