概要
下関では亀山八幡宮・住吉神社と並んで「三社」と呼ばれる。
文治元年(1185年)、壇ノ浦の戦いにおいて八歳という若さで崩御した安徳天皇の御陵を置き、その御霊を祀っている。
耳なし芳一の伝説が残る「阿弥陀寺」を前身とし、明治の廃仏毀釈で神宮となるまでは「安徳天皇御影堂」と呼ばれていた。
竜宮城のようにも見える非常に派手な楼門「水天門」が有名。
芳一の木像を祀った芳一堂のすぐ近くに、壇ノ浦で散った平家一門の墓(供養塔)があるが、ここは夏でも寒さを覚えるほど涼しく、空気が異なるともっぱらの評判。
訪れる機会があれば是非体感してほしい。
余談
前述のとおり、安徳天皇を祀る神宮として知られており、慰霊祭「先帝祭」が行われることでも有名。
この由来として、壇ノ浦の合戦後に生き延びた平家の官女が遊女に身をやつしながらも、帝の御魂を慰める為に花を手向けたという伝承がある。
加えて、九州と本州を繋ぐ港町という性質から、かつて下関には吉原や丸山にも匹敵する花街が存在した。そこに身を置く遊女が伝承にあやかり、花魁道中を披露して参拝し、名物として人気を集めた。
現在は日舞を学ぶ子女がこの役目を請け負っており、緋毛氈の敷かれた長い渡橋の上で、独特の歩き方「外八文字」を踏みながら花魁道中を再現する。