北野武
きたのたけし
第1作となる『その男、凶暴につき』は、もともと深作欣二が監督を務める方向で企画が進んでいたのだが、深作がスケジュールの都合などから辞退し、代わりに主演のビートたけしが監督も務めることになった。
これが監督デビューとなり、以後映画監督としても活動していく。
基本的に監督・脚本などを担当する際には「北野武」名義、キャストとして出演する際は「ビートたけし」名義になる。
監督曰く自作では『ソナチネ』『みんな~やってるか!』が好きな作品とのこと。後者は「映画そのものをぶっ壊したかったけど、勉強が足りなくて、あんなになっちゃった。不肖の息子みたいなもの」(『コマネチ』!!より)。
さらに、バイク事故後の作品はより映画監督として研ぎ澄まされたものになる。北野監督作品を高く評価する有名人に、村上春樹、淀川長治、押井守、長嶋茂雄らがいる。
ただ、日本では興行収入が伸び悩む(『アウトレイジビヨンド』『座頭市』など一部を除く)。
だって、はなっから監督は大多数にわかってもらおうとしていないから。『Takeshi's』以降の三作は、長年暖めていた構想を実行し、かつ新たなステップに進むための破壊であったと本人は語っている(ちなみに、ビートたけしの熱心なファンだと結構腑に落ちる)。
一方、ロシアでは『Dolls』がロングランで上映され、フランスでは北野武・ビートたけし両方の功績を総合して勲章が贈られるなど、海外(特にヨーロッパ)での評価がとても高く、今まで受賞した賞の内、2/3が海外の賞である(これは一般的な多くの日本人は映画の物語部分しか見ていないのに対し、海外では映画をアート作品として捉えて総合的に評価することも大きい)。
監督曰く、「オレは映画をつくる金を稼ぐためにテレビでぬいぐるみを着てるんだ」「コメディアンとしてのオレを海外の人に見せるな!監督としてのオレのイメージが落ちる!」そうである。なお、昔テレビ番組で海外の北野映画ファンに日本での「ビートたけし」の映像を見せるという企画があったのだが、海外のファンは絶句していた。
基本的に、映画を撮るときはとても真面目にやる。一切の妥協を許さない。その反面、スタッフに気を遣う。壊すときは徹底的に壊す。
撮影は合理的に行い、無駄にリテイクを重ねないことでも知られる。
黒沢明やスタンリー・キューブリックなどは「好きではないけど尊敬している」。山田洋二は「凄いと思うけど好きじゃない」。大島渚は「感謝している」。
主に暴力団やチンピラ、社会的弱者といった社会のアウトサイダー達を題材として多く扱い、虚無的なまでに淡々とした、それでいて徹底的な「暴力」と「死」を描く。全体的に抑揚を抑えたドライな演出を持ち味としつつ、ユーモアを忘れず、しっとりしたペーソスも漂う作風である。
4コマ漫画(より俗っぽくいうなら即オチ2コマ)のように、過程を飛ばして次のカットで結末(オチ)が来る省略演出を多用し、多くを語らず最低限の台詞で映画を成立させる。
画面上の色使いの統一された美しさや、レイアウトとカメラワークの巧みさから生み出される独特の映像美も大きな特徴であり、海外ではその芸術性の高さが評価されている。
特に『Dolls』以前の青色を基調とした映像は海外では『キタノブルー』と呼ばれて絶賛され、『ソナチネ』での青と赤を対比させた映像演出はヨーロッパにおいて「ソナチネ・ショック」とも呼ぶべき一大センセーションを引き起こした。
日本国内では暴力描写の部分がよく取り上げられるが、本人は暴力を肯定的に描いているつもりは無く、逆に暴力を行使した人間は必ず不幸になるようにしているとのこと。
日本映画最高の賞とされる日本アカデミー賞への批判をたびたび行っている。2013年では「どうせ最優秀作品賞は「舟を編む」だろ?」と言って予言を的中したり、2014年の東京国際映画祭の中で「最優秀作品賞は持ち回りでやってるんだ」と批判した。ただし、武が審査委員長と務める東京スポーツ映画大賞の最優秀作品賞に自分の作品にすることはどっちもどっちである。
長編
『その男、凶暴につき』1989年
『3-4X10月』1990年
『あの夏、いちばん静かな海。』1991年
『ソナチネ』1993年
『みんな~やってるか!』1995年 - 監督も「ビートたけし」名義
『キッズ・リターン』1996年
『HANA-BI』1998年
『菊次郎の夏』1999年
『BROTHER』2001年
『Dolls(映画)』2002年
『座頭市』2003年
『TAKESHIS'』2005年
『監督・ばんざい!』2007年
『アキレスと亀』2008年
『アウトレイジ』2010年
『アウトレイジビヨンド』2012年
『龍三と七人の子分たち』2015年
『アウトレイジ最終章』2017年
『首』2023年