概要
1964年6月15日生まれ。
フルネームはゾマホン・イドゥス・ルフィン。pixivでは「ゾマホン」タグの利用も多い。
決して裕福な家庭ではなかったが、教育熱心な父親のもと幼い頃から勉学に励み、成績優秀であった。1987年に当時ベナン唯一の国立大学である国立ベナン大学を卒業し、中国の北京語言学院に国費で留学。中国語や中国文化について学ぶ。
大学卒業後、北京で知り合った日本人のクラスメイトを頼り、94年に自費留学生として来日する。工場などでアルバイトをしながら日本語学校に通い、97年に上智大学大学院に入学する。
98年に稲川素子事務所にスカウトされたことをきっかけに、『ここが変だよ日本人』に出演。タレント活動を始める。
元ベナン駐日大使(2011-2016年)。過去に同国大統領の個人的な顧問を務めたこともあり、ベナンの国民栄誉賞にあたる賞も授与されている。
母国語であるフォン語とフランス語のほか、日本語、英語、中国語、ヨルバ語など、語学力に長ける聡明な人物。
実際に、タレントデビュー後も北野武監督の通訳として活躍した(『KITANO 北野武によるたけし』他)こともある。北野作品では『TAKESHI'S』『監督・ばんざい!』他に出演。
番組で知り合ったことをきっかけに、稲川素子事務所からオフィス北野に移籍し、ビートたけしの付き人としてタレント活動を行う。そのため、たけし軍団の一員として数えられている。
東国原英夫が宮崎県知事に就任した2007年には「2代目そのまんま東」を襲名した。奇しくも、「そのまんま東」の名をたけしから与えられた2人が政治の舞台で活躍したことになる。ただし、「そのまんま東」と言えば東国原英夫のイメージがあまりにも強いため、実際にこの名前が使われることはほぼなく、名前を授けたはずのビートたけし本人もそれまで通りゾマホンと呼んでいたという。
彼の日本での活動が、これまで関係の薄かった日本とベナンとの国交を結ぶ運びとなり、先述の駐日大使の役職に就くきっかけとなった。
2011年の駐日大使就任に伴い軍団を離脱し、「2代目そのまんま東」の芸名も返上するが、退任後の2017年には再びたけし個人の付き人となっている。
2012年に後述の「たけし日本語学校」の元生徒でベナン人の女性と結婚した。(共に初婚)
2019年にはベナンの国民議員選挙に出馬する予定であったが、現政権側からの妨害行為があり、危険な目に遭ったこともあって出馬を断念している。
人物
とにかくストイックな人物として知られている。具体的には、来日して初めて借りた家賃3万8000円のアパートに長年1人で住み続けているなどのエピソードが挙げられる。
信条としてキリスト教を歴史的経緯から嫌っている。(ただし、信教の自由から他者の信仰については否定しない)また、同性愛者について『ここが変だよ日本人』において「黒人社会やアフリカにはゲイ、レスビアンは存在しない。私から見れば同性愛者は精神病だ」と発言している。
「日本とベナンの間の架け橋になる」が夢であると語っている。また、来日後の生活で保証人となった「高橋政昭」という人物を非常に尊敬している。
大学時代に中国語を学び、その後の中国留学を経て孫文や孔子の思想に影響を受けたと公言している。
自身の経歴もあって、教育の普及活動に熱心に参加している。
来日した際、日本の識字率の高さに感銘を受け、国の発展には教育が必要であると感じて、母国での学校教育の普及の大切さを説いた事もある。この時、当初親達が「学校に子供が行くと働き手が少なくなる為に生活が苦しくなる」と憤慨し暴動が起きかけたが、「このままだとこの国が貧しいままになる、学校と教育は国の発展には不可欠」と強く説得して学校建設に至ったエピソードもある。
ベナンに対する寄付などを(特に一般からのもの)断り続けていた事も有名であり、母国に必要な物資は全て自身の収入から工面して送っていた。その為、タレントとして有名になった後でも私生活は非常に質素なものだった。寄付を断り続けていたのは「寄付をアテにしてしまうだけの国になる事を避ける為」が最大の理由であるとしている。
銭湯好きである。来日してから長らく自宅のそばの銭湯に通っている。
母国に日本語学校「たけし日本語学校」や、小学校などを創設。むろん、この名前は師匠であるたけしへの敬意から取ったものである。
たけしもゾマホンの熱意に賛同し、「クイズ$ミリオネア」の賞金を「学校設立のため」とゾマホンに渡したほか、所ジョージと共に学校の設備を新調したり、ベナンからの留学生を田中義剛の花畑牧場で技術を学ばせたりしている(本人は「バカヤロー、売名行為に決まってんじゃねぇか」というだろうが)。
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