概要
正式な名称は「インターナショナル・レスリング・エンタープライズ」。1967年1月に大阪市で旗揚げ、1981年8月に北海道羅臼町で行われた大会を最後に興行打ち切り、同年9月30日に解散・消滅した。
レスラーがリングに入る際のテーマソングの採用、日本人レスラー同士の対決(日本プロレスでは基本的には日本人VS外人の対決のみ)、移動バスの導入、と、今となっては当たり前となっていることを初めて採用したプロレス団体である。
また、日本人レスラー同士の対決を採用したがゆえに、日本人の覆面レスラーや日本人ヒール軍団も登場している。
金網デスマッチ
ただ、国際プロレスを国際プロレスたらしめたのは、リングの周りに金網を取り囲ませ、その中で戦う金網デスマッチであろうか。何せリングの外に逃げたり引きずり下ろすことが出来ない状況下で戦うわけだから、普通のプロレスとはまた違った過激な戦いが繰り広げられ、国際プロレスの名を上げることが出来たと言える。もっとも、やれ有刺鉄線だのやれそれに電気流して小型爆弾爆発させるだのやれ火を使うだの画鋲だの蛍光灯だのと痛いどころじゃ済まない、下手したら死ぬだろ!?と言いたくなるようなデスマッチがまかり通る昨今の状況を考えれば、まだ金網デスマッチは平和な方かも・・・・・・。
ちなみに、国際プロレス「ラスト・マッチ」となった北海道羅臼町大会でも、そのメインイベントは金網デスマッチだった。金網デスマッチでもって「テンカウントゴングが鳴らされてしまった」あたり、いかにも国際プロレスらしいと言えば、らしい。
テレビ中継
1968年1月から1974年3月まで、「TWWAプロレス中継」というタイトルでTBS、朝日放送(当時はTBS系列局だった)及びそこの系列局(ただし熊本放送および放送期間中に開局したテレビ高知除く)に加えテレビ山口(原則TBS系列局だが放送当時はフジテレビ系列のほかNET系列にも参加、なお放送期間中に開局)で放送されたが、途中で放送を止めてしまった局も結構あった。
その後1974年9月から1981年3月まで、「(ファイティングアワー→)国際プロレスアワー」というタイトルで東京12チャンネル、三重テレビ、岐阜放送、サンテレビ、KBS京都、テレビ和歌山、びわ湖放送および秋田テレビ、山形テレビ、テレビ長崎(いずれもフジテレビ系列局、ただし山形テレビは放送当時)、北海道放送、山陽放送(これらはTBS系列局)で放送されたほか、テレビ静岡やテレビ西日本(これらもフジテレビ系列局)でも放送されていた時期がある。
なおその結果、北海道放送と山陽放送は、TBS版・東京12チャンネル版いずれも放送したことになる。
主な在籍者・参戦経験者
- 吉原功:引退し社長として旗揚げ。
- ラッシャー木村:メインイラストの人物、人呼んで「金網の鬼」。
- アニマル浜口
- マイティ井上
- 阿修羅・原
- ミスター珍
- 剛竜馬
- 若松市政:別名『将軍KYワカマツ』。当初は営業部員として入社、31歳で遅咲きデビュー。のちに新日本プロレスで悪役マネージャーとしてブレイクし、SWSの旗揚げにも大きく関わる。1999年から2015年まで芦別市議会議員を務めた。
- 鶴見五郎:後に自ら立ち上げたインディー団体・IWA格闘志塾を、故・吉原功社長の遺族の許可を得て1997年に国際プロレスに改称し、2013年の引退まで存続した。教え子に高木三四郎がいる。
- 冬木弘道:別名・サムソン冬木、末期に入団。崩壊後は全日本プロレス ⇒SWS⇒WAR⇒FMW⇒WEWと団体を渡り歩く。2003年死去。
- ストロング小林:デビュー時は覆面レスラー「覆面太郎」だった。後にストロング金剛と改名し芸能人にトラバーユ。
- サンダー杉山
- グレート草津:初代、K-1で活躍したキックボクサー・空手家の二代目は実子(二男)。
- 高杉正彦:国際では菅原伸義(のちのアポロ菅原)や冬木弘道と共に「若手三羽烏」と呼ばれ、崩壊後全日本プロレスなどで覆面レスラー「ウルトラセブン」として上がったり、剛が立ち上げた「パイオニア戦志」「オリエンタルプロレス」に参加。2020年現在唯一の国際プロレス出身現役レスラーである。
- アンドレ・ザ・ジャイアント(モンスター・ロシモフ)
- カール・ゴッチ
- ルー・テーズ