概要
新潟県のほぼ中央部(新潟県県央地域)に位置する市。
地図上で見ると西方向に位置する隣の弥彦村と共に、広大な面積をもつ長岡市と三条市と新潟市に挟まれて押し潰されている様になって見えてしまう。
上越新幹線の燕三条駅を中心として、県内では隣接する三条市や加茂市とともに上越市に次ぐ都市圏を形成している。
燕市民のソウルフードは『燕背脂ラーメン』である。
燕市の産業の歴史
燕市内には、精密部品製造や特殊加工技術(熔接や彫金や研磨など)を得意分野とする小規模かつ少数精鋭な工場が多い。
このため、医療機器など技術的に高度な少量の案件に対しても経営者と熟練工の職人達が話し合って素早く対応し、生産品目を多角化してきた歴史をもつ。
燕市は隣接する三条市と併せて『新潟県県央地域』、または『燕三条地区』と呼ばれ、日本を代表する金属加工製品の一大産地であり、産業機械や自動車部品の製造が非常に盛んである。
とりわけ燕市はステンレス製品のプレス加工業を営む企業が数多く立地し、特にカトラリーを中心とした金属製洋食器ブランドにおいては日本国内生産シェアの90%以上をも占める。
またプレス金型の製造業者が数多く、プラスチック製品のインジェクション成型など、非金属製品の製造も盛んに行われている。
特に三条市とは上述した金物産業での相互補完関係が強い一方で、お互いの市民の間に長年の利権絡みによる対抗心や対立心が根強く残っており、2000年代の平成の大合併時には両市の合併を目指す動きが見られ、合併賛否の市民投票まで行われたが、燕市側からは強い合併反対の声が上がり、結局頓挫したまま現在に至っている。
もっとも、この合併話は新潟県内でも有数の広大な土地面積を持つ三条市が豪雪地帯である栄地区(旧栄町)と下田地区(旧下田村)の冬季間の凄まじい積雪によって莫大な除雪費用がかかることで発生する市民税の高騰を燕市との合併による負担軽減で解消しようとしたもの(燕市民側は市民税が倍近くに跳ね上がるだけで、何一つ合併によるメリットがない)であったため、この事実を察知した燕市民側からの合併拒否運動が巻き起こった事が合併失敗の最大の原因である。
この様な両市の遺恨は、なんと江戸時代から三百年以上もの長きに渡って続いているものである。
周辺市町村からは燕市は「職人の町」、三条市は「商人の町」と呼ばれており、かつて三条は村上藩の庇護を受ける「越後の流通の中心」であり、『三条商人』と呼ばれる組合が近隣地域の特産品の流通販路を全て牛耳っていた。
大河津分水路が1922年(大正11年)に通水し、1931年(昭和6年)の補修完了により安定稼働を開始するまで、燕は毎年の様に信濃川の氾濫による大規模水害に悩まされており、稲作をはじめとした農業は完全に絶望的な状況であり、現在の様に雄大な水田地帯が広がる光景は全く無かった。
これにより、冬季間でも稼げる和釘や鎚起銅器といった金物産業が発展したのだが、これに目を着けた三条商人からは品物を二束三文での仕入れ値でしか買い取って貰えなかった。
これに腹を立てた燕の職人達が大阪の商人と結託し、関西方面への独自の販路を開拓しようと目論んだのだが、三条商人の徹底抗戦に遭い実現しなかった。
こうした歴史から、令和の現代でも過去の経緯をよく知る一部の燕市民は三条市を蛇蝎のごとく忌み嫌っており、末長く恨み続ける結果となっている。
この為に、かつて昭和の時代に上越新幹線が開業し、燕三条駅を建設する際に「燕と三条のどちらを先に駅名に持ってくるか」で両市の間で大揉めになった程である。
結局は、第64・65代内閣総理大臣を務めた政界の大御所である田中角栄が両市の仲裁に入り、新幹線の駅名は「燕三条駅」とし、新幹線と立体交差する弥彦線も同じく「燕三条駅」とする代わりに駅長室を三条市側に設置して燕三条駅の所在地を三条市とすること、更に隣接する北陸自動車道のインターチェンジ出入口を三条市側にして「三条燕インター」にすることで落着したのである。
三条市との関係
現代においても、燕市は三条市と「対等な関係」だとは言い難く、特に三条市側には「燕市の物は三条市の物、三条市の物は三条市の物」といった「ジャイアニズム的な風習」が色濃く根付いてしまっている。
