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概要

1991〜97年にかけて放送されたフジテレビ系列のお笑い番組。放送時間は日曜20時-20時54分(ただしテレビ大分テレビ宮崎鹿児島讀賣テレビ開局前の鹿児島テレビ、1993年3月までの山形テレビは放送日時差し替え)。

名前通りダウンタウンを中心としたコント主体の内容であり、それまで漫才で知られていたダウンタウンがコントでも一流であることをお茶の間に知らしめた。

ダウンタウン以外にも入れ替わり立ち替わりで様々な芸人・俳優・ミュージシャンが番組に参加しており、番組初期は方向性が定まっていなかったこともあって実験的な要素が色濃かった。

六年間にわたる放送でのべ1304本に及ぶコントを世に送り出した。

放送終了時のレギュラーメンバーはダウンタウン・今田耕司130R(一時期板尾創路のみ降板)・東野幸治(1994年〜)。これに加え、1997年4月までは篠原涼子YOUも出演していた。なお、当初は東野がいなかった。これはレギュラー化される前の特番で思い切り滑ったことと、生来の協調性の無さに呆れられたからである(130Rのレギュラー出演はその代わりだった)。板尾が一時期降板していたのは相手の少女が14歳とは全く知らずにソープであわや行為をしかけてしまったからである。この時に東野がレギュラーに昇格し、板尾も復帰後引き続き出演した。


1991年にレギュラー放送を開始後、すぐに人気番組となり、裏番組の大河ドラマや『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』と視聴率を競うようになる。開始当初の平均視聴率は『元気が出るテレビ』よりやや低く平均13%程度であったが、『オールスター家族対抗歌合戦』終了以降振るわなかった日曜夜8時枠としては健闘と言える水準をキープする。その後、『元気が出るテレビ』がビートたけしのバイク事故により精彩を欠く状況に陥ったところで一気に抜き去り、4年目の1995年でピークを迎える(年間平均18.9%、最高24.2%)など順風満帆であった。

しかし翌1996年は一転上級者向けのコント(ただ、これこそ松本、ひいてはダウンタウンの真骨頂だったのだが)が量産された。1997年に入って早々、対決コーナーの収録の際にスタッフが安全確認を怠るトラブルが発生して松本が激怒、収録をボイコットする事件が起こった。この際浜田も怒りながら鉄扉を蹴ったため足を骨折、視聴者はギプスと松葉杖姿の浜田を見ることになってしまった。

1997年4月に篠原とYOUが降板し、ロケ企画がメインとなった。そんな中、7月に『エキセントリック少年ボウイ』がオープニングとエンディングに登場、CDがオリコン初登場5位にランクイン、ライブイベントが行われるなど人気を誇った。


突然の終了

しかし同年11月2日、突然番組の放送が打ち切りとなってしまった。きっかけは、9月28日に放送予定だった、松本が力を込めに込めて作った自信作と言っていた秋の2時間スペシャル。前日の土曜日にフジテレビが出資しているプロ野球チームヤクルトスワローズのセントラル・リーグ優勝へのマジックが1となったため、フジテレビは急遽2時間スペシャルの放送を翌週に順延し、ヤクルトのセ・リーグ優勝決定試合の中継放送に差し替えたのである。そもそもこのスペシャルは『エキセントリック少年ボウイ』のCDに関連する内容だったので、松本から見て「その日に放送しなければ意味がない」ものだった。番組差し替えについて出演者側に伝えていなかったこと(吉本側の連絡不徹底とも、フジテレビのスタッフがそもそも吉本にも伝えていなかったともいわれるが原因や詳細は不明)、これ以前にもスタッフの怠慢によるトラブルがあったことなどが加わり、番組出演に嫌気が差した松本が同調した浜田とともにフジテレビの全出演番組の収録をボイコットする事態に発展、ダウンタウンとフジテレビの関係が修復不能なほど険悪なものになってしまった。これが原因で、手打ちとして『ごっつ』を打ち切ることが決定した。延期された2時間スペシャルは翌週10月5日に放送、19日には『ごっつええ感じ音楽祭(お母様もぜひお子様にすすめてあげてくださいスペシャル)』が放送され、その後ダウンタウン不在のまま急遽作られたコント傑作選が2週にわたって放送されたのを最後に、延べ6年間に及ぶ歴史に幕を閉じた。


