冬木弘道
りふじんだいおうふゆきこうどう
高校卒業後、1979年5月6日に国際プロレスに入門。
翌年の1980年5月4日、北海道紋別市スポーツセンターの米村勉(後の米村天心)戦でデビュー。
高杉正彦・菅原伸義(後のアポロ菅原)とともに「若手三羽烏」と呼ばれた。
1981年8月9日に国際プロレスが解散すると全日本プロレスに移籍、天龍源一郎の付き人になる。この時期、同じ若手だった三沢光晴とも親しくなっている。
1984年11月に海外初遠征。テキサス州サンアントニオ地区では川田利明とのタッグチーム「ジャパニーズ・フォース」で活動、若手時代のショーン・マイケルズ&ポール・ダイヤモンドの「アメリカン・フォース」と抗争を展開した。
1985年12月、体重を増加させて帰国後、ジャイアント馬場の命名によりサムソン冬木に改名。
当時、鶴見五郎・高杉・菅原と国際崩壊直前に新日本プロレスへ移籍していた剛竜馬も加入した上で「国際血盟軍」を率いていたが冬木とマイティ井上は加入せず、海外遠征中にはラッシャー木村が全日本に移籍し、更に国際出身者でジャパンプロレスのアニマル浜口・寺西勇も海外遠征直前に全日本に移籍したことも有り、国際時代には格上だった選手ともシングルやタッグで対決した。
1987年3月に再び海外遠征し、プエルトリコ地区では風貌が似てたため「リキ・チョーシュー」を名乗った。
帰国後、天龍同盟に参加し川田利明とのコンビ「フットルース」を結成したが、川田が天龍と組むことが多くなると孤立、伸び悩む。
1990年に天龍らと共に全日本を離脱し、SWSの旗揚げに参加。再度天龍と共に道場「REVOLUTION」の一員として活動。
1992年、SWS崩壊後に天龍が興したWARに参加。リングネームを本名に戻した。
1994年頃から天龍らWAR正規軍と敵対する反体制側に回り、「冬木軍」として邪道、外道とのトリオで、新日本プロレス、IWAジャパン、新格闘プロレス、FMWにも参戦し幅広く活躍。この頃から『理不尽大王』を自称し、リング上でコントを披露するなど愛嬌のあるヒールとしてのイメージを定着させた。
1996年10月を最後にWARを離脱し、邪道・外道と共に冬木軍プロモーションを設立。
当初インディペンデント団体の統一機構となる「FFF(ファイティング・フォー・フューチャー)」に参加を表明したが、資金難によりFFFが正式立上前に崩壊、1997年4月に岐阜県大垣市で冬木軍としての旗揚げ戦を開催。この頃、リングネームの下の名前の読みを「こうどう」と変更。
その後はFMWに再び参戦。ミスター雁之助、金村キンタローらとTNR(チーム・ノー・リスペクト)を結成し、創始者である大仁田厚をFMWから追放することに成功、その後もハヤブサら正規軍を苦しめる反面、ユニット「ブリーフブラザーズ」を結成し、白のバスローブに白いブリーフ姿でコントしたり、TNR解散後も冬木は井上京子、チョコボール向井らとECW JAPAN軍を率いながら一方でFMWのコミッショナーに就任するなどリング内外で団体を牛耳るパフォーマンスを見せた。また邪道、外道、冬木で「理不尽音頭」というCDを発売し、歌手としてもデビューもしている。
2002年2月のFMWの経営破綻後、3月に自ら主宰する団体としてWEWを設立した。
2002年4月7日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会で15年ぶりに三沢とシングル戦を行い、正統派のプロレスを見せたが、2日後の後楽園ホールでの冬木軍主催興行の試合後に大腸がん(のちに直腸がんと判明)を理由に、控室で引退表明を行う。
冬木が演じてきた理不尽ギミックから「アングルではないか?」とも思われたが、試合前に一報と病状を電話で受けたノアの重役から報告を受けた三沢が4月14日にたまたま日程が空いていたディファ有明の会場をすぐさま確保、冬木のための引退興行を急遽実施すること、また5月5日に開催予定のWEW旗揚げ戦にノアが全面協力すると発表。
4月14日、冬木はディファ有明にて引退試合(冬木・三沢・小川良成組vs田上明・井上雅央・菊地毅組)を行い、興行の収益金はノアから全て冬木に贈られた。
また、会場には新日本の永田裕志、冬木とともにFMWで袂を分かっていた邪道・外道、さらには天龍までもが来場している。
冬木は引退試合後に入院し緊急手術を受けた後、5月5日に川崎球場でWEWの旗揚げ戦を行い、プロデューサーとして活躍したが既にがんは肝臓などにも転移しており、2003年3月19日、がん性腹膜炎のため横浜市民病院で死去。42歳没。
冬木の没後、WEWは「冬木軍プロモーション」を名乗り、冬木の妻が社長を務めたが2004年5月5日、川崎球場大会を最後に解散した。
ラフ&パワーの一方で、盟友の技を盗む、既存の技にアレンジを加えるなど独自のスタイルを築いていた。
- サムソン・クラッチ
- サムソン冬木時代に編み出したオリジナル技。後をとられた際にクラッチを解いて、仰向けに倒れ込みながら両足を相手の脇の下に入れ、相手の体を前方回転させてフォールする技。現在は返し技として国内で普及。
- 地団駄ラリアット
- サムソン・ストライカー
- 元はメキシコから持ち帰った技で、キン肉バスターの体勢からブレーンバスター式に後ろへ投げ落とす。
- 冬木スペシャル
- 川田利明のストレッチ・プラムとほぼ同形だが、本人曰く「指一本分角度が違えば、もう違う技なんだよ。」
- 冬木スペシャル2
- フィッシャーマン・バスター
- バックドロップ
- ジャーマン・スープレックス
- バック・スピン・キック
- 奇声ストンピング