こうした両市の蟠りは産業や商業の面で現在でも顕著に表面化しており、燕市は常に三条市によって良いように利用される側にばかり立たされてしまっている。
極端な例を挙げると、三条市が全国向けメディアで報じられる際は「三条市」だと明言されるが、燕市が全国向けメディアで報じられる際は何故か決まって「新潟県燕三条地区」だと言われてしまう。
上述した燕三条駅の名称問題で田中角栄の介入があった際に、マスコミ各社と三条市との間には何らかの報道に関する協定が結ばれており、燕市はテレビや新聞をはじめ、情報雑誌やWEBサイトといった全国的向けに発信されるメディア上では単独の「市」として扱われる事が殆どないのである。
頻繁に他の都道府県の者から『燕三条市』と云う名の都市が存在しているのだと誤解される理由がこれである。自治体どころか、実際には地名としても実在していない。
燕市側から、この異様な全国向けメディアへの報道の規制に関して触れることはタブーらしく、これが原因で、三条市の製品は「新潟県三条市の製品」として全国向けメディアで明確に紹介されるが、燕市の製品は「新潟県燕三条の製品」だと濁した表現で扱われてしまっている。
おかげで後述する『ゴッドハンド株式会社』の様に、燕市に本社を置く企業が「新潟県三条市の会社」だと誤解されてしまう事態にまで陥っている。
なお、三条市に多数ある有名メーカーのブランド製品の殆どは燕市の中小企業の町工場が下請けで生産しているものばかりである。
こうした三条市側の異常な介入による燕市の全国的メディアからの扱いの悪さと認知度の低さは、市の名産品にも数々の悪影響を及ぼしており、テレビや雑誌でも頻繁に紹介されて全国的に有名な『杭州飯店』が発祥(正確には杭州飯店の元祖は燕駅前商店街にあった福來亭)の、燕市民のソウルフードである『背脂ラーメン』も全国向けメディアでは『燕背脂ラーメン』ではなく「燕三条背脂ラーメン」や「燕三条系ラーメン」扱いである。
燕市内に数多くあるラーメン店の幟や看板には『燕背脂ラーメン』だと大々的に明記されており、杭州飯店の暖簾にも「元祖・燕系」だと明記されているので、燕市では「燕三条系ラーメン」などと呼ぶ者は誰一人としていないのである。
逆に三条市では、単に『背脂ラーメン』と呼ばれるだけで「大油・中油」と背脂の量をお好みで調節出来る旨をアピールする店が多い。
挙げ句の果てにウィキペディアにまで 『燕三条背脂ラーメン』 といった誤ったタイトルの記事が、さも当たり前のように作成されてしまっており「背脂ラーメンは隣接する三条市でも食べられる」ことばかりが何故か強調されているが、そんな事を言い出したら他にも隣接する新潟市や長岡市、更には加茂市や見附市でも背脂ラーメンは手軽に食べられるのでキリがない話である。
もっとも、このウィキペディアの記事は2011年以前に発表されたラーメン評論家が書いたとされる古い情報の記事ばかりをやたらに根拠(ソース)としており、「新潟県県央地域の燕市と隣接する三条市を中心に広まった」と強調しておきながら燕市発祥の歴史ばかりが記述されており、三条市を発祥地の一つとする根拠の記述が一切無いばかりか、記載された有名店舗が燕市内にある店のみだったり、挙げ句に現在でも燕市白山町と新潟市関屋で営業中の福來亭を「閉店」扱いしており、何とも信憑性に欠ける記事であるのだが…。
ちなみに、コスミック出版が主に新潟県内向けに2024年10月に発行したムック本『食わずに死ねるか!? 新潟の極旨ラーメン'24〜'25 (COSMIC MOOK)』では「新潟五大ラーメンの一つ」として『燕背脂ラーメン』だと明記されている。
これと真逆の例を挙げると、同じく「新潟五大ラーメンの一つ」として数えられる三条市の名物である『三条カレーラーメン』は「燕三条系カレーラーメン」呼ばわりされる様なことは一切ないのである。
他にも例を挙げれば、2022年に制作された三条市を舞台にしたテレビアニメ『Do It Yourself!!』の劇中には「燕三条」どころか「燕市」の「つの字」すら一言も出てこない。
2024年の『虎に翼(連続テレビ小説)』でも、主人公が新潟地方裁判所・新潟家庭裁判所三条支所の所長として赴任し、ロケは三条市に近い弥彦村、及び弥彦山にある彌彦神社や新潟市でも行われたが、その中間にある筈の燕市は不自然なまでに登場しなかった。
