概要
大正4年(1915年)、山口春吉が、兵庫県神戸市兵庫区西出町で港湾労働者50人を集めて、港湾荷役人夫供給業「山口組」を結成したのが起源である。
二代目の頃までは小規模な地方組織に過ぎなかったが、三代目の時代に本格的に他府県に進出し(終戦直後には組が潰れかけていたり、港湾労働の機械化やコンテナの普及などにより、本業である港湾荷役人夫供給業が立ち行かなくなった為)、瞬く間に「日本最大の暴力団」となる。
ちなみに「戦争などで組員が三十数名までに減った弱小組織」(三代目組長就任時点)が「数百の暴力団を傘下におさめた、末端や企業舎弟やフロント企業の従業員まで含めると一万人以上の人員を擁する日本最大の暴力団」になるまで、わずか二十数年、無茶苦茶にも程が有る。
初代の頃から芸能興業にも関わり、暴力団と芸能界がズブズブだった頃には、神戸芸能社という芸能プロダクションを運営し、芸能界やプロ・スポーツにも大きな影響力を持っていた。
例えば、三代目組長・田岡一雄がある昭和の有名歌手のパトロンであった事は両者が生きていた頃から広く知られており(と言うか、当該歌手の母親が立ち上げた芸能事務所の役員の1人が田岡一雄だった)、当該歌手が、中々、紅白歌合戦に出演出来なかった理由の1つが山口組との関係を問題視された為とも言われている。
また、昭和の一時期に頻発した「海外旅行に行った芸能人やプロスポーツ選手が拳銃密輸の容疑で逮捕される」という事件は山口組が関係していると見られている(早い話が、芸能人やプロスポーツ選手が、山口組が抗争で使用する拳銃の「運び屋」をやっていた)。
組織構成
組員は2022年末時点で組長(親分)、舎弟(弟分)4人、若中(子分)50人の計55人である。 組長を除き、これら54人の舎弟・若中は直参(直系組長)と呼ばれ、それぞれが多くの構成員を抱える組織のトップである。
その構成員数は約3,800人、準構成員数は約4,300人の合計約8,100人であり、その人数は全暴力団構成員・準構成員数約22,400人のうちの36.2%を占めている。
なお、他の暴力団にも言える事だが「山口組」という名称は、狭義では山口組本家(民間企業で喩えるなら持株会社)の意味で、広義では山口組傘下の暴力団全て(民間企業で喩えるならn次子会社までの全ての系列企業)の意味で使われるので注意が必要。(上記の山口組の組員に関する記述は狭義の山口組、つまり山口組本家についての記述)
山口組も含めて、ある程度以上の規模の暴力団では、いわゆる「本家」の「組員」は、基本的には2次団体(いわゆる直参 / 直系。民間企業で喩えるなら本社直属の一次子会社)の組長のみである(本家の雑用その他は傘下の団体の組員が行なっている)。
傘下組事務所は広島、沖縄、山形の3県を除いた44都道府県に置かれているとされる
「山口」の2文字を菱形にデザインした「山菱」と呼ばれる代紋を用いている。
なお、「本家」組員に与えられる「山菱」のバッジはプラチナ製と言われており、山口組内や他の暴力団の関係者の間では「山口組本家の組員」の意味で「プラチナ」という隠語が使われている。
- 設立年:1915年
- 設立場所:兵庫県神戸市
- 設立者:山口春吉
- 本部:〒657-0067 兵庫県神戸市灘区篠原本町4-3-1
- 現首領:司忍
- 活動期間:1915年~現在
- 活動範囲:1都1道2府41県
- 構成民族:日本人、在日朝鮮人
- 構成員総数:約8,100人(2022年末時点)
- 構成員数:約3,800人
- 準構成員数:約4,300人
- 主な活動:みかじめ料、恐喝、麻薬取引、売春、賭博、高利貸し、総会屋、ほか合法商売
- 友好組織:稲川会、松葉会、双愛会、共政会、会津小鉄会など
- 敵対組織:神戸山口組、絆會、池田組など
綱領と組指針
三代目時代に制定された5条からなる「綱領」が、定例会など行事の際には唱和される。また、年ごとの「組指針」も定められている。
六代目発足以降「警察官と接触しない」「警察機関に人、物を出さない」「警察官を組事務所に入れさせない」の三点を定め警察との距離をおいている。
歴代組長
- 初代(1915年~1925年):山口春吉
- 2代目(1925年~1942年):山口 登(春吉の長男)
- 3代目(1946年~1981年):田岡一雄
- 4代目(1984年~1985年):竹中正久(竹中組組長)
- 5代目(1989年~2005年):渡辺芳則(二代目山健組組長)
