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愚癡

ぐち

愚癡とは「真理を知らないが故に誤ったモノの見方」から生まれる煩悩とも解され、仏教において人が最も克服するべき諸悪・苦しみの根源とされる3つの煩悩『三毒』の一つ。「愚か」ともいう。

概要編集

愚痴というと、一般的には不平不満を口にすることをいいます。

仏教用語ではそれだけでなく、「愚か」ということまで広げた意味になります。


ここでのキーワードは、「誤ったモノの見方」。


「癡」は「瞋」よりも難しい煩悩です。

なぜなら、人は自分がやっている行動を「愚か」だと思っていないから。

自覚のなさが「瞋り」以上なので、厄介なのです。


「愚痴」を言っていると、本質が見えなくなる

不平不満を言う「愚痴」という言葉は「愚か」という字が使われていますが、なぜ「愚か」なのでしょうか?

それは、グチというのは、「因果をわきまえず、現在の困難が自業自得であることを知らない」

とのこと。

「因果」というのは、「原因」があって「結果」がある、その関係性のことです。

すべての結果(体験したこと)には必ず原因があります。


愚痴の原因は自分である、ということになります。


しかし、人は「そんなわけない!」と思いたくなりるものです。


私たちの行動は「観念」によって支配されています。

「観念」というのは、自分は世の中をこんな風に見ている、つまり「自分が認識している世界」です。


「〇〇をするような人はすばらしい。」

「〇〇することはみっともない。」

「〇〇は正しい。」

「〇〇は悪い。」

といった価値観や道徳観は、人それぞれ持っています。


人生がうまくいかないときは、その観念が間違っている場合があるのです。


人は自分の観念が間違っていると、素直に受け入れられず。愚痴を言いたくなります。

例えば上司にものすごい見幕で叱られた場合、


「そんな言い方をしなくても・・・」


と、機嫌を損ねることがあると思います。

誰でも叱られるのは嫌なので、気持ちはわかるのですが、いつまでも「言い方」のせいにしていると、なぜそんな言い方をされてまで叱られたのか、本質が理解できません。


「怒らずに丁寧な言い方を心掛けるべきだ」


という観念が先立ってしまい、自分の行動やクセに問題があったから言われたにもかかわらず、それを放置してしまうのです。

でも、直すべきところを直さないと、今後も自分を苦しめます。


行動に移さないのも愚痴

愚痴を言う人は、うまくいかない理由を挙げることが得意です。

うまくいきたいのなら、問題点を改善して次につなげることが必要ですよね。


でも、人間の中には変化を嫌う心があります。


なぜなら、今まで体験したことが安全なやり方であって、同じ体験をすればそれ以下になることがないと信じているからです。

人は、高いレベルに登れないことよりも、レベルが下がることを恐れるんです。


新しいことに挑戦すると、成功するか、失敗するかわかりません。

ものすごいエネルギーも必要です。

それがよいかどうかの確証はないので、前に進むのは怖いのです。


しかし、そこで環境の変化が迫られると、できない理由を探してしまう・・・

愚痴ばかりの人は、悪い点を見つけることは得意なのです。


しかしそれを放置したままにすると、待っているのは停滞どころか衰退で、次も失敗することは目に見えています。


なのに「他人のせい」「社会のせい」ばかりにして、自分は動こうとしない。

これが「愚痴」は「愚か」だという所以です。


前に進まないのは、現状にしばりつけ、進歩を拒む行為。

愚痴を口に出さなくても、そのような行為も愚痴の一つの姿なのです。

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