三条市がひたすら貪欲で商売上手なのか、燕市が無欲のお人好しばかりなのか、これはこの先も延々と続く問題である。
両市の因縁関係に配慮したのか、燕三条駅周辺の店舗や公共施設では敢えて両方の市名や地名を使わず『県央』の名称を使用するケースもある(例として燕市側のイオン県央店とイオンシネマ県央はそれぞれサティとワーナー・マイカル・シネマズとして開業した当初から『県央』を名乗る)。
もっとも『県央』という表記は「県の中央」といった意味でしかなく、新潟県でなくても使えるため、日本のどの県の何処に位置するのか判り辛いという難点もある。
燕市に本社を置く有名企業
株式会社 玉川堂
AIRMAN(北越工業株式会社)
UNIFLAME(株式会社 新越ワークス)
株式会社ツインバード
株式会社 遠藤製作所
明道メタル株式会社
三星金属株式会社
エコー金属株式会社
シンワ測定株式会社
ダイヤモンド電子株式会社
株式会社うさぎもち
株式会社ツノダ
藤次郎株式会社
株式会社 東陽理化学研究所
原田乳業株式会社
燕市出身の有名人
キラー・カーン(プロレスラー/1947年3月6日生まれ/2023年12月29日死去)
石山青空(サッカー選手/2006年1月27日生まれ)
岸本大紀(陸上競技選手/2000年10月7日生まれ)
仁木琢郎(プロレスラー/2000年10月29日生まれ)
治田知也(競輪選手/1998年6月10日生まれ)
漆原大晟(野球選手/1996年9月10日生まれ)
大塩綾子(アナウンサー╱1995年11月1日生まれ)
池田雄一(バスケットボール選手╱1983年7月13日生まれ)
押見泰憲(お笑い芸人╱1977年5月5日生まれ)
丸山蘭那(アナウンサー╱1976年12月1日生まれ)
上杉香緒里(歌手╱1975年10月20日生まれ)
魚喃キリコ(漫画家╱1972年12月16日生まれ)
清水雅之(バレーボール選手╱1971年1月3日生まれ)
岡田花菜子(アナウンサー/1969年4月13日生まれ)
西村智奈美(政治家╱1967年1月13日生まれ)
清水秀一(気象キャスター╱1966年1月1日生まれ)
澁木克栄(医学者╱1953年4月10日生まれ)
天野康博(競輪選手╱1952年4月13日生まれ)
和田一夫(経営学者╱1949年生まれ)
神保あつし(漫画家╱1949年10月1日生まれ)
漆原良夫(政治家1944年11月18日生まれ)
宇佐美彰朗(陸上競技選手╱1943年5月31日生まれ)
佐藤秀明(写真家╱1943年6月27日生まれ)
小林清(政治家╱1936年10月10日生まれ)
金子繁治(ボクサー╱1931年8月13日生まれ)
原田泰夫(将棋棋士╱1923年3月1日生まれ)
高桑栄松(医学博士╱1919年生まれ)
亀倉雄策(グラフィックデザイナー╱1915年4月6日生まれ)
上山善紀(実業家╱1914年9月21日生まれ)
桜井三郎(政治家╱1899年1月26日生まれ)
鈴木虎雄(文学研究者╱1878年1月18日生まれ)
燕市に関連する作品やキャラクター
つば九郎
2011年より燕市は名前つながりとして東京ヤクルトスワローズと事業提携を行っており、2013年よりマスコットの『つば九郎』(メイン画像)が市の親善大使として「燕市PR隊鳥」に任命されている。
様々なイベントや地元の祭りに度々派遣される他、稲刈りの時期には市内の水田でコンバインを運転したこともある。
下町ロケット
2018年に制作されたドラマ第2部『ヤタガラス編』の舞台が「主人公の部下・殿村直弘(立川談春)の実家がある場所」という設定で燕市となり、実際に燕市内の各所に出演者達が訪れて幾度もロケ撮影が行われた。
主に市内の分水地区と吉田地区でロケ撮影が行われ、燕市国上にある古民家や、国上山を背景にする粟生津の田園地帯がレギュラーのロケ地となった他、燕市役所庁舎も劇中に登場し、タイアップイベントの一環としてエキストラ役の出演者を燕市民から募集もしていた。
また、劇中重要となる「アグリジャパン」での野木教授(森崎博之)の講演シーンでは、吉田産業会館2階の多目的大ホールを使用した。
以下は番組公式ホームページより引用。
「主人公・佃航平(阿部寛)が経営する佃製作所の経理部長・殿村直弘(立川談春)の父親が倒れる。」
