HBK
はーとぶれいくきっどしょーんまいけるず
- WWEのレスラーでスーパースター、ショーン・マイケルの事。本項で解説。
- 草野仁のリングネームの略称。
I'm a Sexy Boy.(入場曲より)
本名、マイケル・ショーン・ヒッケンボトム
1965年7月22日、アメリカ合衆国アリゾナ州チャンドラー生まれ、テキサス州サン・アントニオ出身。186cm102kg。
ずば抜けた身体能力と圧倒的カリスマ、そして超ド派手な入場パフォーマンスからヒール・ベビーフェイス双方で絶大な人気を誇り、この項目のHBK以外にも、SexyBoyやTheMainEventerなど多数の愛称を持つ。
WWE入団まで
18歳の頃、地元テキサス州サン・アントニオのインディー団体にて、1984年10月16日デビュー。
この頃海外武者修行中だった冬木弘道・川田利明組とタッグマッチにて対戦している。
その後1986年にAWAに移籍。また1987年に一度当時WWFと契約を交わしたが、ナイトクラブでの乱闘騒ぎが原因となりわずか2週間で解雇されている。
その後AWAに逆戻りするハメになるものの、1988年に再度WWFと契約を交わした。
WWF入団、HBK誕生まで
1988年、当時タッグを組んでいた相方と共に「ザ・ロッカーズ」としてWWFマットデビュー。
後に最大のライバルとなるブレット"ヒットマン"ハートらと抗争を繰り広げ、ルックスの良さと軽快なアクションを武器に女性・子供のファンを中心に、人気を集めた。
HBK誕生~D-Generation X結成まで
1991年11月のビッグイベントで、同志討ちでタッグを解消。その後一旦は和解かと思われたが、不意をついた「スイート・チン・ミュージック」(HBKのフィニッシュムーブ)で完全にヒールターン。
「鏡を手にした自惚れ屋」と言うキャラとして、現在のHBKとしてシングルプレイヤーに転向。
当時絶大な人気を誇ったベビーフェイス、前述のブレット・ハートと世界王座戦を巡る壮絶な抗争を繰り広げる。
なお、この抗争はあまりにも意外過ぎる結末を迎えるが、これについては後述する。
D-Ganaration X結成、そして1度目の引退
1997年にトリプルHと共にヒールユニット「D-GenerationX」(以下DX)を結成。
ブレット・ハート達のユニット「ハート・ファウンデーション」と抗争を繰り広げる。
しかしながら、長年続けてきたハードバンプが災いとなり、持病であった椎間板ヘルニアが悪化、1度目の引退となる。
その引退後は故郷サン・アントニオにWWEの下部組織となる団体を設立。後にWWEマットで活躍する選手を多数輩出している。
また、この頃親友の紹介で知り合った女性と結婚している。
プロレスの暗部「モントリオール事件」
何かと華やかなイメージが強いHBKではあるが、そのキャリアに強烈な影を落とす出来事の当事者になっている。
アメプロファンの間で語り草になっている「モントリオール事件」である。
(以下Wikipediaより抜粋・編集)
1995年、WWFの先行番組「WWFマンデーナイト・ロウ (Monday Night RAW)」に対抗する為、ライバル団体WCWは同一時間帯に名称すら似せた「WCWマンデー・ナイトロ (Monday Nitro)」をぶつけ、両者の間に苛烈な視聴率戦争、いわゆる「マンデー・ナイト・ウォーズ」が勃発した。そして事件が起きた97年当時、WWFは劣勢に立たされて経営は逼迫していた。
WWFはWCWに対抗するために、それまでのファミリー路線から下品で過激さを持つアティテュード路線へ転換していき、D-ジェネレーションXなどを強烈にプッシュしていった。この路線に対して、プロレスは健全であるべきと考えるブレット・ハートは反発し、WWFとの関係は悪化していった。
また資金的に困窮していたWWFにとって、俸給その他の経費面で複数の看板レスラーの存在は重荷になり始めていた。ショーン、アンダーテイカー、ブレットの3人のトップレスラーのうちアティテュード路線に反対していたブレットが標的となり、彼は1996年に締結したはずの20年契約を破棄されて解雇されることになった。
