概要だー!
異様なハイテンション、親馬鹿ぶりから世間から変な目で見られるが、浅草に構えたジムからは数多くのプロレスラーを輩出した名トレーナーである。(坂田亘、TAJIRI、小島聡など)
来歴だー!
1947年8月31日生まれ、島根県浜田市出身。本名・濱口 平吾(はまぐち へいご)。
父親が事業に失敗し、経済的な理由から高校進学を断念、16歳で名古屋市、東京、横浜市と工事現場を転々とする。
その後一念発起し製鋼所に就職。1964年に、17歳でボディビルと出会う。
1969年にミスター兵庫コンテスト準優勝を受賞。
同年8月にボディビル界との繋がりが強かった国際プロレスに入団。
同年9月20日の岡山県高梁市民会館における対本郷清吉戦でデビュー、反則負けを喫している。
1970年にはリングネームをアニマル浜口に改める。
1972年に海外修行で渡米。
1973年の帰国後は国際プロレスのメインイベンターの1人となり活躍。しかしタイトルに恵まれず1976年に2度目の海外修行に出発。
1977年、IWAワールド・シリーズの第6回大会に合わせて帰国したと同時に、心機一転コスチュームをワンショルダータイツに変更。
1981年4月には肝臓疾患のため欠場しそのまま国際プロレスが活動停止を迎えてしまう。
1981年9月23日、新日本プロレス田園コロシアム大会に国際プロレスのエースだったラッシャー木村とともに来場。10月に新日本プロレスとの全軍対抗戦に出場、そのま木村・寺西勇と共に「国際軍団」を組み新日に参戦する。
1983年には国際軍団から離脱、長州力を中心とする維新軍に合流して新日正規軍と対戦、長州の参謀として大活躍。
1984年に突如、長州力・マサ斎藤らとジャパンプロレスを結成し全日本プロレスに参戦。
1987年にジャパンプロレス分裂→長州らの新日復帰に合わせ、現役を引退。
引退後は アニマル浜口レスリング道場を東京都浅草に開設。
1994年、セミリタイヤ状態を経て、WARに舞台を移して再度現役復帰。
1995年には天龍源一郎、北原光騎と組んでWAR6人タッグ王座を獲得した。王座陥落後はリングからは遠ざかっているが、正式な引退表明はしていない。
(1987年に一度引退セレモニーを行っており、公式サイトではそれを正式引退としている)
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ラッシャー木村:先輩レスラー。かつて「国際はぐれ軍」のボスと仰いだ。実は、奥さんとの仲を取り持った愛のキューピッドでもあった(訃報時のコメントにて)。
アントニオ猪木:仇敵。田コロ3対1戦は伝説。
気合:必要不可欠!