概要
作品内容やキャプション部分で愚痴っている投稿に付けられるタグ。
人生の9割は、きっと思い通りにならない事ばかり・・・
そんなものだと受け入れて、1割の思い通りになった事を喜べるなら、きっと幸せ・・・
・・・そううまく受け入れられないってのも事実ですけれど。
原義
そもそもの意味は仏教用語で、“愚かしくて物事の道理が分かってないこと”を指し、人間を堕落させる三毒の一つに数えられる。
現在では自分が生活の中で触れた他の人間、出来事、作品などで“自分が不満、不快に感じたこと”に対してさもそれが間違っていることであるかのように、あるいは具体的かつ現実的な是正案も指し示さないまま(全く無関係な場所や人間の前で)非難じみた言葉で反発する様を表しているとされる。
現在におけるこの愚痴は、三毒の中では瞋恚に含まれるとされる。
三毒としての愚痴は大抵、旧字体で「愚癡」と表記されており、「癡」とも呼ばれる。
注意
ここで言う愚痴というのは“自分が言っても仕方のないこと”、“自分にはどうしようもないこと”などに対して不満や怒りなど極めて感情的な理屈に基づいた、言い換えればただの悪口とか文句に近い無意味かつ非生産的な言動のことであり、論理的な思考でその対象が抱えている問題を指し示し具体的にそれの改善、解決を求める“批判”とは微妙に違うことに注意。
最近ではネット上においてそんな愚痴をあたかも正当な批判のように扱い、加えてその愚痴を向けている相手(対象)に対してその存在を全否定するような度を過ぎた内容になっているケースも増えてきている。
しかし、たとえ自分が誰かに聞いて欲しいと思って愚痴を吐いたとしても、他人(自身と親しい人間であろうと特に関係のない不特定多数の人間であろうと)がそれに共感、同調してくれるとは限らず何かしらの反発を受ける可能性もあり、場合によってはリアル・バーチャル問わず自分の対人関係にも影響を及ぼすこととなる。
確かに自分が不満に感じたことを愚痴なりなんなりで吐き出してそれ以上ストレスを貯めないことも重要だが、する場所やする相手は出来る限り選ぶべきであろうし、何より対象への批判および諫言とはきちんと区別を付けて使った方が良い。
尤も、批判であっても場所・場合などは選ぶべきである。
「いちいちつまらない事で愚痴を吐くな」←これも立派な愚痴だが、これを実際に言われて不愉快に感じたのならそれは最初に自分の言った愚痴に対して向こうが感じた不快感の表れでもあり、相手が自分の愚痴を聞かされてどう思うか、自分が他人の愚痴を聞かされたらどう思うかも考えるべきだろう。
pixivにもそんな愚痴を書いたキャプションやイラストは多いが、上述の理由からまともな評価は期待しない方がいい・・・かもしれない。