プロフィール
来歴
父親が某企業に勤務、千葉県四街道市、石川県金沢市、岩手県盛岡市と転勤を繰り返していた。
岩手県の高校を卒業後ユニバーサル・プロレスリングに入門。
1992年9月4日、ユニバーサル・プロレスリング後楽園ホール大会の対スペル・ティグリート戦でデビュー。
その際、団体の先輩であり、同郷(岩手県)でもあるザ・グレート・サスケの若手時代のリングネーム「MASAみちのく」と三度笠の旅烏スタイルを受け継いだ。
同年9月、シリーズ終了後にサスケから誘われて、みちのくプロレスへ入団。
以後、みちのくプロレスの設立準備に関わる。
1994年4月16日、新日本プロレス主催で開催された「SUPER J-CUP」に出場。
1回戦において、トップロープ上にノータッチで立ってからのプランチャを繰り出し、それを見た長州力が「アイツは宇宙人か」とつぶやいたことから全国にも注目され、「宇宙人」の愛称もつけられた。
6月、新日本プロレスで開催された「BEST OF THE SUPER Jr.」に出場。
一方でルード軍「デルフィン軍団」に加入。
1995年12月、船木勝一(現:FUNAKI、プロフェッショナルレスリング藤原組⇒格闘探偵団バトラーツ⇒みちのくプロレス⇒WWF/WWEを渡り歩き、現在はWWEで通訳もしている。)とタッグチーム「夢狩人」を結成。1996年6月には共にルード軍「海援隊☆DX」に加入。
1997年5月、メキシコ遠征。7月、WWFでサスケのトライアウトの対戦相手に指名されてカナダで2連戦が行われて逆にTAKAがトライアウトに合格。
1998年3月29日、WWFで年間最大の祭典であるレッスルマニアXIVに日本人レスラーとして初出場。
12月7日、初代WWFライトヘビー級王者(復活版、2001年に廃止。)を決める王座決定トーナメントで優勝、王座獲得。
また同時期に加入したフナキ(船木勝一)とのタッグチーム「カイエンタイ」で、英語でマイクアピールが出来ないという欠点を逆手に取り、映画の吹き替えのように「口と声が合っていない」マイクアピールで人気を博す。
2000年10月、プエルトリコに日本人プロレスラー養成道場「KAIENTAI DOJO」を設立。
2002年3月にWWEを退団、KAIENTAI DOJOも千葉に拠点を移動。運営会社「有限会社かいえんたいどうじょう」を設立し4月20日には旗揚げ戦も行う。
2005年1月、全日本プロレスの世界ジュニアヘビー級王座、KAIENTAI DOJOのCHAMPION OF STRONGEST-K王座を獲得、みちのくプロレスの東北ジュニアヘビー級王座の三冠王にもなった。
2013年5月、南条隼人に勝利してインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座(もとはFMWが管理、2002年、FMW倒産により王座封印。ベルトはTAKAみちのくが所持、2007年に復活後は管理もする。)を奪取。
2007年12月、ブログで結婚したことを発表。しかし2018年11月、FLASHで不倫が報道された責任もあって、2019年1月30日付でKAIENTAI DOJOの取締役解任及び退団。
(KAIENTAI DOJOは6月から運営会社をオンリーアドバンス、団体名を2AWに変更。)
同年4月、「プロフェッショナルレスリングJUST TAP OUT」を設立、7月に旗揚げ。