- 6代目(2005年~):司忍(弘田組組長、二代目弘道会総裁)
歴代若頭
山口組若頭とは、暴力団山口組の役職の中では組長に次ぐナンバー2である。
二代目時代
- 大長一雄
- 澄田実(-1942年)
三代目時代
- 山田久一(1946年-)
- 安原政雄(-1955年)→辞任
- 地道行雄(1955年-1968年)※一時期、若頭の役を降りていた期間がある →解任
- 梶原清晴(1968年-1971年)→事故死
- 山本健一(1971年-1982年)→病死
- 竹中正久(1982年-1984年)※三代目代行時代 →四代目山口組組長へ昇格
四代目時代
- 中山勝正(1984年-1985年)→一和会により暗殺
- 渡辺芳則(1985年-1989年)※四代目代行時代 →五代目山口組組長へ昇格
五代目時代
- 宅見勝(1989年-1997年)→中野会により暗殺
- 司忍(2005年-2005年)→六代目山口組組長へ昇格
六代目時代
- 高山清司(2005年-現在)
六代目山口組
最高幹部
役職 | 氏名 | 二次団体 | 本部 |
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組長 | 司忍(本名:篠田建市) | ||
若頭(執行部) | 髙山清司(高山清司) | 三代目弘道会総裁 | 愛知県名古屋市中村区 |
舎弟頭(執行部 | 青山千尋 | 二代目伊豆組組長 | 福岡県福岡市中央区 |
本部長(執行部) | 森尾卯太男 | 大同会会長 | 鳥取県米子市 |
若頭補佐・関東ブロック長(執行部) | 藤井英治(本名:丸橋芳夫) | 五代目國粹会会長 | 東京都台東区 |
若頭補佐・中部ブロック長(執行部) | 竹内照明 | 三代目弘道会会長 | 愛知県名古屋市 |
若頭補佐・阪神中四国ブロック長(執行部) | 安東美樹 | 二代目竹中組組長 | 兵庫県姫路市 |
若頭補佐・大阪南ブロック長(執行部) | 津田力 | 四代目倉本組組長 | 和歌山県和歌山市 |
若頭補佐・東海ブロック長(執行部) | 薄葉政嘉(本名:薄葉暢洋) | 十一代目代目平井一家総裁 | 愛知県豊橋市 |
若頭補佐・大阪北ブロック長(執行部) | 秋良東力(本名:金東力) | 秋良連合会会長 | 大阪府大阪市 |
若頭補佐・九州ブロック長(執行部) | 生野靖道 | 四代目石井一家総長 | 大分県大分市 |
舎弟
幹部
役職 | 氏名 | 二次団体 | 本部 |
---|---|---|---|
幹部 | 茶谷政雄 | 茶谷政一家総長 | 北海道札幌市白石区 |
幹部・組織委員 | 加藤徹次(本名:加藤徹司) | 六代目豪友会会長 | 高知県高知市 |
幹部・若頭付 | 山下昇(本名:森尾昇) | 極粋会会長 | 大阪府東大阪市 |
幹部・組織委員長代理 | 吉村俊平 | 四代目吉川組組長 | 大阪府大阪市中央区 |
幹部・事務局長 | 篠原重則 | 二代目若林組組長 | 香川県高松市 |
幹部 | 佐藤光男 | 落合金町連合会長 | 東京都台東区 |
幹部 | 中田浩司 | 五代目山健組組長 | 兵庫県神戸市中央区 |
大阪若中
役職 | 氏名 | 二次団体 | 本部 |
---|---|---|---|
若中 | 能塚恵 | 三代目一心会会長 | 大阪府大阪市中央区 |
若中 | 髙野永次(高野永次) | 三代目織田組組長 | 大阪府大阪市中央区 |
若中・組織委員 | 布川皓二 | 二代目中西組組長 | 大阪府大阪市中央区 |
若中・慶弔委員 | 里照仁 | 二代目中島組組長 | 大阪府大阪市淀川区 |
若中・慶弔委員 | 鈴川驗二 | 六代目早野会会長 | 大阪府大阪市平野区 |
若中・組織委員 | 新井錠士 | 二代目章友会会長 | 大阪府大阪市北区 |
若中・慶弔委員 | 金田芳次 | 二代目大原組組長 | 大阪府大阪市東成区 |
若中 | 植野雄仁 | 二代目兼一会会長 | 大阪府大阪市中央区 |
他都道府県若中
役職 | 氏名 | 二次団体 | 本部 |
---|---|---|---|
若中 | 清田健二 | 十代目瀬戸一家総裁 | 愛知県瀬戸市 |
若中 | 北島虎 | 二代目杉組組長 | 愛知県名古屋市中村区 |
若中 | 貝本健 | 貝本会会長 | 愛知県名古屋市中村区 |
若中 | 田中三次 | 三代目稲葉一家総長 | 熊本県熊本市 |
