リック・フレアー
りっくふれあー
Woooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!
本名、リチャード・モーガン・フレアー。
幾度となく世界ヘビー級王者タイトルのベルトを腰に巻き、NWA・WCW・WWE(当時はWWF)の3団体で計16回戴冠。
ハルク・ホーガンとは対極をなす、アメリカン・プロレスの体現者。ずる賢く立ち回り、泥臭く王座を保持するスタイルを得意としたがこれはNWA世界王者伝統の戦い方で、巡業先で地元の英雄を挑戦者に迎えるため、相手を立てる必要があった。
フレアーの技術は最高峰とも讃えられ、その試合巧者ぶりを「業界一汚い男」、「箒相手にしても試合を成立させうる」と称賛された。
武藤敬司も「自身のベース」と公言し、最大限のリスペクトを寄せている。
またプロ意識も高く、流血シーンに映えさせるために頭髪を金髪に染め上げている(地毛は赤茶色)。
日本でも人気・知名度は高く、全盛期には全日本巡業に何度も参加しておりその度にタイトルマッチを行っていた。WCW時代には新日本にもたびたび上がっている。
AWAでデビュー後、NWA→WWF→WCWを経て、2001年にWWE復帰。生ける伝説として高い人気を保持しつつ、ドラマやマイクではちょっとトボけたおじさんとったキャラクターでコメディリリーフに回ることも多かった。
2007年11月、3ヶ月の欠場から復帰し「私は引退しないと」と宣言するも、ビンス・マクマホンに「1度でも負けたら引退」を宣告されてしまう。その後、ビンスを含めた多くのレスラーを退けて引退を回避し続けていた。そしてついには現役でありながら殿堂入りを果たすという快挙を成し遂げる。一方、レッスルマニア前のRAWでのスピーチ中、ショーン・マイケルズが乱入。自らがフレアーに引導を渡すことを宣言した。
レッスルマニア当日、直前のインタビューでフレアーは"To be the man you have to beat the man!"(一流になりたければ、一流を倒せ!)の言葉を残して試合に臨み、年齢を感じさせないテクニックでマイケルズを追い詰めるも、最後はマイケルズの必殺技、スイート・チン・ミュージックに敗れ、引退となった。
その後、ハルク・ホーガンの自主興行やTNAで復帰しているものの、公式にはWWEでの引退がレスラーとしての引退とされている。
現在は再びWWEに関係しているようで、ドラマ部分に顔を出したりしてファンを喜ばせている。
- 足4の字固め:言わずと知れた必殺技。かける前に独特のムーブを見せることもある。
- 逆水平チョップ:非常に良い音が鳴る。それに合わせて観客が「Woooo!」とチャントするのがお約束。なお、フレアーへのリスペクトから、今でもWWEではレスラーが逆水平チョップを撃てば観客が「Woooo!」とチャントするのが恒例。
- 長滞空ブレーンバスター
- 膝裏へのタックル
- 反則:金的攻撃からサミング、凶器攻撃までなんでもあり。
- 降参ポーズ:両膝をついて両腕を前に出し「Oh,No!」と許しを乞う。これに油断した相手に反則攻撃し、足4の字固めやスモールパッケージホールドに行くこともしばしば。
- 時間差倒れ:相手の攻撃を受けた後、数歩歩いて顔面から倒れるお約束ムーブ。
- コーナーに上って投げられる:お約束。
- コーナーにハンマーするされた時、そのまま1回転して落ちる:お約束。
- 1950年に発覚し全米を震撼させたテネシー児童福祉協会による養子縁組用の乳幼児売買事件の被害者の1人。生後1か月ほどで当時デトロイトで産婦人科医を開業していた養父母の元に引き取られ、ミネソタ州ミネアポリスで少年時代を過ごしていた。
- 若手時代の1975年10月、乗っていたセスナが墜落し背骨を骨折するという大怪我を負いながらも奇跡的に復活を果たした。
- 上記の墜落事故の恐怖から、背中から受身を取る事ができなくなり、落下系の技を受ける時は、肩を下にして斜めに受身を取っていた。(それでもなおフレアーの受身技術は完璧に近いため、相当プロレスを見込んだファンでないとわからない)
- 「ネイチャーボーイ」は、往年の名レスラー、バディ・ロジャースから受け継がれたニックネーム。
- 娘のシャーロット・フレアーもWWEでスーパースターとして活躍しており(2016年頃からDIVAという名称は消滅)、180㎝近い長身でスタイル抜群、華がありプロレスセンスもあり人気が高い。なお、顔はお父さんそっくり。
- 息子のデビッド・フレアー、リード・フレアーの異母兄弟もプロレスラー(リードはシャーロットの実弟)。デビッドは2005年、リードは2013年に全日本プロレスに参戦しているが、リードは帰国後の2013年3月に死去。
- 殆どの選手がロック調の楽曲を入場曲とするなか、クラシックの「ツァラトゥストラはかく語りき」(リヒャルト・シュトラウス作曲)を入場曲として使用している。