概要
本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ)。父がマネージャー、長兄が付き人という3人4脚での芸能活動が、1949年(昭和24年)、12歳のころからスタートすることになった。
進駐軍のキャンプまわりの仕事をこなしていくうちに智恵美はドリス・デイの「アゲイン」などを習得し、ジャズ歌手への志向を高めていく。進駐軍のアイドルとなり、愛称は「エリー」となる。
1952年(昭和27年)1月23日15歳の頃に「テネシーワルツ/家へおいでよ」でレコードデビューを果たす。同年、初主演映画の『猛獣使いの少女』に出演、「美空ひばり以来の天才少女」と呼ばれるようになる。
メジャーデビューシングルの「テネシーワルツ」は23万枚、続く「ツゥー・ヤング」(トゥー・ヤング)も15万枚 の大ヒットとなった。クラシック音楽以外の全ての海外製ポピュラー音楽を総称して「ジャズ」と呼んだ当時、この大ヒットが、大規模の劇場や公会堂を使ったジャズ・コンサート(ジャズ・コン)ブームや、ジャズを放送で取り上げる民間放送の開局ラッシュと重なり、ジャズが全国へ広がるうえでの牽引役となる。
美空ひばり・雪村いづみとともに「三人娘」と呼ばれ、一世を風靡、『ジャンケン娘』(1955年)などの一連の映画で共演した。
主演の映画『サザエさん』シリーズ(1956年から全10作が作られた)もヒット。後にテレビドラマ(1965年 - 1967年)、舞台化もされ生涯の当たり役となる。
1959年(昭和34年)、ゲスト出演した東映映画での共演が縁で高倉健と結婚。
1963年(昭和38年)には日本におけるブロードウェイ・ミュージカル初演の東京宝塚劇場での『マイ・フェア・レディ』に主演しテアトロン賞(東京演劇記者会賞)、毎日演劇賞、ゴールデン・アロー賞(第1回大賞)などを受賞。
その後も多数のドラマに出演、音楽番組やクイズ番組などのレギュラーをこなしていった。
ところが1982年(昭和57年)2月13日午後、チエミが港区高輪の自宅マンション寝室のベッド上でうつ伏せの状態で吐いて倒れているのをマネージャーに発見され、既に呼吸・心音とも反応がなく死亡が確認された。45歳没。死因は、脳卒中と吐瀉物が気管に詰まっての窒息(誤嚥)によるものだった。