「殿村の実家は新潟県の燕市で三百年も続く由緒ある農家。」
「父親の看病と畑仕事の手伝いに、週末ごとに帰省する殿村を見舞う佃と技術部長・山崎光彦(安田顕)。」
「トラクターを運転する殿村をじっと見て、佃はあることに気づく。」
「それは、佃の中に新たな夢が生まれた瞬間だった───。」
クプルムの花嫁
漫画家のnamo氏による執筆で、KADOKAWA(エンターブレインブランド)が発行する漫画誌ハルタのvolume74(2020年5月発売号)から連載を開始した漫画作品。
燕市の旧市街が舞台となっており、主人公『しいな』の恋人である『修』は燕の伝統工芸品である鎚起銅器の製造を手掛ける見習い職人。
モデルと資料提供は燕市中央通にある玉川堂。
燕市大曲にある燕市産業史料館では、2023年3月3日~4月16日までと7月28日~9月18日の2期に渡って『クプルムの花嫁のセカイ展』と題した原画展を開催。作者のnamo氏を招いてのトークイベント等も行った。
本作品は各メディアでは「新潟県燕三条が舞台」だとやたらに紹介されているが、あくまでも「燕市が作品の舞台」である(劇中で新潟県内の他の地域に主人公達が訪れることはある)。
単行本の帯にも、やはり「新潟県の燕三条が舞台」だとアピールするかの様に書かれており、第1話の劇中でも燕三条駅の新幹線ステーションをバックに「新潟県燕三条」だと太文字で解説が入ったり、たった1コマではあるがガラスケースに展示された地域名産品が描かれている中に「三条市の有名メーカーの爪切り」が「よく見ないと判らないレベル」で登場したりするので、尚更に紛らわしかったりする。
出版業界には燕市を「燕市」だとアピールしてはいけない暗黙のルールがあるのだろうか?
おまけに、ウィキペディアでも、上述した劇中のたった1コマにおける表現でしかない「燕三条」表記と「爪切り」を根拠として、三条市のページで何故か本作品が「三条市を舞台にした作品」だとして記載されている始末である。
なお、本作は同じウィキペディアの燕市のページには一切載ってない。どうしてこうなった?
究極(あるてぃめっと)!ニパ子ちゃん
新潟県燕市の物流センター内に本社を置く工具メーカーであるゴッドハンド株式会社が、同社の主力商品である『アルティメットニッパー』のイメージキャラクターとして2013年6月28日に世に送り出したニッパーの擬人化キャラクター。
惑星コウグからやって来た宇宙人のお姫様で、本名は『セリーヌ・P・ニッパーヌ』である。
『project NIPAKO』と銘打ち、独自のキャラクターとしての活動を行っていたが、諸般の事情により2020年8月31日をもってコンテンツ展開を終了し、『project NIPAKO』も解散となる。
こういう優良コンテンツを市が企業と全力タイアップして町おこしに有効活用するなんて発想に至らないから、燕市はいつまでも三条市に利用され続けるのである。
なお、この『ニパ子』と『アルティメットニッパー』がメディアで紹介される際も、ゴッドハンド株式会社が「新潟県燕三条地区の企業」だと紹介されてしまうため、あろうことか「ゴッドハンド株式会社は三条市の企業」だと誤解した記事までがネット上において散見される始末である。
念のために記しておくが、ゴッドハンド株式会社は正真正銘、燕市に本社を置く企業である。
詳しくはゴッドハンド株式会社の会社概要ページをチェックされたし。
ちなみに、コンテンツ展開が一切出来なくなった為に新規商品として『ニパ子』関連のグッズ販売は不可となっているが、一応現在でも『ニパ子』は『アルティメットニッパー』のPR用キャラクターとしてひっそりと存続はしている。
新型コロナウイルス感染症における対応
2020年に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染が拡大する中、同年4月17日には緊急事態宣言が全都道府県に拡大された。
燕市は市外もしくは県外に転出した同市出身の学生に対して市内への帰省自粛を要請する一方で市内産のコシヒカリ5kgと手作りマスク1枚、その他味噌や漬物などの支援品を送る支援を開始。
中には市長からの手紙も入っていて、「泣きそうになった」などと話題となっている(下記「外部リンク」参照)。