概要
1949年8月29日、テキサス州ノックス郡ノックスシティ生まれ。
ウエスタンラリアットと「ウィー!」の叫びでおなじみの人。1977年に新日本プロレスに参戦し、その後1982年から引退まで全日本プロレスで活躍した。
特に「超獣」ブルーザー・ブロディとの「ミラクルパワーコンビ」は非常に有名である。あと、「ブルーノ・サンマルチノ首折り事件」。
カウボーイハットと髭がトレードマーク。
カウボーイスタイルのコスチュームに身を包み、ブルロープを手に大暴れしながらの入場を定番としており、リングアナウンサーが「お下がりください!非常に危険ですのでお下がりください!」などと観客に呼びかける入場シーンでおなじみであった。
また試合が消化不良に終わると暴れ出し、止めに入った若手にラリアットを浴びせるといった流れも定番と化しており、荒々しいキャラクターで日本マットを中心に大暴れしていた。
ウエスタンラリアットは彼の代名詞であり、プロレスにおける”一撃必殺”の体現の極致でもある。
その説得力は観客側から見ても十分すぎるものであり、前田日明など実際に相対したレスラーからは「冗談抜きに目の前に星が飛んだ」「現役時代に食らって一番痛かった技」といった、技の破壊力を裏付ける証言が多く寄せられている。
1970年代後半の初公開からラリアットを愛用し続け、体力が衰え力押しが利かなくなった40代以降も、試合運びを巧みに行うことで引退までフィニッシュ・ホールドとしての神通力を守り続けた。またラリアットの説得力は「命綱となる左腕をいかに殺すか」というハンセン攻略のストーリーを分かりやすく提示させるものでもあり、これらの要素が相まって数々の名勝負を生み出した。
全日本参戦時の入場曲「サンライズ」は、今でも高校野球の応援やバラエティ番組での乱闘BGMとして一度は耳にしたことがあるだろう。
サンライズは元々は日本のSPECTRUM<スペクトラム>というバンドの楽曲である。
(厳密に言えば、曲の出だしの部分は
ケニー・ロジャースの
『SO IN LOVE WITH YOU」の前奏である。
ライブバージョン
カードファイト!! ヴァンガードのCMに出ている。
ジャイアント馬場とは互いに信頼関係を築いており、馬場が築いた全日プロに現在でも協力している。
2016年にWWEのHALL OF FAME(殿堂)入りに選出された。
余談
- 前職は教師で、プロレスラーに転向するためにアマリロのザ・ファンクスの道場に入門。その当時日本から修行に来ていた鶴田友美(のちのジャンボ鶴田)と意気投合し、鶴田が日本から持ってきたインスタントラーメンを分け合って食べる程の仲だった。しかし、あまりに美味しかったのかハンセンは同じ道場の練習生だったボブ・バックランド(後のWWF世界王者)と一緒に、鶴田に黙って勝手に食べていたという話も残っている。
- 教師になる前はNFLの選手でボルティモア・コルツ(現インディアナポリス・コルツ)、サンディエゴ・チャージャーズに入団するが、最終的に解雇された。得意技のラリアットはアメフトのタックルから発想した。
- 大の日本びいきであり、来日したてのアメリカ人若手レスラーに日本のプロレスの特徴から居酒屋での食事作法を指導するぐらい。当然日本食も大好物。箸での食事もなんのその…というか、日本人から見ても相当上手い部類だとか。また現在の奥さんは日本人であり、馬場と鶴田の訃報は奥さんの実家からの国際電話で知った。
- 元阪神タイガースのランディ・バースとは近所に住んでたこともあり親交が深い。日本で阪神の試合を観戦したこともあって阪神ファンになったと阪神百貨店のイベントで公表している。
- 彼の掛け声である「ウィー!」は、彼が初登場時に発した「ユース!」という言葉から生まれたもの。本来は「若者達よ」といった意味を持つユース(youth)という掛け声であったが、英語になじみのない日本人には上手く聞き取なかった為に、ファンからは独自の掛け声として広く認知され、現在の「ウィー!」という掛け声になった。
- リング外では眼鏡を常用するほどの極度の近眼であり、見境なく暴れ回るスタイルを確立したのもこの近眼による所が大きい。前述の前田日明は、若手時代にハンセンの乱闘を止めに入っては決まってラリアットの餌食にされていたが、これは彼が当時の若手の中でもとりわけ体格が大きく、近眼のハンセンの目に留まりやすかったからではないかと云われている。
外部リンク
関連タグ
プロレス ラリアット 全日本プロレス ジャイアント馬場 ジャンボ鶴田
キラービー(NARUTO)、エドワード・ニューゲート:スタン・ハンセンに影響を受けているキャラクターの例。