実家の隣が劇場で、そこで江利チエミや美空ひばりのショーを見て感銘を受けて役者を志す。
1955年に演技の基礎を磨くべく劇団俳優座養成所に所属。同期に田中邦衛、山本學など。
1957年に松竹映画『気違い部落』でデビュー。当初はそのまま松竹に所属する運びだったがまるで話が進まず、1958年に東宝に入社。松竹にも話を付けたが後に松竹側が激怒していたと知り「人には裏表があると学んだ」と述懐している。
東宝では上原美佐、三井美奈の芸名に「美」がつく3人で「スリー・ビューティーズ」として売り出された。
当初はOL役が多かったが、「クセのある役を演じたい」と会社に掛け合ったところ『独立愚連隊西へ』や『マタンゴ』などのアクション映画・特撮映画に多く出演することとなった。
福田純が「普通の女優なら嫌がるようなことも文句を言わずにやってくれた」と評したように役柄を選ばなかったが、金銭面で苦労した過去から金持ちの女性の役だけは嫌っていた。
1963年に退社しフリーとなる。以後は映画のほかテレビドラマや舞台にも積極的に出演。憧れの女優としてフランソワーズ・アルヌールの名を挙げたところ和製アルヌールという異名で呼ばれるようになった。
2017年に第72回毎日映画コンクールで田中絹代賞を受賞。