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前田日明

まえだあきら

日本の元プロレスラー、総合格闘家。 かつて存在していた総合格闘技団体リングスの旗揚げ人でもある。
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プロフィール編集

本名 同じ
旧名 高 日明(コ・イルミョン、고일명)※
別名
  • 前田明(デビュー時)
  • クイック・キック・リー(海外修行時代)
誕生日1959年1月24日
出身地大阪府大阪市大正区
身長193cm
体重115kg(現役時)

※在日韓国人三世で、1983年、日本に帰化。



人物編集

根っからのマックユーザでゲームマニアで特撮マニアである。格闘技(空手)を始めたのもウルトラマンの最終回でウルトラマンを倒したゼットンをシバき倒すのが目的だったと言う。なお、2014年1月29日のニコニコ生放送で行われた「ウルトラマン Blu-ray BOX III」発売記念番組では長年の夢だったゼットンとの対決が実現している。


生まれ育った日本への愛と誇りを持ち、政治的には保守寄りの自説を語っており、2021年には自身の信条を綴った著書『日本人はもっと幸せになっていいはずだ』を上梓している。また、学生時代の趣味は大日本帝国軍に関する戦記を読む事で、中学校卒業後に自衛官かタンカーの船員になろうと考えたが、自衛隊も高等専門学校も日本人である事が応募資格であり、上記の出自に関する事情で当時はまだ日本人でなかったことから諦めざるを得なかったというエピソードがある。


プロレスファンを公言している桑田佳祐は1989年に前田と対談した経験があり、現在もYouTubeチャンネルの動画を全てチェックし、自身のラジオ番組「あの人、頭良いんだよね」と称える発言をしている。


略歴編集

所属

新日本プロレス⇒第1次UWF⇒第2次UWF⇒リングス


大阪・北陽高等学校(現・関西大学北陽高等学校)出身。

1977年、佐山聡にスカウトされ、新日本プロレスへ入団。

1978年8月25日、長岡市厚生会館の山本小鉄戦でデビュー。


1999年2月21日、前田の引退試合としてアレクサンドル・カレリンと対戦し、判定(ポイント)負け。


引退後の2007年3月にフリーカメラマンの女性と結婚(入籍は前年12月)、一子(長男)がいる。

現在はアマチュアの格闘技大会「THE OUTSIDER」を2008年から開催している。


得意技編集

各種関節技、キック、各種スープレックス。


新日本プロレス時代は、

の12種類を使用した。


オリジナル技は

  • キャプチュード』(ミドルキックや前蹴りなどの蹴り技を打ち込んできた相手の蹴り足を捕らえ、膝を内側から上腕で抱え上げつつ相手の首を正面から抱きかかえ、後方へと反り投げる技。)
  • フライング・ニールキック』(体を浴びせるように倒れこみながらの後ろ回し蹴り。縦回転は『大車輪キック』。)

が有る。


入場テーマ曲は「キャプチュード("Captured")」(イギリスのバンド・Camel[キャメル])が代表的だが、若手時代には「ダンバインとぶ」を使用していたこともある。

  • 「キャプチュード("Captured")」


関連タグ編集

アントニオ猪木 山本小鉄 カール・ゴッチ 佐山聡

高田延彦 藤原喜明 船木誠勝 鈴木みのる


古田信幸:第2次UWFのリングアナウンサー。解散後「リングス」、「ZST」、「HERO'S」、「ビッグマウス・ラウド」でリングアナウンサーを歴任していた。


サントリーリコー…かつてCMに出演。

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