プロフィール
来歴
学生時代に柔道の経験があるが目立った成績はなく、一度は就職した経験もある。
アニマル浜口ジムでトレーニングを積み、1991年2月に新日本プロレスに入門。
同年7月、山本広吉(現:天山広吉)戦でデビュー。
1994年、ヤングライオン杯で全勝優勝を飾り、2年海外遠征に出る。
帰国後、中西学とブル・パワーズを結成し、IWGPタッグ王座を獲得する。
その後怪我で長期欠場していた復帰後の1998年に武藤敬司に誘われ、nWo JAPANに加入。
その時体格やファイトスタイルが重複していた天山広吉と『テンコジ』タッグを組む。
その後nWoが蝶野正洋率いるTEAM 2000に吸収されると、IWGPタッグ王座を6度防衛するなどタッグで活躍。
しかし、武藤に追随する形で2002年1月31日に新日本プロレスを退団し、同年2月26日に全日本プロレスに入団。
2005年2月、川田利明を破り平成デビューの選手で初めて第33代三冠ヘビー級王者に就く。
その4日後、新日本プロレスの天山が保持するIWGPヘビー級王座とのWタイトルマッチで勝利、第41代IWGPヘビー級王者に就いて四冠を獲得。
2007年6月に、VOODOO-MURDERSへ加入。しかし仲違いから翌年8月に離脱、同月、大和ヒロシ、KAIと共に『F4』を結成。
2009年9月、横浜文化体育館において高山善廣の保持する三冠王座に挑戦し勝利、小島自身2度目の三冠王座戴冠。
2010年2月の後楽園ホール大会にて、F4とVOODOO-MURDERSとの負けたら解散マッチに敗れF4を解散。3月には浜亮太に敗れ、保持していた三冠ヘビー級王座も失い、同年5月31日をもって全日本プロレスを退団。
その後フリーランスで活動、2010年10月にIWGPヘビー級王座獲得(フリー参戦の選手の戴冠は初)。
2011年にTAKAみちのく、NOSAWA論外、タイチ、MVPらとのユニット『小島軍(仮)』として活動、真壁刀義と抗争を繰り広げるが、5月にTAKA、タイチ、鈴木みのるによって襲撃を受け、軍団から追放。襲撃を救助してくれた真壁と和解し、タッグを結成するも8月に右眼眼窩底を骨折し欠場を余儀なくされる。
同年9月、新日本プロレス神戸大会で復帰戦及び新日本再入団をリング上で発表、対戦相手に天山を指名し勝利。
2012年1月テンコジタッグでIWGPタッグ王座を獲得。
2022年6月12日、プロレスリング・ノア・さいたまスーパーアリーナ大会にて、潮崎豪に勝利しGHCヘビー級タイトルを獲得。
佐々木健介、高山善廣、武藤敬司に次ぐ4人目のメジャー3団体王座獲得を達成。
得意技はスタン・ハンセン直伝の「継承ウエスタン・ラリアット」とそれ以前の『ぶん殴りラリアット』、『コジコジ・カッター』(小島が使用するダイヤモンド・カッター)、『CCD』(コジ・クラッシュ・ダイナマイト)、『コジMAXホールド』、『コジメ』(フェイスロック)など。