概要
二期に分かれて存在し、それぞれに違いがある。
第一期(旧U、ユニバ)
1984年に新日本プロレスの営業本部長だった新間寿を中心に、当時所属選手だった前田日明と藤原喜明、旧国際プロレスからの移籍組のラッシャー木村、剛竜馬、グラン浜田、マッハ隼人らによって立ち上げられた。
当初はアントニオ猪木をはじめ新日の有名な“ガイジン”レスラー参戦も予定されていたがテレビ朝日(当時の大株主)によって阻止され、結局は中堅レベルの選手で旗揚げ興行を行った。
その後、初代タイガーマスクの佐山聡が入団。(入れ替わりで新間と浜田が退団)
佐山のつてで山崎一夫や木戸修といったカール・ゴッチ門下生(前田や藤原も弟子)が入団するに到って、後のUWF=ゴッチ・イズムの元となった。
しかし、1985年9月の佐山と前田との試合中に事故が起こり、それが引鉄となって第一期は幕を閉じ、多くの選手が新日に移籍した。
第二期
1988年、前年の長州力との試合で不意打ちをした件で無期限出場停止→解雇となっていた前田がUWFを再興。
それまでの団体とは趣を異にし、興行数は月一回、ビデオ販売で収益を上げるビジネスモデルを形成して既存団体との違いを明らかにした。
翌年には藤原が船木誠勝と鈴木みのるを連れて再加入。11月には「U-COSMOS」を東京ドームで開催。6万人を動員した。
だが1990年にメガネスーパーの出資でSWSが旗揚げされると、所属選手をリングに上げるか上げないかで前田とフロントがが対立、全選手を解雇する形で決着し、12月の長野大会では船木の呼びかけにより欠場中の前田を含む全選手がリングに勢揃いし万歳三唱、選手の一致団結をアピールし新団体設立を印象付けたが、これをもって興行は停止した。
その後、UWFは前田のRINGS(リングス)、藤原のプロフェッショナルレスリング藤原組、高田のUWFインターナショナル(Uインター、)の3派に分かれる。
(のちに藤原組からパンクラス(のちに格闘技団体に転向)、格闘探偵団バトラーツ(2011年解散)が分裂。Uインターは1996年解散後、「キングダム」を経て格闘技団体「キングダムエルガイツ」が活動中。)
関連動画
所属選手
※現役は太字。✝は故人。
第1次UWFと第2次UWFの両方に所属
山崎一夫
中野龍雄(現:中野巽耀)
宮戸成夫(現:宮戸優光)
第1次UWFのみ所属
スーパータイガー(旧:ザ・タイガー、現:初代タイガーマスク)
剛竜馬✝
マッハ隼人✝(初代)
ミスター空中✝(レフェリー兼任、第2次ではレフェリーに専念。)
神田秀宣
岡本剛(一度引退後大日本プロレス旗揚げの時に『ブルーザー岡本』の名で復帰するが再度引退。)
広松智
星名浩
森泰樹
高山善廣(練習生、詳細は記事参照。)
第2次UWFのみ所属
船木誠勝
垣原賢人
冨宅祐輔(現:冨宅飛駈)
内藤恒仁
長井弘和(現:長井満也)(練習生、怪我でデビューが遅れたまま解散、Uインターを経てリングスでデビュー。)
山本宜久(練習生、怪我で退団後リングス1期生として再入門、デビュー。)
海老名保(練習生、脳挫傷でプロレスラーへの道を断念。その後「超神ネイガー」などローカルヒーローや「ファイヤーレオン」の企画・制作に数多く携わる。)
森重正臣(練習生、のちFMW1期生として1990年にデビューしたが翌年から長期欠場、そのままフェードアウト。)
堀口和郎(練習生、練習中に事故死。)
関連人物・団体
古田信幸・・・第2次UWFの時のリングアナウンサー。因みに第1次UWFのリングアナ・神真慈は第2次UWFの時代表取締役社長を務めた。
GLEAT・・・二種類ある試合ル-ルのうちの一つにUWFルールを基にした『LIDET UWF』というものがある。