川田利明
かわだとしあき
1963年12月8日生まれ。栃木県下都賀郡大平町(現:栃木市)出身。タレントとしては太田プロダクションに所属している。
「名勝負製造機」とも称される試合巧者振りと、キック主体のレスリングスタイルが特徴であった。
1982年3月、川田は全日本プロレスに入門。 1985年に海外修行に出発し、テキサス州サンアントニオ地区ではサムソン冬木とのタッグチーム「ジャパニーズ・フォース」で活動、若手時代のショーン・マイケルズ&ポール・ダイヤモンドの「アメリカン・フォース」と抗争を展開した。
帰国後の1987年、天龍源一郎がジャンボ鶴田を超えるため掲げた「レボリューション」に参加。
1990年春、天龍や冬木がSWS旗揚げに伴って全日本を離脱。大量離脱後の初の試合で2代目タイガーマスクとタッグを組み、以降は鶴田超えを果たすため、三沢光晴らと超世代軍を結成。1993年春、川田は“三沢越え”を念頭に超世代軍タッグを解消、鶴田とのタッグで着々と力を付けていた田上明と聖鬼軍を結成。
1990年代終盤から度重なる負傷に見舞われ、完治する前に強行出場し意地でリングに上がる日々が続いた。
その後、全日本で選手大量離脱などがあった。
2005年3月、川田は無所属選手であることを宣言した。
2010年を最後に現役引退。
川田選手由来のネタ台詞として主にプロレスファンに知られるこのセリフ、初出は2007年頃の
ハッスル!での寸劇であるという。
楽屋で川田が後輩レスラーに「悪いなこんな戦いに巻き込んで」と声をかけたら、
自分は第1回からハッスル軍にいた旨返事をした際の川田選手の反応が
「知らなかったそんなの…」だったという。後輩の存在感が薄すぎて、第1回から一緒にいたのを忘れていたというネタ。
(ソース : 電光MMMさんのツイート)