ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

誘導

ミストトレインガールズのパンクラスに関しては、こちら。→パンクラス(ミストトレインガールズ)

タグも誘導先の物を使う事を推奨。

概要

団体名は、古代ギリシャの格闘技「パンクラチオン」の前身とされる競技名を由来としている。

1992年12月、船木誠勝鈴木みのるらはメガネスーパーをスポンサーとした『プロフェッショナルレスリング藤原組』に所属していたが団体のトップである藤原喜明と意見が対立、若手一人を残して7人が離脱、UWF時代の縁故を頼り尾崎允実を社長として『ワールド・パンクラス・クリエイト』を設立。

1993年9月21日、東京ベイNKホールで旗揚げ戦を開催。旗揚げが発表される前後までに全所属選手が肉体改造を行い、体脂肪を極限まで絞り込んだ肉体と、「完全実力主義」を標榜して「秒殺」という流行語を生み出すほどの衝撃的な試合で多くのファンを獲得。

ルールも、チョーク有り5ロストポイント制(従来と異なり、ロープエスケープとノックダウンが同価)を導入。

しかし選手の負傷増加やグラウンドでの防御技術向上による膠着多発が発生。

そこで選手の負傷率が高かったヒールホールドをU系で初めてルールで禁止技にし、5ロストポイント制段階的に廃止。

1998年から1999年にかけての「パンクラチオンマッチ」と銘打たれたバーリトゥードへの対応を目指した実験的試合の数々を経て、2000年からオープンフィンガーグローブ着用、グランドパンチ解禁により完全な総合格闘技ルールを導入。

1997年7月、船木が率いる『パンクラス東京』と鈴木が率いる『パンクラス横浜』に分かれる。

2000年5月26日、船木が「コロシアム2000」でヒクソン・グレイシーに敗れて引退。以後格闘技団体としての性格を強めていく。

2002年1月、パンクラス東京とパンクラス横浜を『パンクラスism』に統合。

2007年、BodogFightと業務提携を結んだことを発表、12月には、アメリカのネバダ州アスレチック・コミッションが定める階級制に変更。翌年から新階級での試合を開始。

2008年5月、パンクラスを設立してワールド・パンクラス・クリエイトは全営業を譲渡。

2012年5月31日、パンクラスのブランド名及び運営権をスマッシュが取得して同社のスマッシュ パンクラス事業本部として運営。

所属選手

パンクラスイズム横浜

伊藤崇文

近藤有己

渡辺大介

北岡悟(アニメ「おねがいマイメロディ」のファンで本人役で出演も。)

ロッキー川村(メイン画像の人物。本名・川村亮、2010年10月~2012年5月までパンクラス代表。)

DJ.taiki

松嶋こよみ

北田俊亮

パンクラスP's LAB横浜

シバター

パンクラス大阪稲垣組

前田吉朗

パンクラスヴィーナス

中井りん

パンクラスMISSION

※パンクラスのプロレス部門。

鈴木みのる(旗揚げメンバー)

冨宅飛駈(旗揚げメンバー)

佐藤光留

過去の所属選手

※現役は太字。

船木誠勝(旗揚げメンバー)

高橋義生(旗揚げメンバー)

國奥麒樹真(旗揚げメンバー)

美濃輪育久(現:ミノワマン)

中台宣(現:サイレンサー)

馬場口洋一(若翔洋、元大相撲力士〈最高位・張出関脇〉)

稲垣克臣(旗揚げメンバー、2003年引退後は現・パンクラス大阪稲垣組代表。)

柳澤龍志(旗揚げメンバー)

山田学

謙吾(本名・渡部 謙吾、映画「あずみ2 Death or Love」に出演した。)

長谷川悟史(1999年に転落事故で死亡。享年22歳)

野地竜太

渋谷修身

金井一朗

コメント

コメントが未記入です

pixivに投稿されたイラスト

すべて見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ

パンクラス
0
編集履歴
パンクラス
0
編集履歴