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東国原英夫

ひがしこくばるひでお

宮崎県出身のタレント。政治家として宮崎県知事と衆議院議員を歴任。かつては「そのまんま東」名義を使用していた。
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人物

1957年9月16日生まれ、宮崎県都城市出身。のちに鹿児島県霧島市に移住している。


不動産業を営んでいた実父と、その妾であった母の間に生まれる。

実父にとって初めての息子ということでとても可愛がられ、「英夫」の名前は実父の名前から一字取って名付けられたものである。しかし8歳の時に実両親が破局し、実父とはその後会うことがなくなり、成人後に実父が商売に失敗して孤独に死去していたことを知ったという。

その後母親がつむぎ職人と結婚し、この継父の姓である東国原となった。


都城泉ヶ丘高等学校を卒業後、専修大学に進学。大学卒業直後にバラエティ番組のオーディション企画に応募して芸能界入りし、ツービートで活躍していたビートたけしのボーヤ(付き人)となる。

ビートたけしの一番弟子となった芸人で、本人の弟子早川伸吾はたけしにとって初の孫弟子となる。

コンビ「ツーツーレロレロ」を大森うたえもんと組み、たけし軍団の一員として80年代バラエティ番組で活躍した。

かつては「東英夫」→「そのまんま東」の名義で活動していたが、政界進出に際して芸名を返上。現在は本名の「東国原英夫」でタレント・コメンテーターとして活動している。なお、「2代目そのまんま東」はゾマホンが襲名したが、ゾマホンも後に返上している。


たけし軍団結成のきっかけをつくった張本人。


初代妻はアナウンサーの片平きみよ。女優のかとうかずこは二番目の妻であったが、彼の政治家転身に反対し離婚している(東国原は2014年9月に一般女性と再々婚)。


和田アキ子島田紳助大竹まこと渡辺正行らを敬愛している。とんねるずとは「ツーツーレロレロ」時代からの友人。

趣味はマラソン、読書。相当の読書家であり、かつ勤勉な性格。反面、女癖の悪さは、周囲(ガダルカナル・タカほか、軍団時代の後輩かつ秘書の吉川氏など大勢)から「一生直らない」と絶望視されている。


政治家転身、およびたけし軍団離脱後もたけしへの尊敬の念は変わらず、現在でも同じように交流を持っている。



政治家転身

宮崎県知事

宮崎県知事を1期務め、在職期間中はタレント時代の知名度を活かし「宮崎のセールスマン」を自称し、地元の名産品を宣伝するなどしていた。実際、当時掲げたマニフェストの多くが達成されている。


前知事が汚職事件で逮捕した後の出直し選挙となった2007年の当選時は泡沫候補と言われながら、自民党民主党の候補を大差で圧勝。当時「そのまんま旋風」などと呼ばれ、(腐敗してしまった県政を)「どげんかせんといかん」のフレーズで石川遼と並びユーキャン新語・流行語大賞を受賞した。


芸能人時代の不祥事から、自身を真摯に見つめなおすため、早稲田大学に入学。それが彼の政治活動のきっかけとなった。


2010年に宮崎県で起きた口蹄疫パンデミックに対し尽力を尽くしたが、この件の対応で未だに赤松広隆福島瑞穂らへの恨みは深く、2019年に国民民主党の森裕子(小沢軍団でもあり、野田政権下の文科副大臣)が民主党政権下の口蹄疫対応を自画自賛した発言をtwitterで行った際には激怒していた参照


東京都知事選挙

平成23年4月地方統一選の東京都知事選挙へ立候補し、青少年健全育成条例の慎重運用などを掲げて戦ったが、石原慎太郎現職に破れ落選した。

得票率は石原43.4% に対して東国原28.1%であった。若年層の支持は得られたが、高齢者層からの支持が伸び悩んだ結果である。また、東日本大震災の直後であったため、保守層が強かったともいえる。


国政転身

2012年の衆議院選挙においては日本維新の会に加入、比例で当選し国政転身を果たした。

しかし、翌年12月に党の理念が変質したことを理由に維新の会を離党、議員辞職した。


余談

キャッチフレーズの「どげんかせんといかん」は、実は宮崎弁(日向方言)というより鹿児島弁(薩隅方言)に近い。

宮崎弁では「どんげかせんといかん」ということが多い。

これは、都城市という鹿児島県との境目の街(諸県地方)で育ったことや、鹿児島県出身の両親の影響から、鹿児島に近い訛りになったと考えられる。実際都城市で話される言葉は鹿児島弁寄りである。

また、「東国原」という名字も鹿児島県曽於市(宮崎との県境)などで見られ、宮崎県ではほとんど見られないものである。


「そのまんま東」の由来は、宴会でビートたけしが弟子全員の名前を決めた際に「(当時東英夫の芸名で活動していたため)東はもう、そのまんま、東でいいよ」と発言したのをラッシャー板前が「そのまんま東」とメモしたことから。


フライデー襲撃事件は(講談社で本を出したかったため)乗り気でなく、仕方なくエレベーターに最後に乗ったものの、結果として先陣を切ることになってしまったと後に語っている。



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