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飯塚高史

うらぎりのあいあんふぃんがー

飯塚高史は日本の元プロレスラー。狂乱のアイアンフィンガーにして、クレイジー坊主、怨念坊主である。 新日本プロレス所属。
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「昔の飯塚高史は等々力渓谷の何処かにあるほこらに封印したんだ!よーく覚えとけ!」(本人談)

プロフィール

本名及び旧リングネーム 飯塚孝之(いいづか たかゆき) 
ニックネーム クレイジー坊主 怨念坊主 
誕生日 1966年8月2日
出身地 北海道室蘭市
身長 181cm
体重 107kg


概要

得意技は後に魔性と呼ばれるようになったスリーパーホールドアイアンフィンガー・フロム・ヘル(鉄製のグローブを嵌めての地獄突き)他。
かつては馳浩とサンボ修行で会得した裏投げとブリザードスープレックス(裏投げとフィッシャーマンズスープレックスを併せたオリジナル・ホールド。投げっぱなし式をブリザードと呼ぶが秋山準のエクスプロイダーとは同形)、サンボ仕込みの関節技も使用していたが封印。

1985年新日本プロレス入団。
1986年11月2日野上彰(現AKIRA)戦でデビュー。
1993年・野上とともに 『J・J・JACKS』 というユニットを結成するも、本人の性格の地味さや自己アピールの乏しさもあって、以後は中堅のポジションに甘んじるようになった。
(因みに J・J・JACKS1996年解散)

2000年1月4日橋本真也と組んで小川直也村上和成組を迎え撃ったタッグマッチでは、村上をスリーパーホールドで締め落として勝ちを収めた、この一戦がきっかけでブレイクする。
同年7月初の『IWGPヘビー級王座』挑戦や『G1タッグリーグ戦』では永田裕志と組んで初優勝、また同年のプロレス大賞では技能賞受賞と、2000年は飯塚が最も輝いた年となった。

しかし2001年全日本プロレスとの対抗戦で長井満也の放ったキックにより負傷し長期欠場、翌年復帰。
その飯塚を長期欠場に追いやった長井は後に全日本を退団、星野勘太郎が総裁を務めるプロレス結社『魔界倶楽部』の刺客 魔界5号として飯塚の前に再び立ちはだかった。

2003年1月4日の東京ドームでの一戦から長井との抗争が勃発。その後三番勝負で2勝1敗と勝ち越し、約2年に亘る因縁に決着をつけた。

2008年ヒール軍団『G・B・H』勢に痛めつけられた天山広吉を救出したことからタッグを組む。
身を挺して『G・B・H』パイプ椅子攻撃から天山を守り、天山の誕生日を祝ったりと“友情タッグ”として注目された。
しかし、その友情タッグは長く続かず、飯塚の“変貌”により突然終わりを告げる。

ヒール転向

2008年4月27日、同タッグで真壁刀義矢野通組が保持する『IWGPタッグ王座』に挑戦。

血まみれの天山がタッチを求めるも、これを一歩下がるような素振りを見せて拒否。
ついには天山をスリーパーで締め上げて王者組に加担、試合後もパイプ椅子やストンピングで天山を痛めつけた。
ヒール”飯塚」誕生の瞬間だった。
その後、頭は丸坊主、口に鉄製のマウスピースをはめ込む等、凶々しい容姿へと変貌を遂げた。
そして、ヒール飯塚を象徴する技『アイアンフィンガー・フロム・ヘル』を使い始めたのもこの頃である。
それまでは寡黙ながら気さくな印象がある一方で、とある新日関係者からは「意外とクールで冷たいヤツ」「ダーティーな本性を現した飯塚こそ本当の飯塚」との証言も流れていたという。

