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概要編集

1949年5月22日生まれ。キレ芸でおなじみのコメディアン。ソロ活動時の別名義に「常滑川まこと」がある。お笑いユニット、シティボーイズの中心的存在。双子の弟がいる。


近年では基本的には落ち着いたコメントを出しつつも、時々暴言を吐いて暴れると言った状態だが、かつては乱暴狼藉当たり前の暴れん坊タレントだった。自身の所属するユニットで演じられるコントとは真逆のキャラクターと言える。


司会進行を務めていたフジテレビ『夕やけニャンニャン』で、当時おニャン子クラブメンバーであった生稲晃子の頭を鷲掴みにして、股間に押しつけたことがある。


若手お笑い芸人について理解が深く、朝日放送『M-1グランプリ』『ABCお笑い新人グランプリ』、関西テレビ『R-1ぐらんぷり』などの賞レースで審査員を務めていた。また、当時の関東芸人では珍しく関西にも出演番組を持っていた時期があり、その際に世話になった上岡龍太郎に対しては「師匠と呼ぶのもおこがましい」と敬意を表している。


最近ではチコちゃんの天敵として知られている。

大竹の息子(2023年より、大竹の所属する事務所の社長)は、人力舎社員時代にマネージャーを務めていた東京03角田とバンドを組んでゴッドタンのマジ歌選手権に出演している。

なお、大竹本人は音痴である。そのひどさはかの伊東四朗をして「この人の音痴は日本一だ!」と言わしめたほどである。


1996年には東京都内で自動車の運転中に交差点で信号を無視したオートバイが横っ腹に突っ込み、運転手の男性が死亡・同乗の女性が重傷を負う事故を起こす。事故のショックから大竹は自らレギュラー番組を全て降板し、一時芸能活動を休止した。

しかし、相手方の信号無視で大竹には一切の否がなかった(事故後の救護も迅速であったことから警察も大竹には一切の責任を負わせていない)ことからむしろ同情論のほうが強く、2週間後には復帰した。


日テレ出入り禁止事件編集

1988年には日本テレビの番組で山瀬まみに喧嘩をふっかけ(本人曰く「あいつが俺のひと言に泣き出したのが許せなかったんだよなあ」)揉み合いになり山瀬のジャケットを脱がせたあげくセットを壊してしまう。これにより日本テレビを(約20年間)出入り禁止になる。しかしこの事件自体の認知度が低いのか、日本テレビの番組が知らずにオファーしてしまい局の入り口で出入り禁止が発覚した(本人談)、ある番組では大竹と山瀬にオファーを出して共演してしまうなどの出来事もあった。一方で日本テレビ系列のよみうりテレビ中京テレビ制作の全国ネット番組には普通にレギュラー出演していた。

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