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父、ビンス・マクマホン・シニア編集

1914年、ニューヨーク州生まれ。本名ビンセント・ジェームズ・マクマホン(Vincent James McMahon)。

アメリカプロレス団体WWEの前身、WWWFの創始者。父はMSGを拠点にプロレス・ボクシングのプロモーターとして活躍したジェス・マクマホンである。


古くから業界に関わる人からは今でも「ビンス・マクマホン(姓はマクマーンと表記されることもある)」といえば彼の事を指し、息子は(ビンス)Jr.と呼ぶ。ビジネスに対してはシビアであったようだが業界の発展と安定に貢献したことから、今でも人格者として語られることが多い。


日本プロレス界ともかかわりが強く、武者修行中のジャイアント馬場をトップレスラーとして起用したほか、70年代以降には新日本プロレスと業務提携してアンドレ・ザ・ジャイアントハルク・ホーガンなど大物レスラーを日本へ送り込んでいた。


1982年に息子のヴィンス(下記)に会社(WWWFの親会社である「キャピタル・レスリング・コーポレーション」)を売却、1984年5月24日死去。


現在の“ミスター・マクマーン”編集

1945年8月24日ノースカロライナ州生まれ。本名はビンセント・ケネディ・マクマホン(Vincent Kennedy McMahon)。

WWE Inc.代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)でもあり、全試合のプロデューサーでもある。試合はダークマッチを含め全試合をバックステージで視聴し、ほんの少しでもスーパースターに不満を持てばそれだけでランクが変動してしまうほど。

また、実況者や解説者にはヘッドホンを通じてほぼ罵声だらけの指示を出し続けるので、それに辟易して辞めてしまった者も過去には居た。

大会当日の試合開始直前に思いつきのようにマッチメークやストーリー、セグメントの内容を変えるよう指示するので、試合が全て終わるまでプロデューサーやライターなどのスタッフは勿論のことスーパースターも気が抜けないのが実情である。

興味や関心のあるスーパースターは強くプッシュするが醒めるのも早く、今までに何人ものスーパースターがそれで苦渋を舐めている。


長身と、年齢不相応な肉体の持ち主でWWEの、ひいてはアメリカン・プロレス(スポーツエンターテインメント)界のドンでありながら、選手としてリングに上がることもある。


幼少の頃は、父と母の離婚に伴いトレーラーハウス暮らしを余儀なくされた時期もあった。

大学卒業後、旅行代理店に勤務したのちに父の「キャピタル・レスリング・コーポレーション」に入社、1969年にリングアナウンサーとしてデビューする。1980年に妻リンダと興行会社「タイタンスポーツ」を設立し、父から会社の全株式を買い取った。


やがてビンスは、不可侵を約束していたアメリカの他の地域のプロレス協会の事業エリアを浸食し始める。他の協会は憤激するも為す術なくWWFはアメリカ全土を席巻していった。

一時期、nWoブームに乗るWCWに番組戦争を仕掛けられて経営的に追いつめられるも、対抗すべくアティテュード路線を遂行すると巻き返しに成功、逆に経営難に陥ったWCWを買収する。更には、経営破たんしたアメリカ第3の団体ECWをも買収し、WWEをアメリカマットに於ける事実上の一強状態へと押し上げた。


役柄編集

オーナーの立場を利用して選手に高慢な態度で命令する、ヒール的な役回りをする。

時には「ビンスのケツにキスをする会(Vince McMahon's Kiss my A$$ Club)」と称し、レスラーに屈辱的な姿勢を強要する事もある。

その為反発するレスラー達に襲撃される事もしばしば。


事あるごとに見せる顔芸が神業


なお、前述の通り選手としてリングに上がる事もある。ただのオーナーにもかかわらず素人は思えない肉体と受け技術を持っている。しかもリングに立ち始めたのは50歳を過ぎてから。基本的に相手レスラーを引き立てる事を原則としているため、真っ向勝負でレスラーに勝つ事はまずない。