特番として復活、しかし…

その後、2001年に特番として復活し『ものごっつええ感じスペシャル』が放送された。


しかし、前述の遺恨が未だ残っていた(一応松本は「フジに恨みはない」と語ってはいるが)ためか、フジテレビで制作・放送される番組であるにもかかわらず、系列外の読売テレビが吉本興業と組んで1998年に設立した番組制作会社・ワイズビジョン(2015年4月1日に株式会社ytv Nextryに吸収される)のスタッフ(主に『ダウンタウンDX』の制作を担当するスタッフ)が作るという、何とも奇妙な体制で作られた。

このため、吉本の若手芸人が多く絡むなど、当時とはかなり雰囲気の違う番組として作られたことや、時代が既にコント離れしていた影響もあり、視聴率は9.0%と(当時としては)散々な結果に終わってしまった。

『ごっつ』から4年という歳月が経っていたことも低視聴率に拍車をかけた。


この結果にショックを受けた松本は「もうテレビで面白いコントを作っても、視聴者がそれを見てくれない時代になってしまった」と言い放ち、それ以来地上波テレビでのコントの制作・放送の事実上の凍結宣言を行った(松本のコントは、それから10年後のNHKの番組『松本人志のコントMHK』で制作されるまで、地上波テレビで見ることができなくなってしまった)。


パロディとしての人気

放送終了からかなりの時間が経過しているものの、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』でごっつええ時代のコントを踏襲した企画があったことに加え、『機動戦士ガンダムSEED』のキャラでゴレンジャイをパロディする動画やMMDで『東方Project』の博麗霊夢のモデルを使って世界一位のコントを再現した動画が人気を博したことから、リアルタイムで見ていなかった世代にも知名度が高く、今でもイラストでパロディが描かれたりしている。

ゴレンジャイパロ「5レンジャイ」ごっつええウサミン


ビデオ・DVD化

コントの内容が現在の放送コードスレスレなので再放送はされていないが、人気コントを集めたビデオやDVDは販売されている。

2014年にはオンエア当時のOPやCM(ただし番組スポンサーとは無関係の謎チョイス企業ばかりだった)を挟んだ再編集バージョンDVDも発売された。


ネット局移動

山形県の場合

山形県では当初、当時フジテレビ系列だった山形テレビで放送されていたが、当時は同じ山形新聞グループの系列局だった山形放送テレビ朝日の番組を同時ネットしていた為、玉突きで『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』を同時ネットさせられた為、1週間遅れの毎週日曜日15時での放送を余儀なくされた。更に経営トラブルで1993年にテレビ朝日系列へネットチェンジした為、3月一杯で打ち切りとなってしまう。(この事で全盛期の『ごっつ』が観られなかった為、かなり悔しがっていたと言われている)

その後、県民運動で1997年にフジ系新局さくらんぼテレビが開局した為、再び本番組が観られる様になっただけでなく、キー局と同時ネットになるも、僅か7ヶ月で終了してしまう。

結果山形県では本番組が2回最終回を迎えたのであった。

山口県の場合

初期については放送開始当初テレビ朝日系列と日本テレビ系列の複数加入局であった山口放送で放送されていたが、後にTBS系列局のテレビ山口に移行している。

なお、テレビ朝日系列局・日本テレビ系列局いずれのケースでも山口放送は唯一本番組をネットした局に当たる(山口県以外のフジテレビ系列局の存在しない県については、放送期間中にフジテレビ系列局が開局した高知県も含めていずれもTBS系列局で放送してもらっていた)。


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