概要
フジテレビ系列局(ただし一部系列局は放送日時差し替え)にて、1981年5月から1989年10月上旬にかけて土曜夜8時に放送されていた伝説のお笑い番組。
アメリカのバラエティー番組「サタデーナイトライブ」から範を得たもので、東西のお笑い芸人が垣根を超えて共演したのが最大の特徴であり、横澤彪プロデューサーの発明の一つである。なお、「サタデーナイトライブ」については、その日本版が、2011年6月から同年12月にかけて、フジテレビ系列局(ただしテレビ大分除く)で放送されたことがある。
TBSの裏番組『8時だョ!全員集合』→『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』と熾烈な視聴率闘いを演じたことは有名で、これを『土8戦争』と言われている。
全員集合側が『やりたいことをやり尽くした』という要因があったものの、1985年に事実上『全員集合』を放送終了に追い込んだ。しかしその後、ビートたけしのフライデー襲撃事件による謹慎を機に人気に陰りが見え始めたところを、全員集合の後番組として始まった『加トケン』の返り討ちにあい、1989年に放送終了となった。
しかし、ひょうきん族の終了とほぼ同時期に、ひょうきんディレクターズの1人であった佐藤義和がプロデューサーとなって手掛けた『夢で逢えたら』(のちの『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』・『ダウンタウンのごっつええ感じ』)等のフジ系お笑い番組にそのDNAは引き継がれたほか、ナインティナイン・とんねるず・爆笑問題などの番組にも多大な影響を与えている。
後にたけしは「全員集合とひょうきん族の対比」を「ドリフターズは砂糖を使った大納言といった練りに練った菓子に対してひょうきん族は人工甘味料を使った菓子」と例え、「全員集合とひょうきん族は結局共倒れした」とも語っている。
事実、全員集合はひょうきん族の二倍の年数の実績があった上に同局で「ドリフ大爆笑」を放送していた。
なお余談だが、放送400回目のOP&EDはなんと「全員集合のパロディ」をやっていた。
出演者
- ビートたけし
- 明石家さんま
- 島田紳助
- 山田邦子…レギュラー版から
- 片岡鶴太郎
- 西川のりお
- おさむ(ぼんちおさむ)
- ウガンダ(ビジーフォー)
- 島田洋七(B&B)
- 太平サブロー・シロー
- コント赤信号…1983年1月から
- ヒップアップ
- たけし軍団1984年から
- 村上ショージ…1982年から
- ブッチー武者
- 石井めぐみ…1984年から
- Mr.オクレ…1985年から
- 前田政二…1985年から
この他にも数々の芸能人が入れ替わりに番組出演した。
主なコーナー
- ひょうきんニュース
- ひょうきんベストテン
- 「ザ・ベストテン」のパロディ。司会を島田紳助とその時期のひょうきんアナウンサーが務めた。
- タケちゃんマン
- ひょうきん絵描き歌
- ラブユー貧乏
- かまへんライダー
- ひょうきんスター誕生
- 「お笑いスター誕生!!」のパロディ。司会はなぜか神谷明と園まりが務めた。
- ひょうきん懺悔室
オープニングについて
「ウィリアム・テル」のBGMで初期は伊武雅刀がオープニングナレーションをしていたが、実は伝説のラジオ番組「スネークマンショー」のOPが元ネタである。
関連タグ
めちゃイケ:平成のひょうきん族を確立し、全員集合・ひょうきん族でも成しえなかった21年も続いたが…。