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概要

『オバケのQ太郎』とは、藤子不二雄(藤本弘)の合作による日本のギャグ漫画作品、及びそれを原作としたテレビ・劇場アニメ作品。週刊少年サンデー(1964年6号 - 1966年51号)や小学館の学習雑誌等の雑誌で連載された。その後も1971年〜1973年にかけて続編漫画(合作。単行本でのタイトルは『新オバケのQ太郎』)が連載された他、1976年まで読切作品が数本描かれた。


ごく普通の家庭に住み着いた、1匹の間の抜けたオバケが引き起こす騒動を面白おかしく描く。藤子流生活ギャグ漫画の原点にして、初の大ヒット作で代表作。スタジオ・ゼロのメンバーである石森章太郎らが手伝った。『オバQ』と省略されて呼ぶことも多い。3度にわたってアニメ化され、60年以上経った現在も根強い人気がある。また藤子漫画は、それまでシリアス志向の強い作品も多かったが、これを機に『ギャグ漫画の藤子不二雄』として広く認知されるようになっていく。


1964年のオバQが最後の合作だという誤解が広まっているが(藤子・F・不二雄藤子不二雄Ⓐの伝記にもそのように記載されているが誤り)、1976年に描かれた最後の読切(藤子・F・不二雄大全集『新オバケのQ太郎』に収録されている「明日は日曜日」)まで、正ちゃんらの作画は基本的に安孫子素雄が担当している合作である。


後日譚の『劇画・オバQ』は藤本弘の単独作品だが、少年時代の正ちゃんやゴジラが無人島ではしゃぐ場面では、安孫子素雄や石森章太郎が過去に描いた絵が使用されている。


2人の藤子は、オバQ以前から合作をする一方で、いずれかの単独作も藤子不二雄名義で発表してきたが、両人の作風や絵のタッチの違いが次第に明確になってきたため、『オバケのQ太郎』以降は合作作品は少なくなった。


何度か「過小評価」に遭い、それを覆してきた作品である。

まず雑誌連載はわずか9回でいったん終了している。これは編集部への読者からのお便りがほとんどなく、不人気作とみられたからであった。しかし終了を発表した途端に抗議の手紙が殺到、急遽再開が決まり、一気にヒット作へと上り詰めた。この不思議な経緯について、藤子不二雄は「みんな改めて『面白い』と手紙を書く必要もないくらい、当たり前の存在として楽しんでいたのだろう」という風に解釈したそうだ。

アニメ化に際しても、「足のないものが"おあし"を稼ぐはずがない」と軽口をたたかれるなどして、テレビ局も玩具会社もグッズ展開に乗ってこなかった(なお本作のオバケには足がある)。しかたなく版元の小学館が単独で商品化に乗り出したのだが、結果として第1期アニメは連日視聴率30%超、社会現象レベルの大ヒットを記録し、莫大なグッズ収益は丸ごと小学館に転がり込むことになった。アニメ開始の2年後に建て替えられた小学館本社社屋は「オバQのヒットでビルが建った」と言われ、以後40年以上にわたり「オバQビル」の愛称で親しまれた(2013年解体)。

90年代以降約20年にわたり漫画が新刊書店に流通しない状態が続いていたのだが、それについて藤子プロの説明は「藤子・F・不二雄が遺した膨大な作品の中には、生前と変わらぬ人気を博している作品も多く、その中でよりファンに喜んでもらえる活動を優先している」であった。つまり「他にも人気作はいっぱいあり、オバQを再刊してもそんなに喜んでもらえないから後回しにしている」という意味になるのだが、もちろんそんな評価だったわけではなく、後述するややこしい事情に触れないための建前であろう。


オバケ族

The7th Anniversary.

本作に登場するオバケ族は卵生の動物である。Q太郎は生まれていきなり流暢な日本語を話していたが、寿命はかなり長く、Q太郎の叔父など100年前から生きているがまだピンピンしている。普段はの上(嘘偽りを口にすると抜ける)で生活しており、空を飛ぶことが得意。

(寿命については、作中で「オバケの一生は五百年!」というQ太郎のセリフがある一方、『ビッグコミック』1969年3月号掲載の「おお!!なつかしのキャラクター 人気者のその後…」には「平均寿命1000年」という記述もあり、設定のブレがみられる)

一見するとペンギンの羽のような手をしているが手先は人間同様に器用で、特に建築・リフォームに関しては種族全体が得意としており、ドジでマヌケなQ太郎ですら大原家の地下に自分専用の家を作るなどプロ級の腕前を発揮している。