正統派レスリング(スープレックスや関節技)はヒールターン後はほぼしなくなり、殴る、蹴る、顔面掻き毟り、噛み付き、タッチロープ等を使用しての首絞め、急所攻撃、足引き、場外乱闘、椅子攻撃、凶器攻撃、等でレスリングを展開。
中でも前述の『アイアンフィンガー・フロム・ヘル』は象徴的な凶器であるが、レフェリーに使用が見つかると1発で反則負けになる上、隙を突かれ相手に返されてしまう事もある。

以降は上記の『G・B・H』から分裂してできたユニット『CHAOS(ケイオス)』に所属して、矢野とタッグを組んだりしていたが、2014年5月25日横浜アリーナ大会で、矢野を裏切り、鈴木みのる率いる『鈴木軍』に電撃加入。

デスマッチを敢行する、入場時には観客席を荒らし回る、ついでに実況席も襲う(後述)等、日々その狂乱ぶりを発揮していた。

しかし2019年1月7日に、突然の引退が報じられる。

引退

「会社の陰謀だ。言葉を喋れない飯塚に引退宣言などできるわけがない(タイチ)」
「人間社会に適応できない今の状態のまま、飯塚を引退させてはいけない(ミラノコレクションA.T.)」
など、様々な反応が飛び交う中、遂に2月21日に引退記念大会が開催。

友情タッグ復活を願う天山との試合後、苦悩の末リング上で一時は握手を交わしたものの、その直後に抱擁しようとした天山へ対し噛み付き、ストンピング、パイプ椅子攻撃を次々と浴びせ、最後にアイアンフィンガー・フロム・ヘルを見舞った。
タッグを組んだタイチからの「本当に引退するのか?最後くらいてめーの口ではっきり言え!」とのマイクアピールへも答える素振りすら見せず、鈴木みのるが10カウントゴングを乱打する中、飯塚は観客席を荒らしながら去っていった。

最後まで無言でその狂乱ぶりを貫き、リング上にアイアンフィンガー・フロム・ヘルを残し、怨念坊主のまま飯塚はリングを後にした。

なお、冒頭に記した本人談による等々力渓谷のほこらは、2019年2月現在においても、未だ発見されていない。
飯塚の良心を取り戻そうとした天山、および先んじてその良心を壊してやろうと目論んだタイチが、引退試合ギリギリまで探し当てようとしていたのだが、結局見つかることはなかった。

野上アナとの抗争

2010年8月8日、新日プロ真夏の祭典G1 CLIMAXの中で実況席にいたテレビ朝日野上慎平アナウンサーが突如飯塚に襲撃されたことから始まり、以降、飯塚は事あるごとに実況中の野上アナを襲っては、衣服を引き裂く(半裸にネクタイの状態が殆どお約束となった)他、後楽園ホールのシャワー室に連れて行きずぶ濡れにする、さらに、両手を後ろに拘束してカラースプレーで顔にドラえもんオバQのペインティングをする等、今日に至る長き抗争が繰り広げられていった。

さらに、飯塚による野上アナ襲撃はプロレス会場以外にも……
【東スポ・プロレス大賞2011】テレビ朝日・野上慎平アナ襲撃ノーカット版


鈴木軍に移籍したのを境に野上アナを襲撃することはしなくなった(2015年~16年は鈴木軍の活動の中心がプロレスリング・ノアだったため、新日で活動しなかったためと思われる。2017年1月5日の新日本の大会に軍団総出で登場し新日での活動を再開したため、また襲われる可能性が出てきた)が、今度は「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」を結成し傍若無人に暴れ回る内藤哲也が実況席につっかかってくるようになった。

そして飯塚の引退試合では、再び野上アナが実況席につき、案の定襲撃を受けることになる。
野上アナ本人も「飯塚が大嫌いだし、嫌な思い出しか思い出せない」と語っていたのだが、立ち去る飯塚の背を見送った彼の目には、大粒の涙が浮かんでいた。

衝撃動画

2009年11月1日 後楽園 試合終了後 飯塚高史 襲撃


外部リンク

新日本プロレス公式サイト内 選手プロフィール 飯塚高史(リンク切れ)
wikipedia

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