概要
強い欲望の赴くままに、欲求の充足を際限なく求めることである。
仏教においては、人が最も克服するべき諸悪・苦しみの根源とされ『三毒』(可能な限り取り払うべき3つの煩悩)の内の一つとされている。
『貪』(とん)とも言われ、必要以上に求める・貪る心。ありとあらゆる深い欲・欲望のことである、『強欲』の感情とされる。
また、キリスト教において最も重い罪状である七つの大罪の一つ「Greed」の訳としても用いられる。
貪の原因は高過ぎる理想と低過ぎる自己評価にある。
低い自己評価をごまかすために、武器を得ることで背伸びしようとする。
これが「貪」の始まりである。
例えば、「有名な大学」というだけで、その大学で具体的な何かを学ぶという目的もないのに目指すとか、「ブランド」というだけでそれを選んでみたりとか。
そのような「貪欲」の背景に「他者との比較」がある。
他人にどう思われるかを気にしすぎて、軽んじられないように防衛反応が働くのですが、防衛のために何かを得ようとするのは「心が不健全」な状態である。
他者との比較を第一に生きると、本当は自分に必要ではないのに求めてしまったり、何かを手に入れても、もっと良いものを手に入れなければと躍起になってしまう。
どこまでも他人に良く思われたいという焦燥感にかられて欲してしまうのである。
まさに、「欲深く、際限なく欲しがる心」である。
また逆に、「私にはふさわしくない」という謙遜は、武器は欲してないが、むさぼりの変形ともいえよう。
適度な謙虚さは必要だが、こちらがせっかく褒めているのに、必要以上に「私なんか、全然ダメです。」と、褒めたことを全力で否定してくる人がいたとする。
そう言っておけば、期待される結果から外れた場合の防衛線をはることになる。
最初からハードルを下げておけば、非難されないと思っている。
そのような心もまた、価値観の低い自分を防衛する心なので、むさぼりと同じ心の構造を持っているのである。
むさぼる心を持つと、自分の本当の価値が見えなくなってしまう恐れがある。
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