三条市
さんじょうし
三条市は、古くから鑿や包丁といった刃物を中心とした鍛冶打物、金槌(玄翁)のような鍛造品といった金物産業が盛んな工業都市として全国区で知られ、特に伝統の日本剃刀は日本国内では市内の『三条製作所』でしか製造されていない程の逸品である。
隣接する燕市や加茂市などと合わせて上越市に匹敵する都市圏を形成する。
ちなみにその隣接する燕市とは密接なつながりを持つ一方、お互いの仲の悪さがしばしば県内外でネタにされる。ある種のツンデレ……であればまだ良かったのだが…。
また、三条市は新潟県内において多数の全国的有名企業の本社を抱える市としても有名である。
三条市は近隣市町村からは「工業都市」ではなく「商人の町」だと呼ばれ、かつては越後の物流の中心地だった。
三条市が「金物卸問屋の街(三条商人の街)」として発展した歴史は江戸時代にまで遡る。
この地域は信濃川と五十嵐川の合流地点にあたっており、治水対策の不十分だった江戸時代においては洪水が頻発し、稲作をはじめとした農業は絶望的な状況であり、住民達は著しく疲弊していた。
1608年(慶長13年)、この地域が幕府直轄領となり、貧農救済のために江戸から釘鍛冶職人を招き、その製造法を農民に指導奨励した。
この結果、1624年~1643年(寛永年間)には大水害の頻発する近接農村地域において、和釘の製造が副業として盛んになっていったのである。
三条の商人達が結託して作った組合、所謂『三条商人』は、この地を治めていた村上藩の許可のもと、藩領を超えて商売をする手続きが容易であった。
日本経済の中心である江戸をはじめ、全国各地からニーズや情報を多く集められたことから、歴史に執着せず、「問屋商い魂」で先の時代を見る、所謂「先見性」に長けていた。
『三条商人』に属す者達は、気質としては実に商売人らしく、商談においては「石橋をたたいて渡る」程の慎重さで、また、商談による駆け引きに慣れているせいか相手には決して腹の内を見せず、感情を素直に出さない側面があったと文献で伝えられている。
こうして『三条商人』は、江戸時代後期から戦後にかけて、信濃川や北前船を利用して、関東や東北など広い地域に商品を販売していたのである。
この為、三条は越後の産業を支える存在として最重要の街であり、『三条商人』は地元の鍛冶屋と協力して、多種多様な需要や新しい商品の開発に貢献したのである。
他にも三条は、主に金属と衣服の問屋業と小売業としての顔、城下町としての顔、寺社の門前町としての顔、金属加工等の工業の町としての顔、置屋や飲み屋の立ち並んでいた夜の町としての様々な顔がある。
城は江戸時代の早期に廃城となり、商業の町、夜の町としては大きく衰退はしたが、新潟県内ではまだまだ「裏表の顔を使い分け続けている地域」だと言える。
これら様々な顔による近隣市町村への功罪を含め、令和の現代においてもかなり存在感のある地域である。
隣接する燕市との対立のきっかけは、上述した三百年前の江戸時代の話である。
昔、燕で製造した金物関係は全て『三条商人』によって江戸をはじめとした全国各地へと流通されていたため、それに味を占めた『三条商人』は金物の仕入の相場価格を完全に独占操作して莫大な利益を自分達の懐に入れてしまい、燕の職人達は特産品である和釘や鎚起銅器を安い仕入れ値でしか売り捌いてもらえなかった。
そこで当時、燕の職人達は越後に販路を持っていた大阪の商人達と結託し、燕は上方(関西方面)へ独自の新たな販路を拓く筈だったのだが、この不穏な動きを察知した『三条商人』が黙って見ている筈もなく、合法非合法を問わず、あの手この手を尽くしての総力戦で商談を潰しにかかったのである。
こうして燕の販路新規開拓は御破算となり、これが三条市と燕市の間に三百年以上にも渡って続く遺恨の原因となったのである。
そのため、現在でも一部の燕市民からは三条市は蛇蝎のごとく忌み嫌われ、末永く恨まれ続けている。
だがしかし、これは燕市に限っての問題ではなく、燕同様に三条の隣接地である加茂市の桐細工や、見附市の絹織物といった名産品に対しても『三条商人』は同様の「暴利を貪る行為」を積み重ねており、この為に三条市は燕市だけでなく、他の近隣市町村との間にも多数の根強い遺恨を残している。
なお、現在でも三条市に多数存在する有名メーカーのブランド製品は「三条市の製品」とは名ばかりで、燕市の下請け会社で製造されているケースが多い。
この様に、燕市とは「対等な関係」だとは言い難く、令和の現代でも所謂「ジャイアニズム」的な風習が三条市側には色濃く根付いており、「三条市のものは三条市のもの、燕市のものも三条市のもの」といった状況にまで陥ってしまっている。
テレビや雑誌での名産品等の特集では、三条市ははっきりと「新潟県三条市」だと報道されるが、燕市は執拗なまでにメディアから「新潟県県央地域にある燕三条」もしくは「新潟県燕三条地区」だとして紹介されてしまっているのである。
太平洋戦争の終結後は、他の地域からの難民として流れ込んできた無法者により街中にヤクザが蔓延り、山口組系の暴力団に属す者が多く、治安は悪化の一途を辿り「三条はヤクザと商人の町」だと周辺地域から陰口を叩かれる始末であった。
この荒廃した状況は1990年代の初期まで続き、市内の学校では校内暴力が蔓延し、「三条市内の中学校は校舎の窓ガラスの交換が追い付かない」とまで揶揄される程であった。
2012年4月1日には「三条市暴力団排除条例」が制定されており、このような状況はすっかり鳴りを潜めているものの、本寺小路(三条市内の中心にある飲屋街)には何処からか新潟市や長岡市よりも悪質な客引きや立ちんぼの女性が流入してきている。
それに伴いチンピラ気取りやマイルドヤンキー風の若者が激増し、昔の本寺小路を知る人は「町からヤクザが減って、睨みを効かせる人が居なくなってしまい、かえって治安が悪くなった」と嘆いている。
ちなみに「本寺小路」の本来の読み方は「ほんじこうじ」ではなく「ほんじょこうじ」と読む。
敢えて現在でも「ほんじょこうじ」と言っている御方はネイティブ三条市民の鑑である。
近年では2014年12月から4ヶ月の期限で学校給食から牛乳を抜く試みが全国で話題となった。
また、2022年にはTVアニメ『Do It Yourself!!』の舞台となってアニメファンの聖地と化す等、完全に平和な地方都市へと発展を遂げている。
車体にアニメイラストの賑やかなラッピング加工がされて痛車と化した三条タクシーの車両が三条市街を日常的に闊歩する様は、ある意味シュールである。
Do It Yourself!!
翌2023年には実写ドラマ化もされた。
三条市がオフィシャルパートナーを務めている。
ちなみにメイン画像の二人が歩いている背景は三条市内を流れる五十嵐川である。
また、三条市内の商店街では現在でもオリジナルグッズが貰えるスタンプラリー等でアニメとのコラボ展開が続いている。