ジャイアント馬場
じゃいあんとばば
生没:1938年(昭和13年)~1999年(平成11年)。
本名馬場正平。
プロ野球選手として
三条実業高校(現在の新潟県央工業高校の母体の一つ)を2年次で中退し、1955年に読売ジャイアンツへ入団。同期には森祇晶がおり、長嶋茂雄や王貞治の先輩に当たる(ただし長嶋は大卒での入団であり年齢は長嶋が上)。208センチという超長身で注目され二軍でこそ好成績を残したが一軍では制球難に悩まされ活躍出来なかった。のち巨人を自由契約になり大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)のテストを受験するがケガで引退した。
通算成績は5年間で0勝1敗。その1敗こそ当時中日ドラゴンズのエースだった杉下茂と投げ合って惜敗した試合であり、杉下が通算200勝を達成した試合でもある。
プロレスラーとして
力道山にスカウトされアントニオ猪木と共にプロレスラーとしてデビュー。その恵体とその強さから「東洋の巨人」の異名を取る一方、温厚な人柄で多くの人に慕われ、親しまれた。
晩年は肝不全を患いながらも最期まで堂々と現役を貫き、61歳で他界。遺骨は妻の元子氏が保管していたが、彼女も2018年(平成30年)に逝去。遺言に従い、共に納骨されたという。
現在馬場夫妻は兵庫県明石市の本松寺(妻の側の菩提寺)に眠っているが、その墓前には愛用のリングシューズを模したモニュメントが設置されている。
2016年9月5日には、出身地の三条市から同市6人目の名誉市民に選ばれている。また生前の愛車「キャデラック・エルドラド」(1976年式)が同市に寄贈され、2023年(令和5年)度中に改修される図書館内の名誉市民顕彰コーナーに常設展示される予定である。
ちなみにジャイアント馬場というリングネームは師匠の力道山が付けたもので巨人のピッチャーだったことが由来らしい。
若手時代に猪木と16回闘ったが、16回とも同じ技でギブアップ勝ちしている。因みにその技は羽交い絞め(フルネルソン)であり、前座時代の馬場はこれを得意技としていた。
そうした縁もあってか、プロレスを題材としたフィクションでは馬場や猪木をモデルにしたと思わしき人物が多数見受けられる。
他方ドケチとして有名で、引退した中堅レスラーのご祝儀もケチったり、彼の存命時レスラーの副業などは原則許されなかった一方で本人はかなり積極的に芸能活動もしていた(食事などは気前よく奢っていたりはした)。
全日本プロレスのトップレスラーだった川田利明は、選手の大量離脱後に新日本プロレスに上がった際、自分の全日での給料が新日の中堅レスラーエル・サムライより低かったのを知り愕然としたという話もある。
ただしこの手のドケチ具合は馬場と同世代あるいはそれより上の世代のアメリカのプロモーターにはよくある話なので、馬場がとりわけケチ、守銭奴というわけではない。
今ではこそかなり薄れているが、かつて学生プロレス及び学生プロレス出身のレスラーは目の敵とされていた時期があり(特に90年代の新日本プロレスが顕著)、プロレスラーと学生プロレスとの交流はほぼなかったが、その中で馬場は学生プロレスの選手に受け身の取り方等を指導している。これは、馬場が知人の店に立ち寄った際に、その店で練習していた学生プロレスの選手を見て基礎も出来ていないその姿に危機感を持ち、これを放置して何か大きな事故が起きた時にプロレスそのものが批判されると考えたためで、これがきっかけとなり学生プロレスの選手に対して馬場本人が指導を行い、その指導方法が今でも多くの大学のプロレスサークルに伝わっている。なお、学生プロレスで馬場に指導を受けた選手の中には、後にみちのくプロレス等で活躍するテリーボーイ(現:MEN'Sテイオー)がいた。
嗜好
長い間葉巻を愛好しており、試合やテレビ収録以外では葉巻を嗜む姿が頻繁に見られるほどにトレードマークとして定着していたが、親しかった逸見政孝のがん闘病の折に願掛けの意味も込めて禁煙、以降は生涯二度と口にすることはなかったという。
同世代のプロレスラーのイメージに違わない酒豪ではあったが、本人曰く「いくら飲んでも酔わないので酒は面白くない」としてあまり好まなかった。
一方で甘党であり、子供のころからあんこや大福といったものが特に大好物であった。
芸能活動でのエピソード
笑っていいとも!に出演した際、爆笑問題の田中裕二が座っていた馬場に身長で「負けた」といわれている。
1988年から1996年まで放送された日本テレビ系クイズ番組『クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!』に出演した際には、様々な珍解答(特に「ボクシンググローブ」→「赤べこ」)で視聴者の笑いを誘った。
もごもごしたしゃべり方や、こもった低音の声質がものまねのネタになりやすく、当初は、タレントなどにものまねされることに対し不快感を示していたが、徐々にそういったおふざけも容認するように。そのキャラクターや風貌から、多くのバラエティ番組や「ジャイアントコーン」などのCMに起用されることとなる。
また、全日本プロレスでの自らを主役とした、ギャグタッチのアニメビデオをリリースされるまでに至った。
かつて第12回アメリカ横断ウルトラクイズの第4チェックポイントで「馬場ピー」の意味について出題され、この回の準優勝者となる解答者が、「汚い。」と珍解答をしてしまい、司会者の福留功男が「馬場さんが怒るよ」と説教した挙句、その後は当該解答者のニックネームにもなった。なお、この問題を振られた回答者はのちにこの準優勝者と結婚している。
「プロレスとは『プロレス』である」「シュートを超えたものがプロレス」という「純プロレス主義」の持ち主であり、アントニオ猪木率いる新日本プロレスの格闘技路線との対立構造が馬場の存命当時見られていた。これらのコピーは馬場本人のコメントではなくターザン山本が考え出したものであるが、馬場自身もこのコピーを気に入っていた。
「王道プロレス」をモットーとし、基本に忠実なプロレスを好み、余程の事が無い限り奇を衒ったことはしなかった。かといってシュートが全くダメな訳ではなく、ある程度シュートへの対応力はあった(諸説あり)。
制限時間60分フルに戦う「フルタイムプロレス」の信奉者で、腹の脂肪がプロレスのスタミナをもたらすとして腹の脂肪を落とすような調整には苦言を呈していた。元力士の入門者を広く受け入れていたこともあって、馬場存命時の全日本は新日本に比べてあんこ型が多かった。ただ、馬場はいつまでも力士気分でいる相撲出身のレスラーは快く思わなかった(天龍は馬場に弁えた態度を取っていたためその限りではなかった)ようで、プロ野球時代に「デカいから力士になれ」という趣旨の安直な野次を浴びせられたトラウマがあったことから相撲も嫌いと公言していた。
十六文キック
馬場の代名詞とも言える十八番の技。相手をロープに振り、返って来た時に相手の顔面めがけて蹴りを叩き込む。全盛期ではこの技でフォールを奪えるほどの威力を誇った。
名前の由来は靴のサイズから。
ジャンボ鶴田やアンドレ・ザ・ジャイアントが使うときはフロント・ハイキックやビッグブーツと名前が変わる。
32文ロケット砲
ドロップキック。フォームとしては、やや下方から上方へ突き上げるような形で繰り出す。
脳天唐竹割り
通称「馬場チョップ」。相手の脳天に垂直にチョップを振り下ろす。
特徴としては手刀の指の部分ではなく、手の付け根の骨で叩く。
師匠の力道山から「相手が死んでしまう」と言われたため封印するも、ディック・ザ・ブルーザー戦で解禁。ブルーザーはタフガイとして名高かったので「アイツならかましても死なんだろう」と思い、使い出したとのこと。
