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1930年7月3日生まれ。茨城県水戸市出身。

2003年1月12日没。享年72歳。

長男の深作健太も映画監督。


概要編集

1953年、東映入社。

1961年、『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で監督デビュー。同作は千葉真一の初主演作品であり、以後も千葉との親交は続いた。

1973年から公開された『仁義なき戦いシリーズ』が代表作。


『ガンマー第3号 宇宙大作戦』『宇宙からのメッセージ』『復活の日』のようなSF映画や、『魔界転生』『忠臣蔵外伝 四谷怪談』のような時代劇など、手がけたジャンルは広い。

作中では剣戟から戦争まで総じて暴力描写が目立つが、これは暴力を描くことで暴力を否定しようとする意図があった。その根底には少年期に経験した第二次世界大戦がある。軍国少年であった深作は、教師をはじめ戦中と戦後ではまるで真反対のことを平気で言ってのける大人たちを目撃しており、それに対して強い怒りと軽蔑を終生持っていた。

世界的に有名な日本人監督の一人であり、海外の支持者にクエンティン・タランティーノジョン・ウーが名乗りを上げている。


『その男、凶暴につき』(1989年)の監督にも選ばれていたが、スケジュールや条件が合わず辞退したため、同作主演のビートたけし(北野武)が初めて監督を務めることになった。つまり「世界のキタノ」が生まれる遠因になった人物でもある。

後にたけしは、深作の晩年のヒット作である『バトルロワイアル』に出演している。


作品編集

『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』1961年

『風来坊探偵 岬を渡る黒い風』1961年

『ファンキーハットの快男児』1961年

『ファンキーハットの快男児 二千万円の腕』1961年

『白昼の無頼漢』1961年

『誇り高き挑戦』1962年

『ギャング対Gメン』1962年

『ギャング同盟』1963年

『ジャコ萬と鉄』1964年

『狼と豚と人間』1964年

『脅迫』1966年

『カミカゼ野郎 真昼の決斗』1966年 - 脚本兼務

『北海の暴れ竜』1966年

『解散式』1967年

『博徒解散式』1968年

黒蜥蜴』1968年

『恐喝こそわが人生』1968年

『ガンマー第3号 宇宙大作戦』1968年

『黒薔薇の館』1969年

『日本暴力団 組長』1969年

『血染の代紋』1970年

『君が若者なら』1970年

トラ・トラ・トラ! TORA TORA TORA』1970年

『博徒外人部隊』1971年

『軍旗はためく下に』1972年

『現代やくざ 人斬り与太』1972年

『人斬り与太 狂犬三兄弟』1972年

仁義なき戦いシリーズ』1973-1976年

『仁義の墓場』1975年

県警対組織暴力』1975年

『資金源強奪』1975年

『暴走パニック 大激突』1976年

『やくざの墓場 くちなしの花』1976年

『北陸代理戦争』1977年

ドーベルマン刑事』1977年

柳生一族の陰謀』1978年 - 脚本兼務

宇宙からのメッセージ』1978年

『赤穂城断絶』1978年

復活の日』1980年

『青春の門』1981年

魔界転生』1981年 - 脚本兼務

『道頓堀川』1982年

蒲田行進曲』1982年

『人生劇場』1983年

里見八犬伝』1983年

『上海バンスキング』1984年

『火宅の人』1986年

『必殺4 恨みはらします』1987年

『華の乱』1988年

『いつかギラギラする日』1992年

忠臣蔵外伝 四谷怪談』1994年

『おもちゃ』1999年

バトルロワイアル』2000年

クロックタワー3』2002年 - PS2/ゲームイベントCGムービー

『バトルロワイアルⅡ 【鎮魂歌】』2003年 - 病状悪化による途中降板


関連タグ編集

映画監督

東映


外部リンク編集

深作欣二 - Wikipedia

深作欣二とは - はてなキーワード

深作欣二(Fukasaku Kinji) のプロフィール - allcinema

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