2022年7月28日付けでプライバシーポリシーを改定しました

詳細

ピクシブ百科事典

サンダー杉山

さんだーすぎやま

サンダー杉山は日本の元プロレスラー、引退後はタレント・実業家。故人。

プロフィール

本名 杉山恒治(すぎやま つねはる) 
誕生日 1940年7月23日
出身地 新潟県糸魚川市
身長 178cm
体重 125kg(全盛時)


来歴

同志社大学に入学し柔道部に所属していたが1年で退部、他大学の柔道部にコーチ兼学部の特待生としてしばらく所属した後に、2年の進級時に明治大学農学部農業経済学科に編入学し、レスリング部に所属。
入部10日後に開催されたローマオリンピック最終予選でいきなり優勝を飾るが、経験不足を理由に出場できず。
ヘビー級の選手として全日本学生、全日本選手権を制覇し、1964年の東京オリンピックに出場。
翌年レスリングのエリートとして日本プロレスに入団、同じくレスリング出身で東京オリンピックに出場した斎藤昌典(後のマサ斎藤)、ラグビー出身の草津正武(後のグレート草津)と共に「三羽烏」と称された。
1966年3月4日に本間和夫戦でプロレスデビューを果たしたが、同年の夏に新団体の国際プロレス旗揚げに参加するため、グレート草津と共に移籍。
その後、海外武者修行のために渡米し、「トーキョー・ジョー」のリングネームでヒールとして北米を転戦。

帰国後の1968年2月14日、豊登のパートナーとなってファビュラス・カンガルーズ(アル・コステロ&ドン・ケント)を破り、TWWA世界タッグ王座を獲得。
1970年2月3日には草津とのコンビでモンスター・ロシモフ&マイケル・ネイダーからIWA世界タッグ王座を奪取。(4回防衛)
1970年5月19日、日本人として初めて、リングアウト勝ちながらビル・ロビンソンを破り、第2代IWA世界ヘビー級王者に就く。以降国際プロレスの看板選手として活躍。
1971年9月23日にはラッシャー木村を新パートナーにIWA世界タッグ王座を再度奪取。(7度防衛)
1972年9月に全日本プロレスに円満移籍。しかし、扱いを巡ってジャイアント馬場社長と揉めて1976年3月末付で離脱、フリー宣言。
1976年と1977年に古巣の国際に特別参戦。1978年にはヒロ・マツダを総帥とする「狼軍団」の一員として新日本プロレスにも参戦。

フリー宣言後日本テレビ系『おはよう!こどもショー』に出演するなどタレント活動の後、名古屋で「サンダー杉山コーポレーション」(現在の「サンダー杉山ベンディングサービス」)を創立、飲食業や自動販売機設置などの経営者としても成功。
しかし現役時代から患っていた持病の糖尿病が悪化、肝臓病や胃癌も併発し右手首と両足の切断もしたが病室からメールで業務指示していた。
2002年11月22日、心不全により62歳で死去。

得意技は「雷電ドロップ」、「ジャーマン・スープレックス・ホールド」など

また130kgの肥型の体型でありながらドロップキックやフライング・ヘッドシザース(ヘッドシザーズ・ホイップ)なども使用。

関連記事

親記事

プロレスラーの一覧 ぷろれすらーのいちらん

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 1367

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました