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北尾光司

きたおこうじ

元大相撲力士(第60代横綱双羽黒)、プロレスラー、総合格闘家。「スポーツ冒険家」の肩書きでタレント活動をしていたこともある(メイン画像左上)。
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人物

1963年8月12日生まれ。本名同じ。
三重県津市出身。

大相撲時代

「入門後5年以内に関取になれなかったら戻ってくる」との条件付きで、中学校卒業と同時に立浪部屋に入門し、昭和54年(1979年)3月場所で初土俵を迎えた。この年に初土俵を踏んだメンバーは後に「花のサンパチ組」と呼ばれるようになり、自身もその一人となった。身長2m、体重160kgの恵まれた体躯もあり、瞬く間に頭角を現していった。
そして大関で迎えた昭和61年(1986年)7月場所で14勝1敗の成績を挙げ、横綱昇進討議の対象となった。
横綱審議委員会の中からは「稀に見る逸材で将来性がある」や「素質は十分」という意見が挙がる一方で「一度も優勝経験の無いまま昇進するのはおかしい」という反対意見も挙がったが、結局は多数決によって横綱昇進が決定。四股名を「双羽黒光司」(ふたはぐろ こうじ)と改め、当時22歳11ヶ月での昇進となった。
しかし横綱在位8場所で親方と大喧嘩し、仲裁に入ったおかみさんを突き飛ばして逃走。廃業届を提出して受理され、あっさりと廃業※が決定してしまった。

※この廃業騒動以降、横綱の昇進条件に「2場所連続優勝またはそれに準ずる成績」が加わることとなった。ちなみに「それに準ずる」の要件を満たして優勝1回で昇進できたのは鶴竜稀勢の里だけである。

プロレスラー・総合格闘家時代

その後は「スポーツ冒険家」などと称してタレント活動を続けていたが、1990年2月10日新日本プロレスからプロレスラーとしてデビュー。対戦相手のクラッシャー・バンバン・ビガロに何とか勝利こそしたものの、あまりのしょっぱい試合展開に会場からは大ブーイング。その後はまたしても度重なるトラブルの末に新日から契約を解除されてしまう。
続いて新団体のSWSに移籍するが、対戦相手のジョン・テンタ(元幕下琴天山)に反則負けを喫した際にマイクを奪い「この八百長野郎、八百長ばかりしやがって!!」と大絶叫、また観客にも悪態をついてしまった。この行動を問題視され、半ばプロレス界から追放同然の形で解雇されてしまった。

解雇から凡そ1年後、今度はUWFインターナショナルから総合格闘家としてマット界に復帰。以降は大相撲・プロレス時代のようなネガティブな印象は影を潜めていった。そして1998年まで現役を貫き、同年10月で格闘界から引退した。

その後

2003年フリーの立場から代替わりした第7代立浪部屋のアドバイザーに就任。自身が現役時代に使用していた化粧回しを日本相撲協会に寄贈した。
後に雑誌社のインタビューで、「もう表舞台に出るつもりはない」「このまま風化されればいいという気持ちだけ」という思いを明かしている。

関連動画



関連タグ

大相撲 横綱 プロレス/プロレスラー 総合格闘技
輪島大士曙太郎:後に他の格闘技に転向した横綱経験者つながり。
デーモン閣下:プロレスのテーマソングを作曲。ちなみに本人も好角家として知られる。

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