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石原伸司

いしはらしんじ

日本の元暴力団組員、作家。更生後は「夜回り組長」と称してボランティア活動を行い、非行少年少女の支援を行なっていた。

概要編集

東京都墨田区東両国生まれる。まもなく空襲を避けるため千葉県習志野市に疎開し、父親は闇ブローカーで母親は闇屋を経営していた。だが、日頃の父親からの暴力に耐えかねて12歳で家出し、東京の繁華街で浮浪児として過ごし銀座のナイトクラブのホステスに拾われる。ホステスは若かったため、石原を愛人や彼氏ではなく、自らの子供として接した。読み書きはそのホステスに教わったという。


その後、15歳でチンピラや愚連隊を経て、22歳で暴力団構成員となり、銃刀法違反、傷害など犯罪を重ね、大阪刑務所をはじめ、宮城刑務所、府中刑務所と刑務所で30年近くに渡り服役。


2001年5月、徳島刑務所での服役後、刑務所手記などを発表。また、自身の体験をもとに繁華街で若者の悩みを聞きながら、非行の防止や更生を支援する活動を独自に始めるようになり、「夜回り組長」としてメディアで大きく取り上げられ、水曜日のダウンタウンミヤネ屋等のテレビ番組への出演や執筆活動をこなし、さらには自身の半生を黒沢敏雄主演で映画化もされた。


しかし、それから程なくして当時交際していた資産家の女性と別れてから生活に困窮するようになり、更には多額の借金も抱えていたことから借金取りに追われ、自宅に戻れず、ビジネスホテルを転々とする生活を送っていた。彼の知人からはかつては明るく能弁でヒゲの手入れを欠かさなかったが、別人のようにゲッソリし、無精ヒゲが生え、笑顔もなくなって、服もボロボロで浮浪者同然の姿だったという。やがて所持金が底を付くと、昔の仲間やマスコミ関係者に借金を申し込んだり自分の高級服を知人に強引に売りつけるなど金銭トラブルが増え始める。


また死後、メディアの取材によって石原が生前語っていた経歴が虚偽のものであった事も判明しており、実際には組を持っていたことも、幹部などの役職に就いたことも無く、引退するまで下っ端の構成員だったという。その為、夜回り組長というのは自身の注目を集めたい為の単なる建前の名目だと考えられる。


そして、2017年10月26日未明、東京都豊島区のサウナ付き簡易宿所において、当時70代の男性利用客を絞殺し、時価100万円相当の腕時計を奪う強盗殺人事件を起こす。その後、防犯カメラや盗んだ時計を質屋で換金した事から警視庁は犯人が石原である事を浮上し、指名手配した。そして、翌2018年3月6日夜、今度は墨田区内の公園で男性を刃物で切りつける事件を起こしたのち隅田川に飛び込み、溺死した。79歳没。同年4月5日、警視庁は前年10月に起こした強盗殺人で石原を被疑者死亡のまま書類送検され、報道では「職業不詳」とされた。


極道から抜け出し、作家やボランティア、更生・慈善活動を積極的に行い世間から慕われ続けた彼だったが、最終的にはその信頼を裏切り、おまけにヤクザ時代は組長では無く単なる末端構成員という嘘の経歴を暴露され、世間からの信用も失い、最期は極道以上に卑劣な犯罪を犯してこの世を去るという自業自得な哀れな末路を迎えた。

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