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概要・人物だー!元気ですかー!?編集

本名猪木寛至(いのきかんじ)。

1943年2月20日生まれ。神奈川県横浜市出身ブラジル育ち。

元プロレスラー。参議院議員。


力道山の門下生出身で、同門であるジャイアント馬場と共に日本のプロレスを盛り上げた「燃える闘魂」。

力道山の下では元・巨人軍の野球選手である為にある程度優遇されていた馬場と比較して練習はおろか日常生活においても虐待レベルの扱いを受けており、この当時は殺意すら抱いた事があると述べている(その馬場ですら練習の時は相当に理不尽レベルの扱きを受けており、「人間として何一つ良い所はありませんでした」と師匠について述べるレベルだった)

一方で、力道山が暴漢に刺される数日前に招かれた酒宴での出来事以来それまでの憎悪が吹っ飛ぶほどの感銘を受けたり、師匠の育成方法や事業癖まで真似てしまったり、力道山が北朝鮮に残した娘を探すなど敬愛の対象としてみていたようである。


バトルスタイル編集

実は、若手時代にジャイアント馬場と16回戦ったことがあるが、いずれも馬場に同じ技(フルネルソン)で敗れている。デビュー時から恵まれた体格とプロレス脳を駆使してアメリカでもトップヒールとして君臨した馬場に対しては強いコンプレックスを抱いており、互いに団体を設立した後もNWAの人脈を抑えてプロレスの保守本流を突き進んだ馬場に対抗すべく、過激な挑発的言動や仕掛け、実力はあってもプロレスラーとしては二流のカール・ゴッチを神様に仕立て上げたり、スタン・ハンセンなどチャンスに飢える若手外国人選手を掘り出すといった手段をとった。

その中でも、もっとも有名な仕掛けが異種格闘技戦であるが、実際に猪木が行った真剣勝負はパキスタンのレスラーアクラム・ペールワン戦のみとされる。その試合では相手を終始コントロールし、バックをとられても慌てずに対処するなど実力の高さを見せつけている。

必殺技卍固めコブラツイストなど。


事業家だバカヤロー!編集

師匠である力道山の影響から事業家としての顔も持ち、タバスコを輸入した貿易会社のアントン・トレーディング、スペア・リブ関係のレストランチェーン展開やヒマワリの種のスナック菓子であるアントンナッツやマテ茶のアントンマテ茶等を販売したアントン・フーズ、バイオ燃料関連のアントン・ハイセル等の事業を行っていたが、何れも残念な結果に終わっている。

この時の借金が原因で山本小鉄らがクーデターを決起・一部のレスラーが退団して別団体へ移籍などのキッカケを作る事となってしまった。


政治活動もやったんだバカヤロー!編集

1989年に参議院議員選挙に立候補し当選。路上に作った特設リングでハリボテの覆面レスラー「ワルダー消費税」と戦い延髄切りで倒す(首チョンパ)というパフォーマンスがニュースで紹介された。この少し後の1991年、ミュージックステーションに出演していたデーモン閣下から「支持する」と言われている。


1995年に落選して以降長らく政界からは遠ざかっていたが、2013年の参議院議員選挙で、日本維新の会から立候補して再び当選を果たし、国政へ復帰することになった。議員初当選の頃から北朝鮮に度々訪問していて、朝鮮労働党幹部と太いパイプを持っている。2014年の維新の会分裂にあたっては次世代の党の方へ参加したが、同年12月の衆議院選挙で次世代の党が惨敗した直後離党届を提出。晩年は2015年結成の政治団体「日本を元気にする会」の代表を務めた。


湾岸戦争での活躍編集

湾岸戦争の際に日本人の人質40人余りを解放までに導いた実績を持っている。猪木の声に応じたミュージシャンやスポーツ選手がイラクのバグダッドでイベントを開催、イラク政府にも熱意か通じたのか後に全員解放までに至った。また、そのイベントの際に利用したチャーター機の費用は全額が猪木個人の自己負担である。


難病との闘い - 最晩年・・・負けないぞバカヤロー!編集

2019年に耳が少し聞こえにくくなった為に診察を受け、様々な検査を行ったところ、「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」という難病に罹患していた事が発覚(当初は心アミロイドーシスと発表していた)。翌2020年にこの病による闘病生活を送っている事をTwitterで明かした。

そして、その闘病生活を送る猪木の光景を公式YouTubeで公開されたが、既に後期高齢者だったゆえこれまでのガタイのいい猪木像から顔も身体も痩せた闘病生活を送るその姿は人々に衝撃を与えた。


2022年9月21日に撮影され、10月1日・6日に公開された動画が猪木最後の動画であり様々な想いを語っている。この時点でもう自分で起き上がる事もできない、自力でストローで水を吸えない所まで衰弱していた。そして最後に彼はカメラの前で「ガリガリになった猪木がガリガリ君を食べる」というサプライズを見せたのだった。


これが、アントニオ猪木が公で見せた最後の姿となった。


最後の撮影から丁度10日後の2022年10月1日午前7時40分、心不全のため死去。享年79歳。奇しくも自身がプロレスラーとしてデビューした日の翌日だった。

また、前日の9月30日にはプロレスファンとしても知られた落語家の六代目三遊亭円楽三遊亭楽太郎)も逝去。


余談じゃねぇかバカヤロー!編集

マイクパフォーマンス時のキャッチフレーズである「1、2、3、ダァーッ!」は商標登録されており、『1、2、3、ダァーッ!麺』と言う生ラーメンが発売されている。また、「闘魂」、「猪木イズム」、「ボンバイエ」も商標登録されている。


闘魂ビンタ編集

某予備校のイベントで生徒らのパンチを腹部に受ける企画があったのだが、その中の生徒の一人が少林寺拳法の有段者でよりによって本気で猪木氏の腹部を殴ってしまった。その時に流石の猪木氏も驚いてしまい、反射的にビンタしてしまったのがきっかけだった。

なお、ビンタを受けた生徒もその場で礼儀正しく「ありがとうございました」と丁寧に一礼して返している。その後もこの闘魂ビンタを受けた東大受験生が全員合格するなどの事もあり、しばらくは縁起物のように扱われた。ただ、本人は素人に対しての暴力を嫌っているため、ブームを過ぎてからはやりたがらない様子。


元気があれば入場曲だって作れる!編集

超有名な入場曲「炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~」。

曲中頻繁にはいる「ファイっ!」は猪木本人によるもの。この曲を収録したレコードは現在プレミアが付いているらしい。

なおこの曲自体は伝説のプロボクサーモハメド・アリから、異種格闘技対決を経て提供されたもので、本家はモハメド・アリのもの。


関連項目・・・俺の事は忘れるなぁ!!1、2、3、ダァー!!編集

新日本プロレス

永久機関(「ネジ一本締め忘れた」で検索)

闘魂注入

林家こん平「1、2、3」で前置きして観客と一体になる掛け声が共通している。

DJOZMA:入場曲をREMIXした楽曲「疾風迅雷~命BOM-BA-YE~」を2007年にリリースしている。

アントニオ小猪木アントキの猪木春一番(タレント)神奈月:主なものまねタレント。

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