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山本小鉄

おにぐんそうやまもとこてつ

山本小鉄(1941年 - 2010年)は、日本の元プロレスラー。

概要

神奈川県横浜市南区出身。新日本プロレス所属。タレントとしても活動、芸能事務所、インターテイク所属であった。
本名「山本 勝(やまもと まさる)」。

1963年に日本プロレスに入門、同年に力道山が亡くなったことから、力道山の最後の弟子となった。
同年7月19日に北沢幹之戦でデビュー。
1967年1月、星野勘太郎と共にアメリカ遠征に出立、テキサス州ダラスを中心にアメリカ各地を転戦して力強いファイトを展開し、小型でもパワフルであると評判だったヤマハのオートバイにあやかって名付けられた「ヤマハ・ブラザーズ」のタッグチーム名で名を上げた。

1972年、新日本プロレス旗揚げに参加。この頃から現場責任者・コーチとして活動。
1979年1月21日、「ヤマハ・ブラザーズ」として国際プロレスの後楽園ホール大会に乗り込み、グレート草津アニマル浜口組を破ってIWA世界タッグ王座を獲得。
1980年4月4日の引退後は、レフェリー(後に審判部長)を務める傍ら、同団体道場のコーチや新日本プロレス学校の校長を歴任し、鬼コーチ、鬼軍曹と呼ばれながら若手レスラーを育てた。また「ワールドプロレスリング」のレギュラー解説者として、古舘伊知郎、桜井康雄と組んだ。

新日本プロレスでは企画宣伝部長を務めたり、新日本プロレスの子会社の新日本プロレスサービスの代表取締役社長も務めたこともある。
2010年8月24日、家族旅行先の長野県軽井沢町で昼食をとった後に意識不明になり、8月28日午前6時42分、低酸素性脳症のため死去。68歳没。

鬼コーチ、鬼軍曹と呼ばれるほど道場での若手指導には厳格な一方、若手選手と同じ運動をして共に汗を流し、選手と一緒にちゃんこ鍋を囲んでコミュニケーションをとるなど、若手、新人に対しては、練習は厳しく、プライベートは優しくするように、硬軟を使い分けていた。
このことから弟子から敬われていたため、葬儀には新日本プロレスの所属レスラー・関係者だけでなく、武藤敬司船木誠勝高山善廣鈴木みのる神取忍など団体の垣根を越えての参列者があり、遺族から依頼を受けた前田日明が弔辞を読み上げた。
(因みに武藤敬司、船木誠勝、鈴木みのる、前田日明もかつての教え子たちであった。)

関連人物

男色ディーノ:2009年に新日の『SUPER J-CUP』に出場したときそのファイトスタイルに山本が激怒。2回戦にて山本小鉄に襲いかかろうとしたがセコンド陣が本気で制止。(詳細はWikipedia参照

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