息子、シェインも選手として出場している。こちらも素人だが、父親以上のレスリングセンスを持ち、最強の素人とも言われる。とにかく高いところから飛ぶ(落ちる)のが好き。一時期WWEの表舞台から姿を消したが、2016年に復帰。40代後半の素人とは思えない動きを見せた。


決め台詞編集

もし高校野球の女子マネージャーがマクマホンの『WWE』を見たら

  • 「You're Fired!(貴様はクビだ!)」
  • 「Kiss My Ass!!」(諂え! ビンスのケツにキスをする会の時に発せられる。)

逸話編集

  • 2007年のWrestleMania 23にて、同じく「You're Fired!」を決め台詞としているアメリカの不動産ドナルド・トランプと、互いの髪の毛を賭けた試合を行った事がある。
    • 当時、2人にはヅラ疑惑があり、それを皮肉った対決だったが、ビンス(の代理レスラー)が負け、髪の毛を刈られてしまった。
    • 因みに、トランプとはプライベート上では友人同士であり、2017年にトランプがアメリカ合衆国大統領に就任した際には、ビンスの妻リンダが中小企業庁長官に就任した縁もあって、娘婿のトリプルHやビンスの孫達を含めた一家全員をホワイトハウスに招待し、大統領執務室で記念写真の撮影も行っている。

  • 現在のビンス・マクマホンは2代目にあたり、かつて“ビンス・マクマホン・ジュニア(ビンス・ジュニア)”と名乗っていたが、WWEの創設者である父“ビンス・シニアの死後、名前からジュニアを削除。番組内では“ミスター・マクマホン/マクマホン氏(Mr.McMahon)”と呼ばれることが多い。
    • 一説では、ビンスはジュニアという呼称を非常に嫌っていたようで、他の選手(WWEスーパースター)からもジュニアを削除し、例えば「ドリー・ファンク・ジュニア(Dory Funk Jr.)」が「ホス・ファンク(Hoss Funk)」にされたりした。

  • 一度は引退を考えて車を爆破して死ぬという設定で引退しようとしたが、クリス・ベノワの一家無理心中を受けて戻ったという事も。

中でもシェインとステフの兄妹は番組や興行で試合や司会などを行い、社内でも雑用や事務から役員業まで、あらゆる仕事をこなしていた。

なお、シェインとステフはWWE入社後、チケットのモギリ(シェイン)と受付嬢(ステフ)からスタートしている。

(たとえ、自分の息子・娘であっても特別扱いしないというビンスの意向もある。)

ただし、プライベートでは孫に溺愛なおじいちゃんである。


NWA第一副会長だったジャイアント馬場には全く頭が上がらず、WWFとして日本マット界を傘下に治めようと奮闘していたときに馬場に一喝されている。後に馬場は「マディソン・スクエア・ガーデンで世界王座に挑戦したときにほんの子供だったこんな小僧に翻弄されてたまるか」と述懐している。


本人もボディービルを嗜み、幼い頃からニューヨーカースタイルを見て育ったこともあり、鍛え上げられた肉体美を持つレスラーが好み。

反対によほど個性的ではない限りあんこ型レスラーを嫌う傾向にあり、とある選手は試合以外のスキットではスーツを着るように命じられていたほど。かつては立体的な動きをするルチャのレスラーも嫌っていたが、アメリカ国内でのメキシコ系住民の増加を考慮して現在は広く門戸を開いている。


スキャンダルから辞任へ編集

2022年6月、弁護士秘書として雇用した元女性社員との不倫関係を解消するため、口止め料として300万ドル支払ったというスキャンダルが報じられる。

これに対してビンスは娘のステファニーに後任を委ね、会長職とCEO職を離れることになった。


関連動画編集

エントランステーマの「No chance in hell(万が一などありえん)」

イントロが鳴り響くだけで、割れんばかりのブーイングが飛び交う。


関連タグ編集

WWE プロレス

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