修斗
しゅうと
「打投極(だ、とう、きょく)」とで表す、打撃と組み技の高いレベルでの融合を理想とする格闘技及びその団体。
1984年に前年、新日本プロレスを退団した元タイガーマスクの佐山聡が自らの格闘技理論の研究、実践のために「タイガージム」(後にスーパータイガージムに改称)を開設したことに始まる。
当初「新格闘技」という名称を経てプロレスの隠語であるシュートから「シューティング」と命名されたが、射撃競技との混同を避ける等の理由から「斗いを修める(たたかいをおさめる)」という意が当てられ修斗となった。
初期には技術の体系化の他、専用のヘッドギアやオープンフィンガーグローブ、レガース等の開発がおこなわれ、普及や運営に際してスポーツや武道の精神が導入、重要視された。
1987年に修斗協会(2012年、一般社団法人化)が設立、1989年にプロの試合も行われた。
1996年には修斗コミッションが設立、一方で佐山が一切の運営から身を引く。
この頃までの第1世代の修斗は競技としてのレベルは高かったが不遇で、殆ど客が入らず閑古鳥が鳴いていた。リングが壊れる事もあり客の目の前で進行を止めて修理をしていた事もあるくらいに酷かった。
しかし1997年佐藤ルミナが、ブラジリアン柔術の黒帯選手ヒカルド・ボテーリョに日本人として史上初の一本勝ちした事で人気が大爆発、さらに彼がプロ意識革命・ファッション革命を起こした。そして修斗第2世代であるライト級の朝日昇・ウエルター級の佐藤ルミナ・ミドル級の桜井マッハ・ヘビー級のエンセン井上で修斗四天王と呼ばれた。
2000年頃までは佐藤ルミナの他にも、桜井"マッハ"速人や宇野薫らもファッションやサブカルチャーの分野で取り上げられ人気に。
しかし総合格闘技の隆盛と共に修斗第3世代の五味隆典や山本KIDや川尻達也の頃から、有力なプロ選手が他の団体へ流れる傾向が始まり現在も続いている。とはいえ修斗の普及も国内外で進みアマチュアの大会が開催されたり、2003年に「インターナショナル修斗コミッション」設立もしている。
試合は、階級・体重のリミットがネバダ州アスレチック・コミッション基準で次のとおり行われる。
- プロ
リングあるいはケージで行われ、1ラウンド5分、ラウンド間に1分のインターバル。
選手の頭部への蹴り、膝蹴りは反則行為。
- アマチュア
リングの他、柔道場、円形のマットで行われ、ヘッドギアやレガース等の防具の着用を義務付けられる。4分1ラウンドまたは3分2ラウンドで行われるが、初心者や女子選手のためのクラス等が設定されている。
勝敗は一本(関節技や締め技でギブアップ)、テクニカル一本( 関節技や絞め技によるレフェリーストップ)、ノックアウト(KO)、テクニカルノックアウト(TKO)、判定、反則失格で決する。