ヴァー!しょっぱい概要でスンマセン!
中学時代から柔道を始め、高校卒業後、長州力に憧れジャパンプロレスに入門。
1986年2月11日には全日本プロレスのマットでデビューを飾る。
1987年6月に長州が新日本プロレスに出戻るとそれに付き従い、移籍。
鈴木みのるとの因縁はこのころから。
1995年には当時女子プロレスラーだった北斗晶と結婚、後に2人の息子をもうけている。
初の新日3大タイトル(IWGPヘビー級、同タッグ、GⅠクライマックス優勝)制覇を達成したり、新日の看板イベントである1・4東京ドームで幾度かメインを張るなど多々大活躍を続けてきたが、2000年代前期に入るとキャリアは多難を極めた。
中でも2001年に発した「正直スマンカッタ 」はプロレス史上に残る迷言として話題になり、試合の“しょっぱさ”もあって「塩」だけで健介のことを指すようにまでなった。
そして心機一転を図って2002年秋に新日を退団。長州らとともにWJプロレス旗揚げに参加した。
しかしここでも幾多のトラブルに襲われ、翌年末に団体は破綻。支度金を出していた健介、そして佐々木家は危機的状況に追い込まれた。
そんな中、妻であり二男児の母でもある北斗晶が立ち上がった。
しょげる亭主のケツをしばく「鬼嫁」キャラで健介とコンビを組んで試合(主に乱入・妨害)に臨んだり、バラエティ番組でも子供たちや実母まで駆り出して大暴れするなど大活躍。
これに健介も応えるかのようにマット内外で大暴れ。世のお父さん達のヒーローになっていく健介を、誰にも「しょっぱい」なんて言わせない輝きを見せるようになった。
2005年には「健介オフィス」を会社化、翌年の2月にはデビュー20周年自主興行を開催。
メインでプロレスリング・ノアの小橋建太とタッグを組み、健介ファミリーの“長兄”中嶋勝彦&“後見人”天龍源一郎組と戦った。
2007年8月26日、全日の三冠ヘビー級王者鈴木みのるとタイトルマッチで対戦。この試合のために新技「キングバスター」「ストラングルホールドZ」を開発した健介は、42分の激闘の末にラリアットで下し、念願の三冠王座を手にした。
翌2008年9月6日にはNOAHで森嶋猛からGHCヘビー級王座を奪取し、これまた史上初めて日本国内3大メジャー団体(新日・全日・NOAH)のヘビー級シングルタイトルを制覇した(他には高山善廣・武藤敬司・小島聡が達成している)。
2012年2月11日、自主興行の名前をダイヤモンド・リングにする。
そして、24時間テレビのマラソンランナーに佐々木一家が選ばれ、4人で120㎞を走りぬいた。
しかし、その年の秋に以前から患っていた首の椎間板ヘルニアを手術するため休場。
明けて2013年には元弟子による理不尽なシゴキ(真壁刀義も被害者だったとか)の実態暴露など、スキャンダルにも見舞われた。
そして2014年2月11日、後楽園ホールで行われた中嶋勝彦との一騎打ちで敗れ、13日の会見で引退を発表。このままリングを去った。そのシゴキ癖などの粗暴さにより業界からの総ブロックに遭い、引退試合の対戦相手すら見つからなかったと囁かれる。本人も東スポWebの記事を通じ、引退を機にプロレス界から決別する意向を示した(参考)。
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馳浩:プロレスでは同期。
ピョンヤン:健介ファミリー始まりの地?