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概要編集

1966年9月19日に東京都墨田区に誕生。

身長196cmの大型プロレスラーである。

2017年より頸椎損傷により休業。現在は国立病院機構村山医療センターリハビリ中。


履歴編集

東海大相模高校(現・東海大学付属相模高等学校)時代はラグビー東海大学時代はライフセービングに励む一方、湘南でライフガードアルバイトをしていた。元ライフセーバーの経歴から関連するテレビ番組イベントに呼ばれることもある。


20歳の時に休学して第1次UWF(興行活動停止後の新日本プロレスとの業務提携時代)の入団テストを受け合格するも怪我の再発もあって退団。

大学卒業後就職するもプロレスラーの夢を捨てられず悩んでいたところ、脱走後バイト先で再会し交流のあったUWFの先輩である宮戸優光に声を掛けられ旗揚げ間も無いUWFインターナショナルに再入門。1992年6月金原弘光戦でデビュー

12月のUインター解散後、関係者が立ち上げた団体キングダムに移籍する。

1997年3月フリーランスとして全日本プロレスに参戦。

1999年5月、後追いで参戦していた先輩・垣原賢人と共に、正式所属選手となる。この前後に他の選手と共にチームノーフィアー」を立ち上げ、世界タッグ王座アジアタッグ王座の二つを所有した初のチームとなった。

2000年三沢光晴らと共に全日本プロレスを脱退し、プロレスリング・ノア旗揚げに参加するも2001年PRIDE参戦を機に再びフリーランスとなる。

以後、ノアを中心に、新日本プロレスやその他の様々な団体、PRIDEなど総合格闘技にも参戦。


ノアの第4代GHCヘビー級王座、全日の第39代三冠ヘビー級王座、新日の第32代IWGPヘビー級王座及び第20代NWFヘビー級王座など国内メジャー団体のヘビー級王座大森隆男と世界タッグ王座とアジアタッグ王座以外にノアのGHCタッグ王座を、鈴木みのると新日のIWGPタッグ王座を獲得した経験もある。(メジャー団体のシングル並びにタッグ王座を完全制覇したのは高山が初。)



病傷歴編集

小児喘息を患い、吸入薬により症状をコントロールしているがプロレスラーになってからも再発している。


2004年には試合後に脳梗塞で倒れ、手術を受けている。


2017年5月4日の試合中に頭から落ちて動けなくなり、病院に救急搬送。5月8日に手術を受けた。9月4日、病名が頸椎完全損傷であること、肩から下の感覚が戻らず、また回復の見込みもないことも発表された。

その後支援団体として「TAKAYAMANIA」を設立。合同記者会見に同席した鈴木みのるが涙ながらにUWF時代の先輩・前田日明や高山の師匠格である高田延彦に支援を呼びかけたり、新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノア、DRAGON GATEなど団体の枠を超えて自作の募金箱で支援を呼びかけた。


芸能活動編集

役者としても活動しており、プロレスや総合格闘技の解説も務めることもある。


主な出演作編集

ドラマ編集


アニメ編集


映画編集


その他編集


得意技編集

ジャーマンスープレックス ニーリフト ミドルキック ドロップキック


関連タグ編集

プロレス 富沢美智恵 江頭2:50


外部リンク編集

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