ジャイアントコブラ
いわゆるコブラツイストで、ライバルの猪木の必殺技でお馴染みである。
2mを超す長身の為威力は抜群で、アメリカ遠征中によく使っており、1985年のPWFヘビー級(現在の三冠ヘビー級ベルトの一つ)選手権試合でタイガー・ジェット・シンからギブアップを取るなど晩年まで使い続けた。
なお、猪木はこの技を多くのプロレスラー(特に馬場が)使い出したことが理由であまり使わなくなり、進化系である卍固めを使い始めたという。
河津落とし
相撲技の河津掛けを応用して開発。
元々、力道山がルー・テーズのバックドロップ対策として河津掛けを披露していたが、馬場は自分の片足を相手の片足に掛け、跳ね上げながら相手の首を抱えて後方に反って倒し後頭部を打ちつける技に昇華させた。
なお、コツとしては「相手が自分より身長が低くないと威力が半減する」とのこと。
半減までいくかはともかく、そうそう並び立つ者のない馬場だからなし得た技というべきか。ただし超長身な鶴田や坂口征二は使っていない。
ネックブリーカー・ドロップ
現在ではポピュラーな古典技だが開発したのは馬場。掛け方は立っている相手の正面から、相手の首に自らの片腕を巻き付け、そのまま自らの体を背中からマットへ倒し、その勢いを利用して相手の体を背面からマットへ押し倒すというものである。
ランニングネックブリーカー
ネックブリーカー・ドロップの派生技として開発されたここ一番での必殺技。NWA世界ヘビー級選手権試合で王座奪取に成功したりPWA世界ヘビー級選手権試合でもスタン・ハンセンやラッシャー木村らを破っている。
アームブリーカードロップ
別名ジャンピングアームブリーカー。相手の手首を掴みながら腕にまたがり、そのまま全体重をかけてマットに相手ごと落とす。上田馬之助はこの技を6連発喰らいレフェリーストップに追い込まれた。
上田曰く、「肩がもげるかと思った」。
一昔前のウルトラマンや仮面ライダーの本には、(どういう経緯でそうなったかは不明だが)必殺技の威力が「ジャイアント馬場のキック◯◯発分」等と、何故か彼の名前が記載されていることが結構あった。まあ強さの代名詞ではあったのだろう。
怪獣であれヒーローであれ、どいつもこいつもバラバラな表現で強さをアピールしている(なので換算・適用すべき単位が異なり、そのままでは比べようがない)という事で、彼が著書の中で作った新たな単位がジャバである。
1ジャバは2.2馬力で、全盛期のジャイアント馬場のチカラが基準になっている。ヒーローや怪獣の能力の比較に使われた。
例)仮面ライダー1号は約5ジャバ(ジャイアント馬場5人分)ぐらいで、新日本プロレスの所属プロレスラー全員で挑めばショッカーの基地を壊滅させられる計算だとか…
だがあのゼットンなど140澗ジャバ(澗→10の36乗。億の1兆倍のそのまた1兆倍)というワケわからん世界。ちなみにコイツは「1兆度の火球を撃つためには地球の8倍くらいの背丈でなければならない」とか書かれたことも。そりゃウルトラマンだって負けるわけだ……。
なお柳田はジャイアント馬場のスペックに照らし合わせれば他にも色々と「ジャバ」を適用できないかと模索したようだが、結局「ジャバとは怪獣・ヒーローの強さを統一的に換算する単位であり、役目は終わった」と結論付けた。
ちなみに「ジャバ」が初登場したのは宝島社時代の「空想科学読本2」。
97年刊行なので当時馬場は存命であり、注釈には「まだまだ現役で頑張り続ける。あぽぉ!」と書かれていた。馬場逝去後にメディアファクトリーから出た新装版や特別編で再録された際の注釈は「生涯現役のまま、新たな戦いを求めて天国へと旅立った」と変更されている。
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