当時組まれていたストーリーラインとしては11月のビッグイベントで、ブレットvsショーンの世界王座戦にてショーンが敗北。翌日のテレビ放送にて王座を返上しWWFを退団と言うものだった。
しかし、そのイベント当日に生中継されている中で、団体トップがそのシナリオを破り、何とショーンの勝利(しかもかなり不可解なタップアウト勝利)で王座移動と言うモノに「ブレットに知らせずに」変更した。
この一連の騒動はWWFを取材したドキュメント映画「レスリング・ウィズ・シャドウズ」にて詳細に描かれている。
この騒動が原因となり、引退するまでカナダで試合をした際、HBKには「ブレットをハメた卑怯者」と言う意味の罵声を浴びせられるコトになった。
レスラーに対する理不尽な扱いを嫌っているアンダーテイカーは、事件の当事者の1人のビンス・マクマホンに激怒しており、ビンスがいる部屋のドアを蹴り続けていた。
復帰・・・そして。
2002年に怪我が癒えて復帰。
当初は前述の親友らと共に別のユニットを結成して復帰と言うストーリーラインが用意されていたが、その親友らが不祥事や負傷により退団を余儀なくされてしまい、急遽HHHと共に再びDXとして活動するという形で復帰を果たす。
2010年。WWEマットに衝撃が走る。
なんと前述のモントリオール事件にてWWEと完全に関係を絶っていたブレット・ハートがゲスト出演。そのときの当事者の一人であるショーンと再会を果たす。
周囲が見守る中、二人は満面の笑みを浮かべて握手と抱擁を交わし、和解と事件の終幕を告げた。
そして同年2010年3月。アンダーテイカーが持つWWE最大のビッグイベント「レッスルマニア」無敗記録と、ショーンのキャリアを賭けた反則裁定無しの世界王座戦で、テイカーのツームストーン・パイルドライバーを受け敗北、引退となる。
スウィート・チン・ミュージック
基本は対角線上で行う、助走付きのトラース・キック。
マイケルズの代名詞と言っても過言ではない技。
蹴る前、相手がダウンしている時に対角線コーナーで右足で思い切り足踏みをするアピールを行う。そのタイミングに合わせて観客は足踏みの数をカウントし、実況アナウンサーは「Tune up the band!(バンドの用意ができた!)」というフレーズを発する。
ダイビング技を行おうとした相手にカウンターで放つこともあった。
フライング・フォアアーム
フライングエルボー。
主に相手にロープに振られた後、カウンターで放つ。
ヒット後、ヘッドスプリングで立ち上がるのが定番ムーブ。
リバース・アトミック・ドロップ
向かい合った状態で相手に対してダブル・レッグ・ダイブで抱え上げる。
そして、右足を突き出す形で片膝立ちになり、腿に相手の股間を叩きつける。
ムーンサルト・アタック
ダイビング・エルボー・ドロップ
変形足4の字固め
逆水平チョップ
スーパースープレックス
なお、フィニッシュへのコンビネーションとしては、
(1)フライング・フォアアームで相手もろともダウン
(2)ネックスプリングで即座に立ち上がる
(3)起き上がった相手に対してパンチ、リバース・アトミック・ドロップを繰り返す
(4)スクープスラムでリング中央にダウンさせる
(5)コーナーに上りダイビングエルボー
(6)足を踏み鳴らしリズムを取ってから、助走してスウィート・チン・ミュージック
この一連の動作が定番である。
なお、マイケルズと実力が近いレスラーの場合、フィニッシュのスウィート・チン・ミュージックをかわされる場合もある。
その場合は、相手の隙をついて近い間合いで助走なしのスウィート・チン・ミュージックで仕留めることが多い。
成り上がりの為か名門のレスラー一家との対決は前述のハート・ファミリー以外は行っていない。
有名なエピソードとして、ザ・ロックとの対決が無かった背景として、ロックが新人時代にマイケルズがHHHと共にイチャモンをつけられたことをブレッドに相談するエピソードがある。
また、時期的な関係もあると思われるが、エディ・ゲレロだけでなく、甥のチャボ・ゲレロJr.とも関わりが無かったことから、彼が意図的に避けていたのではと噂されている。