若中 | 田堀寛 | 二代目名神会会長 | 愛知県名古屋市中区 |
若中 | 塚本修正 | 藤友会会長 | 静岡県富士宮市 |
若中 | 一ノ宮敏彰 | 一道会会長 | 福岡県福岡市中央区 |
若中 | 髙山誠賢(高山誠賢、本名:高山義友希) | 淡海一家総長 | 滋賀県大津市 |
若中 | 山嵜昌之 | 四代目益田組総裁 | 神奈川県横浜市 |
若中・慶弔委員 | 浜田重正 | 二代目浜尾組組長 | 神奈川県横浜市中区 |
若中 | 波入信一 | 七代目奥州会津角定一家総長 | 福島県会津若松市 |
若中 | 中山和廣 | 四代目矢嶋組総裁 | 愛媛県今治市 |
若中・組織委員 | 井上茂樹 | 二代目大石組組長 | 岡山県岡山市北区 |
若中 | 渡部隆 | 四代目誠友会会長 | 北海道札幌市中央区 |
若中 | 平松大睦 | 二代目源清田会会長 | 新潟県新潟市西蒲区 |
若中 | 小林良法 | 三代目心腹会会長 | 徳島県徳島市 |
若中 | 森健司 | 三代目司興業組長 | 愛知県名古屋市中区 |
若中・慶弔委員 | 杉山志津雄 | 三代目愛桜会会長 | 三重県四日市市 |
若中・組織委員 | 野元信孝 | 三代目岸本組組長 | 兵庫県神戸市灘区 |
若中 | 小牧利之 | 三代目小西一家総長 | 静岡県静岡市葵区 |
若中 | 竹嶋利王 | 二代目良知組組長 | 東京都新宿区 |
若中 | 戸塚幸裕 | 二代目國領屋一家総長 | 静岡県浜松市中区 |
若中 | 山田一 | 三代目杉本組組長 | 岡山県津山市 |
若中 | 川合彰典 | 二代目旭導会会長 | 北海道旭川市 |
若中 | 水島秀章 | 四代目益田組組長 | 神奈川県横浜市中区 |
若中 | 武智浩三 | 四代目矢嶋組組長 | 愛媛県今治市 |
親戚・友好団体
- 三代目浅野組:組長・串田芳明は司忍の代紋違いの舎弟。
- 松葉会:団体同士の親戚縁組。
- 双愛会:会長・塩島正則を司忍が後見。
- 五代目共政会:会長・守屋輯を司忍が後見。
- 三代目福博会:会長・長岡寅夫を司忍が後見。
- 東亜会:会長・金海芳雄を司 忍が後見。
- 三代目侠道会:会長・池澤望と六代目山口組若頭補佐・寺岡修が五分兄弟分。
- 二代目親和会:会長・吉良博文と六代目山口組幹部・光安克明が五分兄弟分。
- 六代目会津小鉄会:会長・馬場美次を六代目山口組若頭・髙山清司が後見。
- 七代目合田一家:総長・温井完治を髙山清司が後見。
- 八代目酒梅組:組長・南 喜雅を髙山清司が後見。
- 稲川会:稲川会三代目山川一家総長・内堀和也と六代目山口組二代目弘道会二代目髙山組組長・竹内照明が五分兄弟分。
日本社会との関わり
山口組の収入源は賭博・麻薬などによるものであるが、それらの収入金額・売上高・資本金はトヨタ自動車を凌ぐ日本トップの企業であるという指摘がある。元公安調査官の評論家・菅沼光弘によれば、同和・部落・在日朝鮮人出身者が大半であり、兵庫県神戸市の税収を担い、中部国際空港の建設に関わったとされ、日本社会の中に深く根ざし、影響力を行使するものであるという指摘がなされた。
また、元山口組顧問弁護士の山之内幸夫は『文藝春秋』昭和59年11月号に寄せた「山口組顧問弁護士の手記」において「ヤクザには在日朝鮮人や同和地区出身者が多いのも事実である」「約65万人といわれる在日朝鮮人のうち約50%が兵庫・大阪・京都に集中していることと山口組の発展は決して無関係ではなく、山口組は部落差別や在日朝鮮人差別の問題をなしにしては語れない」と述べた。
カナダのジャーナリスト・古歩道ベンジャミンによると「山口組には以前サハリンで命を狙われたことがあり、ABCテレビの『おはようコールABC』収録後再び弘道会に命を狙われた」という。
分裂騒動
2015年8月に、傘下大手組織のうち篠田現組長出身母体に当たる名古屋の弘道会と関西地方の山健組が対立、本格的に分裂した。
弘道会系が本部を名古屋に移そうとしたことがその一因ともいわれており、山健組とそれに同調する者達は「神戸山口組」と名乗る様になった。
さらに2017年、神戸派の一部がさらに分裂、「任侠山口組」を名乗っており、大きく3分裂したこととなる。
なお、分裂騒動当事者(山口組組長・主要幹部や組から離反した組織の組長)は、いずれも高齢であり、「分裂騒動が終息するとしたら、当事者が齢のせいで死んだ時」などという冗談もある。