オバケ族はを吐くことのできない(人間に比べて物凄くヘタ)種族であり、古くは地上で暮らしていたようだが、人間の文明が次第に発展していくにつれ地上を去って行ったらしい。

地上で長く暮らしていたため、日本上空のオバケ族は日本風に、アメリカ上空のオバケ族はアメリカ風の生活・文化をしている。そのため、『国際オバケ連合』ではバケ食いオバケまで登場している。これは酷い。

彼らの持つ能力としては「飛行」「霊体化」「透明化」「変身」の四つが挙げられる。


登場人物

(キャストはTBS/日本テレビ/テレビ朝日の順)

描画担当 ○=藤本弘 ●=安孫子素雄 ◎=石森章太郎(新オバQでは藤本弘)


著作権問題

藤子不二雄の合作作品の多くは1988年の独立時にFまたはAのどちらかの名義作品に分けられたが(例えば合作の中でも『パーマン(旧)』『新オバケのQ太郎』等はFの単独名義に、『きえる快速車』『わかとの』等はAの単独名義になった。この分類はビッグ・コロタン『藤子まんがヒーロー全員集合』の作品リストに掲載されているが誤植等もある)、『オバケのQ太郎』(1971年以降のいわゆる新オバQよりも前の作品)を含む数本の合作作品はFとAの両人の共同名義となった。


1989年に藤子Aは講談社の児童雑誌でパラソルヘンべえの連載を開始しコロコロコミックの連載陣から降板。小学館中心の活動から複数の出版社との活動にシフトした。

藤子Aと小学館の関係は限られたもののみになったため、F作品の多くが1996の死去後も小学館から出版され続けたのに対し、A作品は小学館以外にも中央公論社講談社学研集英社等の多くの出版社から出版されるという状況になった。

藤子不二雄ランドの復刊の話が持ち上がった際に、全作の復刊が実現していれば『オバケのQ太郎』も復刊されるはずだったが、藤子プロ(F)と藤子スタジオ(A)の方針の違いもあって2002年に藤子不二雄Aランドとして藤子A作品149冊のみが復刊された。


様々な理由から、本作は1990年から2008年までの20年弱の間、出版が行われていない状態だったが、2009年より2012年にかけ、「藤子・F・不二雄大全集」にて全作品の復刊が実現した。

そして2015年、てんとう虫コミックで全12巻での復刊が実現した!!(紙媒体と同時に電子書籍としての販売も決定)

かくて「オバQ」は、長い長い封印作品の時代から遂に卒業することが出来たのである。


アニメ

第1作

1966〜1967年放送。モノクロアニメ。東京ムービーTBS


第2作

1971〜1972年放送。カラーアニメ。東京ムービー日本テレビ

『新オバケのQ太郎』のタイトルで放送されたが、続編ではなく、卵から誕生する場面から放送。


第3作

1985〜1987年放送。カラーアニメ。[シンエイ動画]]。テレビ朝日

アニメ化の際に、正太と伸一のキャラクター設定書を安孫子素雄が作画している(他のキャラクターの設定書は藤本弘が作画)。

1986年と1987年には劇場版3D映画も公開された。


関連イラスト

センシティブな作品


関連タグ

藤子不二雄 モジャ公 藤子・F・不二雄 21エモン ジャングル黒べえ ドラえもん

西川のりお・・・リアルなオバQの姿で「ばかぁー!」と棺おけから出てきて叫ぶギャグを持つ。→オレたちひょうきん族より

高橋尚子・・・会社の歓迎会でオバケのQ太郎のモノマネをしたことから愛称は「Qちゃん」。

スター☆トゥインクルプリキュア:34年後の1時間前の世界。共通点の多い電撃戦隊チェンジマン(当時は土曜日17時30分からの放送)の事を34年前の1時間後の世界と言ってしまった結果、この作品に誤爆する事例が続出した。

ゲゲゲの鬼太郎(クロスオーバーしている)

ウルトラQ・・・1966年のTBSは、日曜午後7時から「ウルトラQ」、7時半から「オバQ」を放映していた。日本中の子供をテレビに釘付けにした1時間であり、他局は「恐怖のQタイム」と呼んだという。

不二家・・・アニメ第1作は不二家の単独提供。販売していたオバQの菓子(チョコやガムなど)だけで売り上げは80億円以上にのぼったとされる。この「不二家の時間」枠はこの後も、「パーマン」に「怪物くん」と藤子アニメが続いた。

小田急電鉄・・・連載当時の藤子不二雄は通勤に小田急を利用しており、その途中にネタ出しや打ち合わせもしていたため「オバキューはオダキューで生まれた」と言われる。藤子Fの漫画「スタジオ・ボロ物語」でこのエピソードが描かれている。

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